29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

トリオとはいうものの基本ピアノソロでリズム隊はオマケ

2010-09-29 08:04:22 | 音盤ノート
Marcin Wasilewski Trio "January" ECM, 2008.

  ポーランドの若手ピアノトリオ。Wasilewskiは、Tomasz StankoやManu KatcheのECM録音にも参加しており、00年代にはポストJohn Taylerとでもいうべき位置にいた。このリーダー作はECMでの二作目。

  ピアノはリリカルでもったいぶっており、リズム感は完全にクラシックである。弾きまくるということもない。また、リズム隊は、一定のパターンを反復することはなく、ピアノが始まったらあまり熱心さを見せずに後ろから追いかけてくるだけで、自己主張は控え目。ドラムはそれでも効果的にツボを突いてくるが、ベースがやや弱いのが残念なところ。

  前作の"Trio"(ECM, 2006)もそうだったが、前半の曲はとても素晴らしい。一曲目は自作の"The First Touch"、次がGary Peakock作でKeith Jarrettの演奏で有名な"Vignette"と、珠玉の名演が続く。ピアノは静かにメロディを弾いているだけなのだが、添えられた和音の美しさは完璧である。後半はトリオ演奏のバリエーションを見せようと実験的になる曲があるため、前半の快楽は続かない。それでも総合的に見てかなり高い評価を与えることができるだろう。
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効果的な商売の方法が分かるも、なぜ効果的かはわからない

2010-09-27 14:15:45 | 読書ノート
W・パウンドストーン『プライスレス:必ず得する行動経済学の法則』松浦俊輔, 小野木明恵訳, 青土社, 2010.

  どちらかといえば価格付けを主題とした内容であり、それ以上でも以下でもない。副題にある「行動経済学」の領域から多くの知見を引き出しているが、カヴァーしているのは領域の一部分というところではないだろうか? その意味で「行動経済学の法則」と銘打つにはやや狭い内容である。著者はジャーナリストで、ゲーム理論や選挙の科学など邦訳も多い。

  その言わんとするところは「人はモノの価値の序列をつけることはできる(序列の感覚はある)。しかし、それぞれに適正な価格をつけることはできない」ということのようだ。結果として、売る側は価格を操作する余地があるという。前半はプライミングやアンカリングなどの概念の発達史であり、それらを考え出した研究者らの人物に沿って解説される。後半は「効果的」な価格付けの実践例を並べており、売り手の顔写真(若い女性がほほ笑んでいるもの)をダイレクトメールにつけたり、商品を紹介する順序を変えたりするなどの事例が紹介される。

  個々のエピソードはそれなりに面白いのだが、「紹介された方法が効果的である理由」についての説明が無いところが不満である。そのために雑多なトピックの羅列という印象が残る。価格に関する人間行動を説明する統一的な理論については、この領域とは別のところに求めるべきだろうか?
  
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高速つぶやき路線を完全封印して朗々と歌い上げる

2010-09-24 23:13:01 | 音盤ノート
Underworld "Barking" Cooking Vinyl, 2010.

  テクノ。僕は、"Dubnobasswithmyheadman"(Junior Boy's Own, 1994)からこのアーティストを聴いているとはいえ、前作の"Oblivion With Bells"(PIAS, 2007)は購入していなかったというあまり熱心でないファンである。なので、前作との比較はできない。

  全体としてボーカル曲が多いのが特徴。しかし、1990年代の"Born Slippy NUXX"や"Pearl's Girl"のような、音程を上下させずに矢継ぎ早に言葉を並べてゆくだけのボーカルスタイルの曲が代表曲なだけに、このアルバムでの「普通にメロディがある+歌い上げるボーカルスタイル」は意外である。以前は感情を抑制したボーカルと躁病的なリズムという組み合わせが曲に緊張感をもたらしていた。だが、このアルバムでのボーカルスタイルは、曲をあまり尖ったところの無い1980年代風エレポップのように変えてしまっている。

  全盛期が終わったアーティストのマイナーチェンジと捉えればいいのだろう。楽曲はいつも通り冷やかで悪くない。だが、普通に歌っちゃっていいのかなあ、せめて"Two Months Off"レベルの曲があればなあ、という戸惑いが残る。僕の方も歳をとった。
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「非アメリカ的なもの」としてヨーロッパを定義。

2010-09-22 11:58:46 | 読書ノート
トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史(下):1971-2005』森本醇訳, みすず書房, 2008.

