29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

わかりやすいも食い足りない。マーケティング対象に難あり

2011-11-30 08:30:13 | 読書ノート
蓼沼宏一『幸せのための経済学:効率と衡平の考え方』岩波ジュニア新書, 岩波書店, 2011.

  厚生経済学の新しい理論を扱った内容。噛み砕いた説明ではあるものの、扱われている問題が高度すぎる。正義にかなう分配方法を考えるようになるには、分配・再分配に関するこれまでの説をある程度理解していないと難しいだろう。ジュニア新書が対象としている中高生層がそのレベルにあるとはとても思えない。

  内容は、パレート最適の批判・修正してより平等をもたらす分配の論理を構築し、そのために効用の評価に価値序列を導入するものである。アマルティア・センやロールズらの議論が整理されておりわかりやすいのだが、その含意や政策的インプリケーションが一切なくて物足りない。この内容だったら、一般人向けに稿を費やして説明してくれたほうが良かったと思う。
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フューチャージャズの「ジャズ」的部分をめぐる葛藤

2011-11-28 11:20:58 | 音盤ノート
Nils Petter Molvaer "Solid Ether" ECM, 2000.

  ジャズ。発表当時はフューチャージャズと呼ばれた、エレクトロニカ的な打ち込みによるリズムの上で、エフェクト処理をしたトランペットやギターのソロを展開するという音楽である。そもそものアイデアはBugge Wesseltoft(参考)によるものだが、ノルウェーで生まれたこのコンセプトを世界中に知らしめた記念碑的作品というと、このアルバムということになる。

  前作"Khmer"(参考)と比べると、かなり音が厚くなっている。まず打楽器隊が増えた。収録10曲中6曲がツインドラム編成である。ただし、一番リズムが激しいのは打ち込みだけでビートを作った1曲目であるが。また音が厚くなった理由には、ギターまたはシンセによるレイヤー音の重ね方が厚くなったこと、ベースが加わったことがある。このため、前作にあった広漠とした背景感は後退し、代わって冷たい壁で囲まれた密室からトランペットの孤独感が立ちあらわれるようになった。なお、箸休め的に、御大によるピアノと女性ボーカル(Sidsel Endresen)の小曲も収録されている。

  初めて聴いたときは、その斬新なバッキングに衝撃を受けて、モルヴェルのゆっくりとしたソロが気ににならなかった。今検討してみると、リズムが激しくなる箇所──普通のジャズミュージシャンならば熱くブロウする場面である──で、音色の電気処理を聴かせることで対応していることがわかる。激しいソロを期待するジャズファンには不満が残るところだろう。とはいえ、それでも上手く緊張感を維持したままアルバム全編が展開されており、全体の完成度は高い。コンセプトの勝利と言えるだろう。
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全体像をざっくり掴むための入門書

2011-11-25 08:55:13 | 読書ノート
神永正博『ウソを見破る統計学:退屈させない統計入門』ブルーバックス, 講談社, 2011.

  統計学の入門書。ただし、統計を使えるようになるための説明がなされているのではなく、統計学は全体としてどのようなものであるのかを解説するのに主眼があるようだ。そのため原理を詳細に説明することはないが、一方で初心者の興味が続くよう、演出や事例などに工夫が凝らされている。

  内容は、平均・標準偏差・相関・正規分布に始まって、カイ二乗検定・回帰分析・t検定と続き、最後にポアソン分布・べき分布を展開する。最後の二つの分布は入門書ではあまり解説されない概念であり、僕も本書で初めて概要を知った。これらは統計の適用範囲と課題を示すうえでは興味深いトピックだろう。他に、曲線回帰するデータでは対数をとって直線にする等、のアドバイスもある。

  以上のように、僕のように、統計ソフトを仕事で使うものの、実はよくわかってないという人間にも得るところがあた。
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茫漠かつ寂寥とした電化暗黒エスニック・アンビエント

2011-11-23 10:19:52 | 音盤ノート
Nils Petter Molvaer "Khmer" ECM, 1997.

