29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

フィランソロフィーがよくわかる

2010-01-28 21:57:55 | 読書ノート
フレデリック・マルテル『超大国アメリカの文化力:仏文化外交官による全米踏査レポート』根本長兵衛, 林はる芽監訳, 岩波書店, 2009.

  この邦題でフランス人の書いた著作と聞くと「低俗なアメリカ文化帝国主義を批判する!!文化におけるヨーロッパの優位!!」みたいな力こぶの入った内容を予想するが、全然そのようなものではない。エンターテイメント産業は主題の一部ですらない。大衆文化とは異なる領域、ヨーロッパ伝来のハイ・カルチャーから前衛芸術、マイノリティによるサブカルチャーまでを対象とするものである。

  本書の関心は、それらの芸術活動を支える資金が、いったいどのように調達されているのか、という点にある。前半では、1960年代から始まった連邦政府の芸術支援政策の展開と失敗について語られる。簡単にまとめれば、連邦政府の役割はあまりにも小さく、そこからの資金が芸術活動を支えているのではない、ということである。

  後半では、政府による支援に依存しないばかりではなく、大衆の消費にも依存しない、広大な領域の「民間」による芸術活動支援を精査していく。寄付行為を推進する哲学と、それを行う財団の展開、芸術家を支える大学、芸術の鑑賞者を掘り起こすためのアウトリーチの活動などが検討される。重要なのは寄付によって調達される民間の資金である。寄付に対する免税措置は、芸術活動支援を促す動機の一つにはなっている。だが、ピューリタニズムや民主主義といったイデオロギーも重要な役割を担っているという。

  内容をコンパクトにまとめると、以上のようにそっけないものになる。だが、この本では、連邦政府が芸術に関与する際に使用する理論や、フィランソロフィーを行う個人や財団の持つ思想、またそれらに対抗する意見が面白い。それらがぶつかりあって芸術活動支援が展開してゆく様が本当にダイナミックであり、驚かされることしきりである。今までなんだかよくわからなかったフィランソロフィーの概念について理解できたことも多かったので、続きも書きたい。

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執拗なシーケンサー音がキモ

2010-01-26 12:47:06 | 音盤ノート
Tangerine Dream "Phaedra" Virgin, 1974.

  ドイツ製プログレ。基本は喜多郎的霊妙シンセサイザー音楽なのだが、その上でビョンビョンとシーケンサー音が迫ってくるのが特徴。冒頭のタイトル曲はそのスタイルでの代表曲。二曲目はシーケンサーが無くなってしまい退屈。三曲目は、旋律打楽器風にシーケンサーを使った曲で、Steve Reichの影響をうかがわせる。

  Tangerine Dreamに関しては、これ以前と次作の"Rubycon"(Virgin, 1975)まで個人的に楽しめる。だが、その後のアルバムではロック風のギターソロが入り、メロディが大袈裟になってしまった。このアルバムで見せた「抑制された中でせまりくる気迫」みたいなものが失われてしまい、どこか安っぽい音楽になってしまったように思う。

  しかし、同時期に発表されたKraftwerkの"Autobahn"(Philips, 1974)はあんなに牧歌的なのに、こちらのシーケンス・リズムはなんでこんなに速いのだろうか?
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静岡市郊外での店舗経営

2010-01-24 20:36:09 | チラシの裏
  静岡市内郊外のとある喫茶店を訪れてみたら、営業時間が13:00-15:00までで入れなかった。おまけに週に二日も休みがある。その近所には、水曜日と木曜日だけ営業するお菓子屋もあった。店舗を見てみると、どちらも居住のための施設が付帯している。おそらく、土地持ち家庭の主婦の副業なのだろう。しかしながら、このやる気の無さはなんだ? それなりの設備投資をしているのだから、もう少し営業時間を増やそうとは思わないのだろうか? 家事が大変ならばバイトを雇えばいい。関東であまり目にすることのない営業日・営業時間であるため、驚かされてしまった。
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意義づけ作業にもまた意義あり、しかし…

2010-01-22 11:13:36 | 読書ノート
本田由紀『教育の職業的意義:若者、学校、社会をつなぐ』ちくま新書, 筑摩書房, 2009.

  若者が学校から労働市場へスムーズに移行できるように、職業教育の必要を説く書籍。こうまとめると「何を今さら」という印象だけれども、ここでの著者の仮想敵は「職業教育なんていらない」「それよりも市民教育が必要」と訴える人々であり、彼らに反駁するための議論が展開されている。

  データを用いた詳細な議論は読者を納得させるものである。特に学校における職業教育の国際比較を行った第3章は興味深く、日本の学校は「ずば抜けて何もやっていない」という結果となっている。処方箋については不十分であるが、「教育の職業的意義」を根拠づけることには成功しており、目的は果たされているように見える。

  しかし、著者の議論にうなずきながらも、変え難い日本の現実というのも強く感じる。文科省の指導さえあれば、学校で職業教育的なプログラムを設置することは容易なことだろう。それでも企業は、学校の出す単位あるいは評価など見向きもせず、コミュニケーション能力というあいまいな評価軸を尺度に採用活動を続ける可能性がある。そうした人事による成功体験が、今のところ蓄積され続けているのだから。