  以前のエントリの続き。下巻では、1960年代が終わった後の、イデオロギー対立が消滅した時代以降を扱っている。1970年代の、市民運動から乖離し過激化したテロの時代から、共産主義諸国の衰退と崩壊、ユーゴスラヴィアの内戦などが扱われている。目指す方向を失った時代を描いているため、上巻より憂鬱でわくわくする印象はない。

  印象に残ったのは知識人の終焉についての箇所。
(イラク侵攻についての──引用者註)デリダ-ハーバーマスの唱導は、多くのヨーロッパ人が共有していた感情を明確にしたものではあったが、ほとんど注目されなかった。それはニュースとして報じられもしなかったし、共鳴者が引用することもなかった。(p.430)

  あと、ブレアの評価がかなり低かったこと。
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図書館大会についての雑感(2)

2010-09-20 22:01:41 | 図書館・情報学
  全国図書館大会の話の続き。公式の場ではなく、個人的に耳にしたことだ──そこには関西の方々が多く居た──が、記録しておきたい。それは、司書職に屋上屋を架す上級職構想や、図書館情報学検定試験に対して、けっこうな反感があることが分かったことである。

  そもそもこうした試みは日本の図書館史においては新路線である。その目的は、貸出カウンターでマニュアルワークをする「図書館員」というイメージを変えて、もっと高度な内容の職務と結びつけようとするものである。背景には、2000年頃の公共図書館の貸出の位置をめぐる論争があり、貸出よりもレファレンスをというのが近年の潮流だった。

  その反対者には二種類いた。第一のタイプは、レファレンス能力の養成プログラムについて議論しないままにスクリーニング手段を先行させてしまうやり方に不満を持っていた。彼らは、レファレンスという方向に合意し、司書がそのために高度な知識・技能を修得する必要を認める。だがしかし、「上の人」が打ち出したのが、教育プログラムではなくて、検定試験や大学院での図書館情報学教育という人材を絞り込む選抜方式であること疑念を感じていた。試験でいい点を採ったり、大学院で教育を受けていれば、よいレファレンス・ライブラリアンなのか? というわけだ。

  第二のタイプは、レファレンスという方向性そのものへの疑問を持っていた。電子化時代にあまり将来性が無いのではないかというと疑いと、そもそも大きな需要がないのではないのかという疑いを根拠にしていた。去年もでた話である(参考)。

  で、お前の立場は?と問われそうだが、まだ定まっていないので黙っておくことにする。下世話なジャーナリズム的書き方をすれば、この問題は図書館界における関西vs.関東の新たな火種ということになるだろうか?
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図書館大会・出版流通部会についての雑感

2010-09-18 10:25:30 | 図書館・情報学
  奈良で今週末に全国図書館大会が開かれた。僕は、その分科会である出版流通部会の運営委員だったので、その会についてメモする。

  テーマは「電子出版と図書館」。iPadやkindleといった電子書籍端末の普及を見越して、図書館はどう対応してゆくべきか、という話である。講演者に、文化通信編集長・星野渉氏、夙川短大准教授・湯浅俊彦氏、国立国会図書館館長・長尾真氏、東京電機大学出版局・植村八潮氏、集英社取締役・大久保徹也氏を迎えた。