  一応ジャズのコーナーに置かれているが、ダークなエスニック・アンビエント音楽と説明するのがもっとも近い。エレクトロニクスをもっと大胆に取り入れたJon Hassell(参考)とでも表現できるが、こちらのほうが緊張感が高い。本作はモルヴェルの最初のリーダー作となる。

  録音には7人参加しているが、個々の曲はだいたい4~5人で演奏されている。御大のトランペットに、Eivind Aarsetのギター、打ち込みのビートに合わせながらの生ドラム、エレクトロニクス担当が一人または二人という編成。音は厚くなく、ミディアムテンポで進むリズムと幽玄なシンセ音(エフェクト処理されたレイヤー系ギター音が中心)を背景に、孤独感あふれるトランペットを聴かせるというもの。時折ギターが切り込んでくる。トランペットの音色は後年ほど電気的に歪められておらず、ストレートに吹いている。

  この後、このアルバムからの4曲を素材にしたECMでは珍しいリミックス・シングル盤が作られている("Khmer The Remixes" 1998)。なので、今のところオリジナル盤、リミックス盤、両者のカップリング二枚組盤の三種類が発行されている。リミックス盤は個人的には面白いと思わなかった。オリジナル一枚もので十分だろう。
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A5版書籍を三分冊で文庫化するデメリット

2011-11-21 13:04:36 | 読書ノート
塩野七生『ローマ人の物語』新潮文庫, 新潮社, 2002-2011.

  今夏に最後の巻の文庫版が出版され、全巻読了。全15巻となるハードカバー版は、1992年から2006年まで続いてすでに終了している。その文庫版はそのハードカバー版一巻相当分を三分冊にして、最低5年の期間を置いて発行するというサイクルだった。

  この三分冊というのが微妙に使いにくい。上・中・下巻と読み進めるうちに、以前の巻に登場したはずの家系図や地図を確認しようとすると、上だったか中だったかよく覚えていないので検索に時間がかかる。一巻200ページ前後の長さなので携帯しやすいことは確かである。だが、難解な内容ではないので、短い時間でかなりのページを読み進めることができる。そのため、電車で往復数時間かかるような外出のときは、結局上中下巻三冊持って歩くことになる。だったら、分厚い一冊にしてくれたほうが管理しやすい。営業的にも、分冊しないほうが売上が見込めたのではないだろうか?上巻だけ買われて、中巻・下巻が売れ残るというのはよくあることなのだから。

  とまあ、文庫形態には難癖つけたくなるが、こうした薄い三分冊化は、文庫版の先駆たるアルド版に感心した著者からの出版社への注文らしい(出典は忘却)。中公文庫では二分冊だった『海の都の物語』(参考)も、新潮社では6分冊化されて発行されている。『ローマ人の物語』の内容についての説明は省くが、全43巻だからといって老後にとっておいたりせず、若いうちに読んだ方がよい。
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短期大学おける教養教育

2011-11-18 22:03:31 | チラシの裏
  仕事でたまたま考える機会があったので、短期大学における教養教育について記してみたい。

  「教養」の定義は諸説あるが、短期大学においてそれを伝授するということになると、結90分15回~30回の講義の中に落としこめる内容でなくてはならない。というわけで、伝達可能な知識または訓練によって獲得できるスキルということになる。「教養」は、人格レベルの属性であって、そのように対象化できるものではないという異論もあるだろうが、教育の場では人格とは切り離して扱えるものとせざるえない。

  さて、学生募集における短期大学のライバルは専門学校である。教養教育の存在は、短大が専門学校と差別化する際のアピールとなるという考えがあるようだ。

  しかし、個人的にはこうした考えに疑問を持っている。

  第一に、教養教育にあまり効果が無いことである。文系大学ならば、語学、哲学、法学、経済学などの講義を置くことになるだろう。僕の知る限りでは、そうした講義は大教室での一方的な講師の語りに陥りがちで、真剣に聞いている学生は一握りである。もちろん、例外的に熱心な学生もいるだろうが、多くの学生は単位を取る必要に迫られてしぶしぶ出席しているだけである。そういうわけで、専門とは異なる分野の思考に触れるせっかくの機会なのに、学生に十分伝わらないまま終わっていることが多いように思える。