  結局、著者の理想を実現するためには、企業の入れ替わりを促進するような経済が前提となるではないだろうか? これまで曲がりなりにも存続してきた企業が、採用方法や人事の評価基準をわざわざ変更する動機はあまり見当たらない。敢えて職種で採用するような新興企業が市場で成功し、古い企業の経営が傾いていくような状態でないと、採用方法の変化は遅々として進まないと思われる。しかし、現在の日本はおいそれと起業などという冒険をできる状態ではない。結局、採用の変化も景気が鍵になるのだ──1960年代に同じように。
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初期Steve Kuhn作品として鑑賞

2010-01-20 14:04:57 | 音盤ノート
The Art Farmer Quartet "Sing Me Softly of the Blues" Atlantic, 1965.

  モード系ジャズ。Art Farmer本人はフリューゲルホーンを吹く。バックはSteve Kuhn(p)、Steve Swallow(b)、Pete LaRoca(d)で、要はKuhnの初期トリオ。他に、この三人で録音したSteve Kuhn "Three Waves"(Contact, 1966)、三人+Joe HendersonによるPete LaRoca "Basra" (Bluenote, 1965)がある。その中ではこれが一番良い。録音状態はかなり悪いのだけれども。

  Farmerは落ち着いて抒情的に演奏しており、熱くなったりはしない。この頃にはもう現在のようなスタイルを確立していたKuhnのピアノは、音数は多いけれども冷たい、いつものように。なのに、全体としてけっこう激しい演奏となっている。その理由はLaRocaが後ろから煽っているから。しかし、フロント二人が照れ屋なのか、本能が赴くままの指遣いにはならず、ぎりぎり理知的に納めているという印象。この奇妙なバランス感覚が面白い作品。
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さようなら駿河ビーフカレー

2010-01-18 16:26:02 | チラシの裏
  僕の短大の学食の業者が来年度にまた入れ替わるらしい。昨年から営業していた「駿河レストラン」の味は良かった。静岡市内ではコクの無いカレー屋が多い中、「駿河ビーフカレー」は、辛味には欠けるけれども、相対的に美味だったと思う。

  ただ、メニューの多さは小規模な短大に合わなかった。その影響の第一は、短大生には高価と感じられるような値段となったこと。メニューを三つぐらいにして、代わりに毎日献立を変えれば、大量仕入れが可能となり安価な価格に抑えることができたのではないだろうか?(ただし、東京の大学を知っている僕には十分に安価だったが)。影響の第二は、調理に時間をとられて、料理が出されるまで待たされることが多かったこと。前後の2時限目と3時限目に授業がきっちり入っている学生が多いため、待ち時間の長さは客を遠ざけただろう。価格と待ち時間のため、学食を利用する学生はごく一部にとどまり、多くは弁当などで済ませるという結果になったと思う。

  でも駿河ビーフカレーは惜しいな。市庁舎に入っている同じチェーンの店でそれを食べようとすると、学食の倍以上の値段を払わなければならなくなる。みんな学食を利用しようよ。
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サイクス本二冊は片方読めば十分か?

2010-01-15 11:26:42 | 読書ノート
ブライアン・サイクス『イヴの七人の娘たち』大野晶子訳, ソニーマガジンズ, 2001.
ブライアン・サイクス『アダムの呪い』大野晶子訳, ソニーマガジンズ, 2004.

  科学ノンフィクション。著者はイギリスの遺伝学者で、DNAから人類史を描きだそうと試みている。数年前の話題作だが、昨年末に文庫版を安く入手できたので読んでみた。文庫版は、どちらも2006年にヴィレッジブックスから発行されている。

  父母の遺伝子は、それぞれをミックスした状態で子どもに受け継がれる。子どもの内で、遺伝子のどの部分が父からなのかまたは母からなのかは特定しがたいらしい。ところが、父由来であること、母由来であることがはっきりしているDNAがそれぞれあるという。

 『イヴの七人の娘たち』は、母親から必ず引き渡されるミトコンドリアDNAを扱う。そしてミトコンドリアDNAの地理的分布と、突然変異をもとにした年代測定によって新しい人類史を描き出す。ヨーロッパでは、氷河期から居た狩猟採集民の末裔が大きな人口を占めているのか、それとも中東から移動してきた農民の末裔が栄えているのか、議論になってきたらしい。著者の研究は、それまで主流の説だった後者を否定し、前者を支持するものとなった。この結論にたどり着くまでの著者の個人的な研究過程だけでなく、学会がそれを受容するまでの部分もスリリングである。

  一方『アダムの呪い』は、父親から必ず引き渡されるY遺伝子を対象としている。それによれば、男性の場合、女性のように安定的な系譜を描くことは難しく、繁殖の成功度にかなりのバラつきがあるようだ。その理由として、多くの富と権力を有する男性とその息子は多くの子孫を残すことができただろうことと、もう一つ、男の子をより多く産む遺伝的要因(逆に女の子をより多く産む家系もある)の存在が示唆されている。最終章の男性滅亡論は全然説得力が無いが、ご愛敬だろう。この本も著者の個人的興味の変遷を辿りながらの記述だが、前半のかなりの部分が性の由来についての思弁に割かれており、そこがやや冗長。

  『イヴの七人の娘たち』の方がまとまっており面白いが、冗長な部分と最後を除けば『アダムの呪い』に捨てがたい知見もある。というわけで二冊読んでも時間の無駄にはならないだろう。
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シュトックハウゼンの弟子がベースを弾いてます

2010-01-13 13:49:12 | 音盤ノート
Can "Future Days" United Artists, 1973.