  僕が聴いた限りでは、大きな論点として、出版業を今後も維持可能なものとするビジネスモデル+著作制度の構築というのがあった。米国ではAmazon, Apple, Googleのような私企業が新しいモデルを構築している。だが、公共性を保つために、日本では国立国会図書館あるいはそれに相当する機関を作って管理したらどうかという提案があった。出版社側は望ましいとは考えていないようだったが。一般の公共図書館員に対しては、もっとデジタルデータを図書館に採り込めというメッセージだったように思う。

  議論に既視感があったことは確かである。1990年代後半のインターネットが普及し始めた頃に「電子図書館」論というのがあった。コンテンツと書誌を管理する中央図書館があれば、個々の図書館はいらなくなるというものである。もちろん、デスクトップが主流だった当時と、電子書籍端末が入手しやすいものになった現在とは環境が違う。僕の中では、時代の変化は分かったが、電子書籍端末を採り込んだ個別の図書館サービスというのがイメージできなかった。

  あと端末への個人的評価。出版社は電子書籍端末向けに雑誌を売りたいと考えている様子。だが、雑誌記事程度の短いコンテンツなら、デスクトップで読んでも十分だという気がする。外で読みたければプリントアウトすればいいし。ネットの普及がすでに雑誌のシェアを奪っているとしたら、そういうことだろう。雑誌はわざわざ電子書籍端末で読むものではない。しかし、数百ページに及ぶ書籍をデスクトップで読む気はしない。その意味で、kindleはリーズナブルだが、iPadは電子書籍としてはオーバースペックである。
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ロックバンド編成による人力テクノ

2010-09-16 09:24:06 | 音盤ノート
Steve Reich "Double Sextet / 2x5" Nonesuch, 2010.

  現代音楽。Reich新作。収録二曲のどちらも三楽章構成──お馴染みのfast-slow-fastのパターン──で全6トラック。パッケージはプラスチックケースではなく、CDケースと同じサイズの紙で出し入れし難い。

  一曲目の"Double Sextet"(2007)は、フルート、クラリネット、バイオリン、チェロ、ピアノ、ヴィブラフォンをそれぞれ二台ずつという編成。マリンバなどの旋律打楽器の音が印象的だった"Sextet"(1984)とは異なり、弦楽器の方が目立つ。合唱を除いた"You Are (Variations)"(2004)をイメージした方が近いだろう。

  二曲目の"2x5"(2008)は、エレキギター二台、エレキベース、ピアノ、ドラムというロックバンド編成。とはいえ、ギターは、ディスト―ションを効かせて弾きまくるわけではなく、かといってコードを聴かせるわけでもない。主にミュート音を奏でるのというのが仕事。ギターは完全にアンサンブルの一部となっている。メロディを奏でる中心的な楽器が無いので、あまりロックという感じはせず、人力テクノと言った方が近い。比べるならば、Pat Methenyの"Way Up"(Nonesuch, 2005)だろうが、やっぱりジャズミュージシャンとクラシック直系の作曲家は違うという思いを強くする。全体としては最近のライヒらしい作品という印象である。
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大学中退率の上昇は悪か?

2010-09-14 14:24:48 | チラシの裏
  大学中退率の上昇は悪だろうか? こう書くと誤解を招くが、大学としては、成績が学生の能力を的確に表わすよう単位認定を厳しくしたいというのが基本にある。単位を取れなかった学生はまずは留年ということになるが、そのうち何%かの学生は退学してゆくことになる。勉学する意欲のない学生、または意志があっても能力が無く留年を繰り返す学生は辞めざるえないだろう。

  現在の文部科学省の指導では、中退は悪であるようだ。しかし、大学の敷居が低くなった現在、かなりの数の意欲の低い学生または能力の低い学生が大学に入学してくる。こういう学生でも、学校側にとって中退がマイナスと考えられているために、学士としての能力が不十分でも卒業資格が与えられてしまう。「面倒見の良さ」をウリにする学校ほど、ろくにレポートの提出期日を守れない学生に対して救済措置を用意していたりするものである。

