29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

どの録音から聴くべきか?"Music for 18 Musicians"

2008-09-30 12:07:52 | 音盤ノート
Steve Reichの"Music for 18 Musicians"は、20世紀を代表する名曲である。この曲には2008年9月現在で5種類の録音がある。以下では、どの録音がもっとも良いか、簡単に検討したい。次に、レーベル、演奏者、アルバム・タイトルを示す。

 1. ECM, Steve Reich & Musicians "Music for 18 Musicians"
 2. Nonesuch, Steve Reich & Musicians "Music for 18 Musicians"
 3. BMG, Ensemble Modern "Music for 18 Musicians"
 4. Hungaroton, Amadinda & Musicians "Music for 18 Musicians:Live in Budapest"
 5. Innova, Grand Valley State University New Music Ensemble "Music for 18 Musicians"

 この他にも、初演時の抜粋の録音などがあるが、完全版ではないので検討から省く。

 最初に結論を言うと、最も素晴らしいのは作曲者本人によるECM盤である。録音は1978年と最も古いが、適度にラフというか人間味のある演奏となっている。緊張感がすばらしい。レコード会社のECMはピアノの残響音を独特に処理することで有名だが、この録音でもマリンバ等の旋律打楽器をきれいに響かせている。ただ、楽章ごとにトラックを分けず、1トラック56分という収録になっているのが難点だ。
 1996年のNonesuch盤も作曲者本人による録音だが、ECM盤とはかなり異なり、正確かつ整理された演奏である。演奏時間も67分と長い。一つ一つの音が均等にクリアーで、かなりメカニカルな印象を与える。なんというか、「硬い」演奏だ。
 その後のドイツのEnsemble Modern(アンサンブル・モデルン)による演奏は、特徴が無いというかあんまり印象に残らない。前半はNonsuch盤に近い演奏でメカニカルなのだが、後半はECM盤のようになる。ちょっと中途半端か?
 ハンガリーの演奏家によるHungaroton盤は、ライブ録音で音は悪いし、録音バランスを崩しているように聞こえる箇所もあるが、それでもなかなかの名演。特にスピード感は素晴らしく、ECM盤に匹敵する疾走感が味わえる。見つけにくいCDだが、ECM盤とNonesuch盤の次にお薦めしたい。ところがこれも1トラック一時間の収録であることがマイナス。
 最後のInnova盤は、大学主催のアンサンブルによるもので詳細不明。SACDとのハイブリッド盤だが、僕のCDプレーヤーの都合上普通のCDとしてしか聴いていない。録音にこだわりがあるらしく、きれいに録れてはいる(旋律打楽器もつやのある音を出しているし、低音部はよく響いている)のだが、演奏がややぎこちない。女声部は全然聞こえないし、他の録音ではフェイドインしてくるような箇所も、唐突に演奏が始まったりする。

 そのようなわけで、初めてこの曲を聴くならば、ECM盤をまず聴いてみることを薦める。この録音はこの曲の基本的な解釈を提供しており、他の演奏家もかなり参考にしていると思われる。Nonesuch盤は入手しやすいけれども、次がいいだろう。

(2008/10/03改訂)
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朝の読書をめぐって

2008-09-29 16:20:37 | 読書ノート
山崎博敏編著『学力を高める「朝の読書」:一日10分が奇跡を起こす;検証された学習効果』メディアパル, 2008.

「朝の読書」の成果についてのおそらく本邦最初の実証研究であり、歓迎したい。「朝の読書」の意義にケチをつける者は多くなかったとはいえ、これまでその効果を伝える報告事例はエピソードの域を超えるものではなかったからだ。

 全体は7章構成であり、1,2章で調査の意義と方法が示される。「朝の読書」に関連する調査データは、3章でと授業との関係から、4章で学校での人間関係との関係から、5章で家庭との関係から、6章で学力との関係から提示されている。7章の結論では、“朝の読書は、学校での授業や学習、学級の雰囲気や教師と児童生徒との人間関係に影響を与えていることは疑いないといえよう”と述べられている。

 以下疑問点。

①すべてのトピックで重回帰分析をすべきではないか? この研究では、授業の工夫や、学校での人間関係の良好さ、親子関係などについて、学校での「朝の読書」の実施の有無を唯一の独立変数とするモデルで検証している。だが、これらに影響すると予想される変数は多く考えられる。実験環境ではない、つまり被験者は他の影響に対してコントロールされていないのだから、変数はもっと多く採るべきだろう。このデータでは、学校のある地域が隠れた変数となっているのではないかという疑問が残る。

