29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

戦前日本のレコード検閲の実態、特定個人に頼りすぎ

2024-02-28 19:02:51 | 読書ノート
毛利眞人『幻のレコード:検閲と発禁の「昭和」』講談社, 2023.

  日本におけるレコード検閲史。著者は音楽評論家。巻末リストに挙げられている、検閲で発禁になった作品のいくつかは、探せばネット経由で聴くことができる。実際聴いてみると、「この程度で…」と思わされることがたびたびだった。

  レコードは19世紀末に発明され20世紀初めには日本国内で流通するようになる。だが、1930年代までは国レベルでの制度化されたレコード検閲というのは無かった。ただし事後検閲はあって、明治大正の間、すでに発売されて流通してしまったレコードを、各県あるいは様々な省庁が内容いかんで場当たり的に規則を適用して取り締まっていた。それが1934年の出版法の改正によってレコードが適用対象となり、ようやく国レベルで発売時に検閲が実施されるようになったという。

  対象となったのは、漫才を録音したレコードのエロいセリフ、大衆音楽ではエロい歌詞や歌い方を備えた歌謡曲(「ねぇ小唄」なるジャンルがあったとのこと)、治安に悪影響すると考えられた演説レコードなどである。戦時中になると音楽スタイルまでチェックされるようになり、軍歌ばかりが幅をきかせるようになる。また、検閲主体も内務省(ただし数名)から軍に替わったとのこと。だが、そのような状況下でもジャズを用いた邦楽がたびたび検閲で見逃されることがあり、さらに英米のオーケストラによるクラシック音楽も発売されることがあった。

  内務省で実際にレコード検閲を行っていたのが小川近五郎という人物で、経歴の詳細は不明なところがあるらしいが、たびたびメディアに出てきては検閲官としての視点を語っていたとのこと。ただし、検閲は少人数で行われており、漏れも多かった。レコードが流通した後で市民からクレームが付き、後から発禁にすることも多々あった。第二次大戦の敗戦後しばらくの間行われたGHQによる検閲のほうが、検閲官の人数が多く(1万4千人いたとのこと。ただし活字担当のほうが多かっただろう)、また検閲の痕跡も残さない点で洗練されていた、と評価されている。

  以上。国家による検閲というと官僚的で厳格だというイメージも付随する。だが、レコード検閲に限れば基準があいまいで検閲官個人に依存するところが大きく、組織的なものに十分なりえてなかった(ただし処分に関しては厳しい)というのが読後感である。GHQにように資源をふんだんに投下して集中的に実施できなかった、というのが日本の弱さかもしれない。検閲そのものより、目的を達成するための組織運営というかマネジメントの問題の方に頭を抱えてしまう。
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西洋人の心理が特異なのは教会が親族関係を破壊したから

2024-02-13 20:38:08 | 読書ノート
ジョセフ・ヘンリック『WEIRD「現代人」の奇妙な心理:経済的繁栄、民主制、個人主義の起源』今西康子訳, 白揚社, 2023.

  文化心理学と世界史。さまざまな民族の間にある性格の異同を検証しながら、西洋人特有の精神的特徴を浮彫りにする。それだけでなく、そのような特徴を持つに至った原因にまでさかのぼり、それが歴史的にどのような結果をもたらしたのかについて論じている。著者は『文化がヒトを進化させた』の邦訳のある進化人類学者で、原著はThe WEIRDest People in the World : How the West Became Psychologically Peculiar and Particularly Prosperous (Farrar, Straus and Giroux, 2020)である。

  文化間比較によると、個人主義的傾向、分析的思考、傾向性主義(行動の原因を個人の置かれた状況にではなくその個人の性格に求めること)、非人格的向社会性(非血縁者や見知らぬ人を信頼する度合いが高いこと)の四つは、他の文化では見られない西洋人の心理傾向であるという。(ただし現代では非西洋人でも都市に住む大卒者ならば同じ心理傾向を持つ)。

  非西欧圏では、個人は親族ベースの人間関係の中に埋め込まれており、それが生きる上でのセーフティネットになっている。個人のアイデンティティは親族関係によって外から与えられる。結婚相手は親族ネットワークを通じて決まる。そして、年長者か否かなど相手によってコミュニケーションスタイルが変わる。すなわち関係に合わせた自己の表出となるため、外から見ると人格において一貫性が無いようにみえる。財産があったとしても、それは個人のものではなくその家系のものであって自由に処分できず、偶然得られた収入に対しては親族間で共有しようとういう圧力がかかる。したがって、蓄財に努力する動機がない。こうした親族重視の社会システムは世界各地で見られる現象であり、進化学を踏まえれば理解できるものだと著者は記す。

  特異なのは西洋人のほうで、なぜ上記のような特徴を持つに至ったのか。それはカトリック教会の影響だという。中世の教会は婚姻形態を監視し、一夫多妻から、寡婦を死亡した夫の兄弟が娶ること、さらにかなり遠い血縁関係の間での結婚までを禁止した。これによって古代ヨーロッパに存在した各部族の有力氏族が解体されてしまい、家庭は夫婦と子どもだけで構成される核家族となってしまった。親族ベース社会が失われた結果、経済的自活は個人の才覚と勤勉さに依存することになった。また、個人は非血縁者と協力して共同体──教会、ギルド、都市──を作り、新しいセーフティネットとした。それら共同体は(キリスト教が基盤にあることもあって)構成員間で公正・平等な意思決定システムを作り上げた。