  単位認定のゆるさがもたらす問題は、その大学学部の卒業資格の信用がガタ落ちになることである。努力しても何もしなくても同じ学部の卒業生になれる。これは採用に影響する。学校側が良いと思った学生でも、教員が単位を安価にばらまいているので、成績が人材のシグナルとして企業側への伝わらない。こうした事態は、努力した学生にとって迷惑きわまりないことである。

  そういうわけで、定員割れで入学希望者をスクリーニングできないような大学では、教育レベルを保つために単位認定を厳しくしたほうがよい。そうしなければ、大学にとっても勉強した学生にとっても損な事態を招く、というかすでに招いているだろう。どこの大学でもそうすべきだとは言わない。しかし、入試が事実上機能しない学校では必要なことである。ただし、経営的観点からの反発も考えられるので、中退者を見込んで入学定員の枠を広げるのを認めることが求められる。底辺校ならばイタリアなみに50%の中退者というのもアリだと思う。

  中退者の多さが、学校の教育努力として考えられる世界というのは、おかしいだろうか?

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現代音楽を安っぽく聴かせる

2010-09-11 16:33:52 | 音盤ノート
Jimi Tenor "Recomposed by Jimi Tenor" Deutsche Grammophon, 2006.

  ドイツ・グラモフォンの音源をエレクトロニカ系のアーティストがリミックスするというシリーズの第二段。Jimi Tenorはフィンランド出身だそうだが詳細不明。

  一曲目のSteve Reich "Music for Mallet Instruments"を聴くと、オリジナルが抑制されて起伏の少ない瞑想的な作品だったのに対して、こちらはホーンとビートが絡むカラフルかつ猥雑な曲になっている。その他、ブーレーズやサティ、リムスキー=コルサフ、エドガー・ヴァレーズなどの曲が並んでいるが、肝心の原曲を聴いたことがないので、どう変わったかのかがよくわからない。全体として、音色は多彩で、あまり重くならず、「流麗でないラウンジ・ミュージック」というチープな印象をもたらす。

  クオリティは同シリーズ第三弾のCarl Craig & Moritz von Oswald作(参考)の方が上。原曲を聴いたことがある人には面白いかもしれない。
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性格がものすごく影響するというわけでは無いと読める

2010-09-09 12:47:32 | 読書ノート
辻一郎『病気になりやすい「性格」:5万人調査からの報告』朝日新書, 朝日新聞, 2010.

  性格と疾病の関係を探った著作。著者は東北大医学部の教授。たぶん「病気と性格になんらかの関係がある」ことに驚く人は少ないと思う。だが、病名と性格タイプ、その因果関係まで立ち入って、ちゃんとした調査データをもとに考察を展開しているところがこの本の長所だろう。

  扱われている病気は「肥満」「心筋梗塞」「がん」「認知症」の四つである。

  日本人においては外向的な性格に肥満が多いが、欧米ではそのような関係は認められないらしい。著者は、肥満に対する寛容度が文化によって異なり、肥満に厳しい欧米では肥満者は抑うつ傾向となるという。日本人の場合、性格→肥満度の因果関係が使われているが、欧米の場合は肥満度→性格の因果関係が使われていることに注意。

  心筋梗塞については、米国では競争指向の性格が罹りやすいとされてきたが、日本人にはそのような関係が認められないという。だが、米国でもその関係は変化したきたらしい。全体として、近年では、性格よりストレスの影響の方が甚大と言っているように読める。

  がんと性格は無関係。がん発症後に患者の希望の持ち方で寿命が変わったりするという俗説は、因果関係を逆に解釈したもので、罹ったがんの重さによって希望の持ち方が変わってくるというのが正しいとのこと。

  認知症は、内向的かつ神経質なタイプが罹るという。ただし、内向性と神経質のどちらか一つの要素が欠けていれば話は別とのこと。

  こうして見ると、認知症を除けば、あまり性格と病気には重大な関係は無く、あっても小さいものだというように感じられる。それでも、著者は最終章でポジティヴ思考を勧めるのだが…。
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