  第二に、世間一般が短大卒に期待する「教養」と、学校が教養教育で用意する「教養」とに、ズレがあることである。後者では、専門とは違う分野の思考や知識に触れさせることが狙いであり、異分野の人々とのコミュニケーションを容易にする基盤を提供しようとする。しかし、一般社会で「教養がない」とされるような人は、単に漢字が書けなかったり、ちょっとした概念がわからなかったりする人のことである。社会のリーダーともなるとそうした教養とはまた違った人格的要素が求められることになるが、短大卒における教養としては漢字や語彙を通した評価の方が一般的だろう。

  第三に、上のように効果が薄く、世間とはズレた教養教育を短大が施している実態があることによって、無駄なカリキュラムの無い専門学校の魅力が逆に高まっているという可能性もある。すなわち、教養教育の存在は短大にとってハンデになっているかもしれないのである。

  以上のような理由で、短大が教養教育を対外的にアピールしても、実態が伴わず、空回りする危険の方が高いように思える。おそらく、短期大学士の教養教育としては、法学や哲学の講義を聞かせることよりも、日本語表現・漢字・SPIなどドリル教材をたくさんやったほうが、彼・彼女らの人生に役に立つだろう。

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健康かつ明朗で後ろ暗いところのないジャズ

2011-11-16 12:07:30 | 音盤ノート
Jack Dejohnette's Special Edition "Album Album" ECM, 1984.

  ジャズ。デジョネットのプロジェクト"Special Edition"の四作目で、Jack Dejohnetteが打楽器と鍵盤を担当するほか、John Purcell(alt saxs, soprano sax), David Murrey(tenor sax), Howard Johnson(tuba, barytone sax), Rufus Reid(bass)という編成。

  初期の二作"Special Edition"(ECM, 1979)と"Tin Can Alley"(ECM, 1980)は、伸縮するリズムの上で二つの管楽器をバトルさせるというコンセプトだったが、このアルバムはアンサンブル重視の作品。ユニゾン部が長い時間展開し、ソロにスポットを当てない曲もある。曲は楽しく祝祭的なオリジナル曲で占められ、全体として分かりやすく健全だという印象である。とはいえ、かっちりと締まった作品かと言えばそうではなく、デヴィッド・マレイがフリートーンで暴れ回る曲や、三つの管がアトランティックのチャールス・ミンガス・バンドのように混沌を作り出す曲もある。一歩間違えば深みの無い退屈な作品になるところだが、手数の多いドラムと一筋縄ではいかない管楽器奏者たちの働きでそれなりの緊張感を感じさせる演奏となっている。

  この後のSpecial Editionは良い管奏者を見つけられなくて毒気を失ってくのだが、この作品はギリギリのバランスの上に成りっている。ジャケットも内容もECMらしくないが、1980年代半ばまではECMでもこういうのが許されたていたのがわかって面白い。
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映像ではこの本の魅力は伝わらない、たぶん

2011-11-14 23:01:12 | 読書ノート
マイケル・ルイス『マネー・ボール:奇跡のチームをつくった男』中山宥訳, ランダムハウス講談社, 2004.

  あるメジャーリーグ球団のゼネラル・マネージャーをした男の伝記。ゼネラル・マネージャー(略してGM)とは、メジャーリーグにおいては現場の監督とは別に、チーム構成や選手の獲得を行う業務である。日本のプロ野球界にも1990年代からそのようなポストが浸透しはじめ、現在では定着した観がある。

  この本の主人公、オークランド・アスレチックスのGMをしていたビリー・ビーンは、費用対効果を考えたチーム編成を究めることで、貧乏球団でもシーズンを勝ち抜けることを証明した人物として描かれている。彼は、従来の経験と勘に基づいた選手獲得を旧弊として、統計にもとづいた評価を導入する。しかも、勝利に貢献するデータのみを重視し、打点や本塁打の数よりも出塁率や長打率が高い打者を獲得しようとする。本書では、このような細かい評価ポイントの説明が多く、スポーツ紙の野球データのページを見ながらひいきの選手の成績について一喜一憂したことないような人には、読み切ることは難しいかもしれない。