②学力についての重回帰分析で二つの重要な独立変数が抜けている。一つは、「家にある本の数」で、TIMSSでも文部科学省での学力調査でも尋ねられている。『ヤバい経済学』でも問題になった項目である。もう一つは親の学歴、特に母親の学歴で、社会学系の調査ではよく重要な項目として採り上げられている。それぞれ学力または学習意欲と相関があることは知られている。
 6章で与えられている独立変数はとても限られており、学力に影響すると想定される変数を十分含んでいない。したがって、結果は「朝の読書」が有意に学力に影響するものであることを示しているものの、その説明力に疑問を残すものとなっている。

③あと、日本の読書教育特有の問題だが、読書の人格形成への影響力が「先生にとって良い」方向に考えられすぎていて、この研究もその影響を強く感じる。欧米の研究では、読書の効果は識字と読解力だと限定されて把握されている。人格がどうなるかは読むものに依存するだろう。だが、日本では、どんな本でも、読書をすれば道徳やコミュニケーション能力において優れた人間となると考えられているようだ。だがこれは過剰な期待のように思える。このような予断は避けるべきだろう。

 以上。
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人間の普遍性について今さらながら

2008-09-25 16:46:25 | 読書ノート
ドナルド・E.ブラウン『ヒューマン・ユニバーサルズ:文化相対主義から普遍性の認識へ』鈴木光太郎, 中村潔訳, 新曜社, 2002.

 文化人類学分野の書籍で、専門書と一般向け書籍の中間にある本。著者は、人類には“文化に関わらず”普遍的な特徴──物理的なものだけでなく、精神的な面でも──がある、と主張する。

 しかし、なぜそんな“今では当たり前”のことをわざわざ言わなければならないのか? その重要性は20世紀の文系の学問の潮流を掴んでいないとよくわからないかもしれない。本書は、20世紀の人類学でどれほど文化相対主義が強固だったかを説いている(解説も簡単な文化人類学史でありがたい)ので、その意義についてわかりにくいということは無いだろう。

 とはいえ、原書は1991年発行でやや古い。今この話題に関心を持った方には、ピンカーの『人間の本性を考える』1)の方を薦めたい。文化人類学だけでなく、ジェンダー・フェミニズムなど20世紀の文系の思考を支配した考え方全般をやり玉に挙げている。ただし、ピンカーの方は話の進め方が上手すぎて読者は何か丸め込まれた気分になる。が、本書の書き方は慎重であり・落ち着いて論旨を検証できる。

-------

1) スティーヴン・ピンカー『人間の本性を考える:心は空白の石板か』山下篤子訳, NHKブックス, 2004.
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効果的な外国語学習

2008-09-24 16:56:56 | 読書ノート
白井恭弘『外国語学習の科学:第二言語習得論とは何か』岩波新書, 岩波書店, 2008.

 外国語の習得に関する研究を整理して、外国語学習に指針を与える啓蒙書。この分野に素人の僕には面白かった。いろいろな知見が得られるが、特に重要なのはインプットだそうだ。つまり、大量の外国語を読み・聞くこと(最終的にはアウトプットが求められるという条件が付く)。インプットが不十分なまま会話や作文をやらせても、効果的ではないらしい。

 ところでこの分野の第一人者として本書で名前がよく挙がっている“S.クラッシェン”って、もしかして『読書はパワー』の著者と同一人物か?
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年配者の割合高すぎ

2008-09-20 09:07:24 | 図書館・情報学
 図書館大会のために神戸に行ってきた。参加者の高齢化が進んでる模様。もっとも若くて僕ぐらい(30歳半ば)か? 非正規雇用の司書たちの労働組合を作ったほうがもっと活気が出ると思う。けれど、有資格者が過剰に供給されているから、かなり弱い団体になるだろうな。大学が司書資格を乱発しているせいです、すいません。
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一般向け書籍の適切サイズ?

2008-09-18 14:45:59 | 読書ノート
ジョン・マクミラン『市場を創る:バザールからネット取引まで 』瀧澤弘和, 木村友二訳, NTT出版, 2007.

 市場が上手く機能するための条件について解説した“一般向け”の書籍。かなりわかりやすく書かれており、スラスラ読める。

 個人的に気になったのは、内容ではなくパッケージの方。

 専門家向けの学術書でもなく、図表が満載というわけでもない(図表はゼロ)のに、なぜA5版ハードカバーの横書きなのだろうか? 平易な内容なのに、これでは一般の人が手に取りにくく、ずいぶんいかめしい印象である。

 この種の内容なら、ふつう四六版縦書きで出版するはずである。ページ数の問題を指摘する向きがあるかもしれない。だが、そもそもこの本のフォントが大きいので、それを小さくすれば、版型が小さくなってもそれほどページ数は増えないと思われる。

 大学での教科書として売るつもりなのかもしれないが、それならソフトカバーでも良かっただろう。A5版でハードカバーの書籍は、普通の人がアクセスするには敷居が高いと思うが…。版型やデザインを変革する試みかなのかだろうか?謎である。
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二度手間

2008-09-17 15:47:19 | チラシの裏
某銀行で窓口振込みを行った。所定の振込用紙使用で、機械ダメ・10万円以上の手続き。終わって家に帰ったら銀行から電話が来た。「10万円以上のお振込みには本人確認が必要でしたが、こちらの不手際で忘れていました。身分証明書を持ってもう一回来てください」と。しようがないのでもう一回いってきましたよ。疲れます。銀行側はお詫びと称してハンカチをくれたよ。
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他人が知っているということを知る

2008-09-12 08:51:01 | 読書ノート
マイケル・S-Y.チウェ『儀式は何の役に立つか:ゲーム理論のレッスン』安田雪訳, 新曜社, 2003.