  最近ではクラウトロックというらしいジャンルの作品。このアルバムは1973年のダモ鈴木在籍時の録音。同じくダモ鈴木時代の前作"Ege Bamyasi"(1972)や前々作"Tago Mago"(1971)にあった、重くトガった感覚や、ガレージロック的な感覚は無くなっている。代わりに、柔和でスムーズながらも、パーカッシブで浮遊感を感じさせる演奏が繰り広げられる。攻撃性は無いものの、かすかな緊張感が漂っており、心地よいだけの音楽にはなっていない。

  ドイツのプログレが再評価されたのは1990年代ということになっているようだが、KraftwerkだけでなくCanのレコードは意外にも1980年代においても廃盤にはなっていなかった。他のバンドのレコードについてについては良く知らないので正確なことは言えないのだけれども。

  ただ、1980年代当時、Simon Turner(参考)のようなHolger Czukayの影響丸出しの曲を作る音楽家も活動しており、Canについては名古屋郊外に暮らす10代の少年にも耳に入った。レコードでは、メンバーが設立したレーベルのSpoon盤が、英インディーズ大手のMuteを通じて入手可能だった。また、1980年代末にはCD化もされていた。

  そういうわけで、Canに関しては評価の低迷期というものを知らない。

  
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著者の学歴は気にせず、詩人のエッセイとして読むべき

2010-01-11 21:41:53 | 読書ノート
水無田気流『無頼化する女たち』新書y, 洋泉社, 2009.

  うーん、1980年代のフェミニスト言説を聞かされるような今更感。同じ「女性」に属しているというだけで、さまざまな女性の人生について一緒くたにし、社会階層を無視して議論をすすめている。だが、今の時代、エリート女性の人生戦略とヤンキー娘のそれを同じようにみなすには無理があるだろう。また、本書で女性の社会的成功の障害のように書かれている事柄が、日本社会に特有なものなのか、それとも先進国共通のものなのか、また若年層特有で男女問わないものなのか、まったく明確化されておらず、あまり分析的でない。著者は大学院で社会学を学び、大学で教えているらしいのだが…。これで慰められる女性がいるのだろうか?
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2010年にふりかえる1990年代のベストアルバム

2010-01-08 13:01:23 | 音盤ノート
  音楽雑誌の特集でよくあるように、一リスナーとして「00年代のベストアルバム!!」を選んでみることを試みた。がしかし、この10年はリイシュー盤ばっかり買っていて、あまり新しいミュージシャンを知らないことに気付き、あきらめた。代わりに、僕がもっとも音楽に入れ込んでいた時期である1990年代のベストアルバムを並べておく。しかし、三枚しか選べなかった(笑)。

 1. Steve Reich "City Life / Proverb / Nagoya Marimbas" Nonesuch, 1996.
 2. My Bloody Valentine "Loveless" Creation, 1991.
 3. Steve Kuhn "Remembering Tomorrow" ECM, 1996.

 1は現代音楽。"City Life"はサンプリングを使った小アンサンブル曲。その演奏風景を観たいと思って、当時ヨーロッパのみで市販されていたVHSビデオをイギリスから取り寄せたほどである。そして僕のデッキで再生できないことにショックを受けた。その頃はPALとかNTSCという概念を知らないほど無知だった。(その後知人の機器を借りて鑑賞することができた。また同じ映像は2007年にDVD化され日本盤も発売されている1))。また、同じころSteve Reichが来日して、渋谷のタワーレコードでの講演のおりに僕にサインをくれた。静岡では誰も知らないので自慢する機会が無い。

 2はShoegazeというジャンルを完成させたロック名盤。ちょうど僕の大学受験の年の秋に発売され、ひどくハマり、そして受験に落っこちて浪人するはめになった。当時僕は英国ギターポップ少年だったが、このアルバムの印象が凄すぎて、これ以降新しいギターバンドが聴けなくなったぐらい。ネガティヴ思考を肯定するような人をダメにする音楽である。

 3はBill Evans系のピアノトリオ。あまりジャズらしくなく、アドリブ部分はあまりスリリングではない。しかし、執拗なアルペジオがとても美しい作品。再生に問題が無い程度の傷がCDについただけでもう一枚買い直したぐらい。しばらく後に原宿KeynoteでKuhnの演奏を初めて聴いたが、写真でみるにこやかな印象とは異なり、実物は陰気で神経質そうだったのを覚えている。

 以上、この三枚は特別。

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 1) DVD『Steve Reich's City Life』 Manfred Waffender監督, Warner Music Japan, 2007.
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