  実のところ、アスレチックスの躍進がビリー・ビーンの手腕の結果かどうかには異論もあり、その説得力は微妙なところである。また、誰もが指摘するように、彼の時代のアスレチックスは地区優勝はできてもプレーオフを勝ち抜けていない。だが、本書の野球選手の能力に関する議論は面白く、野球界に一石を投じるものとして評価できるだろう。

  なお、本書は2006年に同出版社から文庫化されている。今年になって映画が公開されているが、原作の重要な部分である数字の話は、映像に反映されていないと推測する。
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静岡市内にある常葉短大の「他県人会」

2011-11-11 21:33:04 | チラシの裏
  都内や関西地区にある有名大学ならば、全国から学生が集まることもあって、県別に「県人会」なる互助組織が存在している。しかし、僕の勤務する常葉短大は、地方の無名私大ということもあって、全国から学生が集まるようなところではない。一学年400人ほどいるうち、97%が静岡県内出身者である。残り3%の10人強では県別に組織を維持できない。そういうわけで、静岡県外出身者が協力して「他県人会」なる組織を立ち上げている。

  残念ながら、他県人会では、就職のためのコネクションづくりという、普通の大学県人会ならば持っている機能を有しない。そういう面での魅力は無い。だが、互助組織という面ではそれなりにうまく行っている。会員は、お互いを借間に呼び合ったりして、いろいろ情報交換しているようである。親元から離れ、慣れない土地でアパート暮しや寮暮しをするという境遇が同じならば、必ずしも同郷でなくてもいいのである。発足してまだ二年ということもあって、卒業生ネットワークは充実していないが、今後そういうのも構築できれば理想的である。

  さて、この他県人会。普段はひっそりと活動、というか会として公式に活動するようなことは三か月に一回も無く、他の学生の目にもつかない。だが、学園祭ではそれなりの存在感を示す。物産展を開き、他県人会員学生の出身地の特産品を売るのである。物産展は、静岡に異文化の風を吹き込むささやかな貢献といったところだろう。明日から二日間の学園祭が始まり、年に一度の大々的なアピールの機会である。言い忘れたが、僕がこの会の顧問をしている。
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ネットショッピングでの失敗と反省

2011-11-09 21:05:01 | チラシの裏
  ネットショッピングでの小さな失敗について愚痴らせてほしい。

  勤務する短大の学園祭で、静岡県外商品の物産展を催す予定である。そのため、静岡市内では手に入らない商品──レトルトカレーや缶詰、お菓子など──を、ネットで探して大量購入している。店舗のいくつかは、地方の小企業だったり商工会や組合だったりするため、使い慣れたアマゾンや楽天のように、すべてクレジットカードで決済というわけにはいかない。着払いだったり、郵貯振込だったりして、支払が面倒なこともある。

  失敗というのは、ある商品に二重に支払ってしまったことである。というのも、その品を先週木曜日に注文したものの、どのように支払う予定だったか翌週になって忘れてしまったためである。支払は着払いと郵便局への振込の二種類があったが、どっちだったか覚えていない。火曜になっても届かないし、先方からのメールもない。いろんな店舗でさまざまなものを購入していた最中だから、一つの商品をどう扱ったか記憶していないのである。なので、もう一度その商品のHPを見直すと、振込の確認をしてから発送すると書いてある。なので今朝、郵便局で代金を振り込んだ。そして家に帰った今夜、佐川急便が来て「着払いのお品が届きました」ときた次第である。

  商品HPには確認用アドレスがあったので、ちゃんと問合せのメールを送っておけば良かったと反省することしきり。だが、学園祭のある土曜までに郵送される日数を考えると、今日がギリギリであったためにちょっと焦ってしまった。「先方が注文時に確認メールを送ってくれたらこんなトラブルにならなかった」と愚痴りたいところだが、そういう業者がある可能性を考えて記録をとっておかなかったこちらのミスだろう。現在振り込んだ分の返金を請求しているところだが、どうなることやら。
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