  西洋人の心理傾向は、中世に広まった上のような環境に適応したものだという。そして、こうした心理傾向が、結果として民主制や産業革命をもたらしたとする。以上のような仮説について、著者自身によるものも含めて「心理傾向⇒社会制度」という因果関係を予測させる研究結果を示しながら補強してゆく。もちろん、完璧な証明ではないけれども。だが、全婚姻に占めるいとこ婚の割合によって国の間に心理傾向に違いが現れることや、同じ民族の中でも市場への近接度で私有に対する感覚が違うなど、関係があるなどとはまったく想像したことすらないような概念間の相関関係を示唆する研究結果や実験結果が紹介されていて、驚かされることばかりである。なお、日本は個人主義的な西洋と親族ベース社会(例えば中国)のちょうど中間あたりに位置づけられている。

  本書はグローバルヒストリーという領域を数段上に引き上げる内容である。これまで読んできた多くの近代化や経済発展をめぐる議論──ウェーバーほかの近代化論、開発経済学、経済学の制度学派、社会関係資本、フランシス・フクヤマ、日本の山岸俊夫の研究などなど──が、本書によってきれいに整理されてしまった。特に、制度が先かメンタリティが先かという議論に対して、文化と心理の共進化という回答を説得力を持って提示していることは大きい。しかも、親族ベース社会⇒農耕⇒親族社会のメンタリティ強化⇒教会⇒西洋人の心理傾向の形成⇒民主制・経済発展と、きちんと要素間の順序を与えている。もちろん細かいところに疑問がないわけではない。けれども、筋書としての完成度は非常に高いと言える。この本を読んでない人間に、普遍性とか文化相対主義を語ってほしくない、と思えるレベルである。
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図書館員によるSTEM教育の事例集、将来の発展に期待

2024-02-04 11:42:41 | 読書ノート
Victor R. Lee, Abigail L. Phillips, eds. Reconceptualizing Libraries : Perspectives from the Information and Learning Sciences. Routledge, 2018.

  図書館員による10代を対象としたSTEM教育の実践事例集。STEMと言えないケースも少々ある。ただし当初からそう意図されて作られたというわけではなくて、序文を読むと情報科学と学習科学それぞれの成果を共有・活用することを目指していたことがわかる。だが、編者らが図書館関係者に執筆を呼び掛けた(?)結果そうなったのだろう、集まった論文からは「科学」の印象はない。ただし、これは新しい試みであり、2017年に創刊されたというInformation and Learning Scienceなる学術誌を通してその発展が期待されている。

  どのような事例が挙げられているのか。メイカースペース、照明を備えた壁画のデザイン、プログラミング教育、代替現実ゲーム(ARG)、VRを取り入れた学習、図書館員のメンターシップ、地方の小図書館での青少年利用の促進、ケーススタディを挙げての学校司書の役割論などである。14の論文のうち、12章だけが因果関係を科学的に検討している。といってもレビューであり、ハッティ著『教育の効果』の効果などを参照しながら、図書館員が10代の子どもたちを相手にどうSTEM教育に取り組んでいけばよいかについて検討している。

  個々の事例自体は興味深く、それなりに参考になる。インターネット検索を用いる事例では、米国だと子どもの親や教育団体を意識せざるをえないことがわかる。また、子どもの側も大人が入ってくることに警戒感があるそうで。そういうわけなのか、SNSを用いる事例はない。なお執筆者は米国人(米国在住者?)しかいないのに、出版社は英国である。
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議論が散らかり気味の人間行動の生物学的説明、要は行動の原因はいろいろ

2024-02-03 21:25:39 | 読書ノート
ロバート・M.サポルスキー『善と悪の生物学:何がヒトを動かしているのか』大田直子訳, NHK出版, 2023.

  その人があるときなぜそのように振る舞うのか、ということを生物学的に説明することを試みる一般向けの書籍。上下巻合わせて1100頁を超える大著である。著者は、霊長類の観察もしている神経科学者で、スタンフォード大学の教授。原書はBehave: The Biology of Humans at Our Best and Worst (Penguin, 2017)である。

  人間行動の生物学的な説明、といっても多層にわたっている。まずは行動を決定する脳の構造の話で、偏桃体や前頭葉といった部位がどのような機能をつかさどっているかが説明される。直後に外界からの刺激をどう処理するのかという議論になり、以降、ホルモン、ニューロン、前頭葉、遺伝、文化の影響、と上巻は続く。行動に影響する要因をあれこれ採り上げて、その影響の程度について正しい認識を提供しようというのである。著者は、行動遺伝学者が主張するほど遺伝の影響は大きくなく、環境の影響のほうが大きいという立場を採る。下巻は、敵味方の認知や暴力発生のメカニズムについてである。道徳的直観というのはあるが、善悪の割り当てについては学習する部分もあるというのがその主張の一つである。生理的な嫌悪反応や共感だけに頼るのではなく、推論を働かせることは人間社会の進歩に重要だとのことである。

  端的には遺伝と環境の相互作用論である。それぞれの影響の程度については議論が残るものの、結論についてはまあそうだよね、という感想である。本書は話の幹のところよりも、脱線となる部分が面白い。特に著者が霊長類を観察した成果の話は秀逸である。群れの上位の雄に攻撃された下位の雄は、ストレスの高まりを示すホルモンが多く分泌される。しかし、その下位の雄がさらにその下位の個体を攻撃すると、ストレス反応は低下するらしい。「弱いものいじめは体にいい」のである。これは人間の場合でも同様であるとのこと。ただし、最下位の個体はストレスフルで早死にするわけで、そのような階層システムが望ましいなどと言っているわけではない。このほか、テストステロンは攻撃性を強めるのではなく、個体がすでに持っている行動の傾向を強めるだけ、というのも新知識だった。

  全体としては著者の主張が多岐にわたり、話があちこちとっちらかっている。著者のざっくばらんな書きぶりに従って部分部分を楽しめばよいと思う。
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