「人々の間で協力関係が築かれるためには何が必要か?」について考察した本。著者は、協調行動が生まれるためには、「人々が情報を共有している」だけでなく、「人々が情報を共有していることを知っている」ことが必要だと説く。このレベルの知識を「共通知識」という。で、人々が情報を共有していることを確認させるものが、儀式であり、メディア・イベントである、と。

 ただ、本書の中でこの概念の妥当性が証明されているわけではない。むしろ、この概念を使うことで、さまざまなイベントの意味をよりよく解釈できると主張する本である。付録で、ゲーム理論を使って協調行動について説明しており、理論的裏づけとはなっている。だが、やはり、人間行動の裏づけには生理学的な検証あるいは心理学式の実験が必要であろうという気がする。

 しかし、アイデア自体は面白い。これに従えば、読書やブログで知識が普及しても、協調行動が生まれる可能性は低いだろうと予想できる。読者間で何を読んでいるのかわからないので、「その情報を彼が知っているということを知っていない」状態だからだ。世間の「教養」への期待は、本書でいう共通知識の形成にあると推測できるのだが、現代においてはそれを形成する難しさの方を痛感する。
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開発経済学の二冊

2008-09-08 17:49:41 | 読書ノート
ウィリアム・イースタリー『エコノミスト南の貧困と戦う』小浜裕久ほか訳, 東洋経済新報, 2003.
ジェフリー・サックス『貧困の終焉:2025年までに世界を変える』鈴木主税, 野中邦子訳, 早川書房, 2006.


 二冊とも開発経済学の書籍であり、両者の間で論争があったことは知られている。サックスの書籍の前半部分は、読み物としての面白さに特に秀でている。著者の、途上国政府へのアドバイザーとしての経歴や、国際機関の委員を務めた経歴が華やかだからだ。一方、途上国への貧困に対する分析はイースタリーの方が細かい。

 両者とも、グローバル化した資本主義経済の信奉者であり、この点では共通している。意見が分かれるのは、国際的な経済支援を効果的に使用する被援助国の能力についてである。イースタリーは、その能力について懐疑的である。被援助国は、経済発展へのインセンティヴを欠いている場合がある。結果、市場原理が機能せず、公教育に失敗し、汚職がはびこるという。したがって、インセンティヴが上手く働くよう、まず制度設計が必要となる。

 一方、サックスは、そもそもこれまで行われた援助額が少なすぎたので、経済発展から取り残された国が出てくるのだと主張する。彼によれば、多少の汚職があっても、十分な金額があれば途上国も発展できるという(彼は自然条件や地理的位置を経済発展を阻害する要因として強調している)。したがって、途上国の債務を帳消しにし、より大きな額の援助を与えれば経済発展へと離陸するはずだと。

 サックスの議論は楽観的過ぎるように思えるが、貧困を減らすための方法は明確である。一方、イースタリーの議論は分析的だが、変数が多すぎて貧困撲滅のために何から手をつけていいのかわからなくなる。残念ながら、素人の僕にはどちらが“経済的”なのかを判断する見識は無い。ペンディング。
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読書推進派の基本アイテム

2008-09-02 17:35:07 | 読書ノート
バリー・サンダース『本が死ぬところ暴力が生まれる』杉本卓訳, 新曜社, 1998.

 読書についての記事を読むとよく引用されている本である。けれども、良い本とは言い難い。その中身は、著者の思い込みと論旨に都合の良いエピソードで構成されている。「識字と道徳的感性や認知能力の間に因果関係がある」という著者の主張は証明されていない。その説を実証する“よくコントロールされた”データも提示されていない。メディアが人格のかなりの部分を形成するという議論は、現在の学問水準からみてそもそも過大評価の疑いが濃い。暴力という現象を理解するには生物学の本を読んだ方がいいだろう1)

 上に述べたようなことはみんな気付いているのかもしれない。けれども、読書運動家は主張を補強するためにこの本をしばしば使っている。その意味で「政治的」な文書といっていいかもしれない。まあ「罪深い」と言うほど世間に被害を与えているわけではないけれども。

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1)デイリー&ウィルソン『人が人を殺すとき:進化でその謎をとく』長谷川眞理子;長谷川寿一訳, 新思索社, 1998.
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