29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

カタルシスに欠ける殺伐と荒涼のフリージャズ

2019-03-29 18:51:13 | 音盤ノート
David Torn, Tim Berne, Ches Smith "Sun of Goldfinger" ECM, 2019.

  ジャズ。フリージャズ+ロック。エレクトリック・ギター(Torn)と、サックス(Berne)、打楽器とエレクトロニクス(Smith)の三者によるフリーインプロビゼーション。プロデュースはデヴィッド・トーン本人で、ECMレーベルの総帥アイヒャーは録音に関わっていない。

  22分を超える曲を三曲収録している。一曲目は、フリー演奏から始まって、途中からドラムがリズムを刻んでハードロック的に盛り上げて終わる。二曲目は、ゲストにクレイグ・テイボーン(piano)と弦楽四重奏、ギター二台を迎えての演奏。ただし、ゲスト演奏は冒頭のみで、そこだけコンポーズされているようだが、途中から三人だけの阿鼻叫喚のフリー演奏になり、だんだん静かになって荒涼となったまま終了する。三曲目は、サックスの反復演奏をバックにゆったりとしたギターが奏でられ、重く暗い雰囲気がしばらく持続した後、ドラムがリズムを刻み始めて何か起りそうな予感をさせつつ、一通り荒くれて終わる。

  うーむ。時折狂暴になるのはいいんだけれども、冗長なところも多い。"Prezens"のようにもっと編集してもよかったかもしれない。全体としては、熱気も暖かみもない、内に秘めた暴力性を感じる音楽である。ただまあ、その暴力性を解放する瞬間がなくて、カタルシスをもたらさずに自傷に向かうような感がある。その意味で邪悪な音楽である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理論より実証重視のマクロ経済学教科書

2019-03-25 13:08:10 | 読書ノート
ダロン・アセモグル, デヴィッド・レイブソン, ジョン・リスト『アセモグル/レイブソン/リスト マクロ経済学』岩本康志, 岩本千晴訳, 東洋経済新報社, 2019.

  マクロ経済学の教科書。著者は『国家はなぜ衰退するのか』のアセモグルと『その問題、経済学で解決できます。』のリストで、レイブソンについては邦訳がないようだ。Economics (Pearson, 2015)の1章と後半の章の翻訳で、ミクロ経済学部分の翻訳も進められており将来刊行予定であるとのこと。

  初歩の初歩というレベルの内容で、定番であるGDPの定義式を理解する必要があるものの、式の変形や展開については熱心ではない。IS-LM曲線は出てこないし、AD-ASモデルも登場しない。600頁を使って何をしているかというと、主に経済成長と国家間の経済格差に焦点を当てて説明を展開している。資本・労働・技術の三要素のうち最近の経済成長にもっとも貢献しているのは何か、地理・文化・制度のうち国家間の経済格差をもっともやく説明するものは何か、などについて詳しい。もちろん、金融システムや失業のメカニズムについてもかなりの記述があり、最近のベネズエラの固定通貨制度が何をもたらしているかなどについても説明がある。

  以上のように「読む」の教科書となっている。とはいえ、きちんとデータを踏まえた上での記述となっており、数式が少なめなのは理論よりは実証というスタンスで書かれているからだ。マクロ経済学の理論を詳しく知るにはまた別の教科書を手に取る必要はあるけれども、この分野で扱われている問題が何かを知る「つかみ」としては成功していると言えるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不遇のギタリストの引出しの多さを堪能できる

2019-03-21 09:50:00 | 音盤ノート
David Torn ‎"Prezens" ECM, 2007.

  ジャズ。フリー・インプロビゼーションによるインスト・ロック作品と捉えたほうが正確かもしれない。デビッド・トーンは長い活動歴があるものの、知名度の低い不遇のギタリストである。ECMでの録音は1987年の"Cloud About Mercury"以来20年ぶりとなる。最近中古で入手できたので紹介。すでに新作も出ている。

  他のメンバーは、アルトサックスのTim Berne、フェンダーローズ他鍵盤のCraig Taborn、ドラムはTom RaineyまたはMatt Chamberlainとなっている。最初の三人はフリージャズ系で、四人目はロック系である。ただし、本能のままの激しい演奏というわけではない。歪んだ音色を出す鍵盤、邪悪なギターフレーズ、咆哮するサックス、煽るドラムというのを、汗が飛び散らない程度に知的に組み合わせたというひねくれた作品だ。適度に電子音も配されており今風の音になっている。

  全11曲を72分に詰め込んでおり、編集上カットされた部分もあるようだ。途中でフェイドアウトしてしまったという感のある曲も少々ある。また、曲中での変化も激しく、高揚感が持続しない。ツボにくる瞬間がブツ切れに手を替え品を変えやってくるという曲展開である。このあたりはもったいないところで、一曲ぐらいフリーインプロではない、アルバムの雰囲気を伝えるきちんとコンポーズされた曲を用意していれば、全体へのわかりやすい入口になっただろう。

  聴いていて感じるのは次のようなことだ。トーンのギターは、サイドにまわったときのアイデアが多彩でとても面白い。しかし、ディストーションをかけたギターで前面に出てくるとメタル風になってしまい、あまり個性が感じられない。音を聴いて「これは彼が弾いている」と一発でわかるギタリストではないんだよね。これがなかなか認知されないままとなっている理由なんだろう。とはいえ、本作はこのギタリストの幅広い力量を伝える快作である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当時悪書とされていた貸本マンガの魅力とは

2019-03-17 22:29:39 | 読書ノート
長谷川裕『貸本屋のぼくはマンガに夢中だった』草思社文庫, 草思社, 2018.

  回想録。著者は1950年生まれで、親が副業で貸本屋を始めた1958年から、二つあった店の一つを閉める1967年までを回想している。本書は、1950年代後半から60年代前半の貸本マンガの批評を主としつつ、貸本屋の運営実態や周辺状況などについても記述する内容だ。1999年に草思社から最初の版が発行されている。

  著者の家が貸本屋を開業した1958年が貸本業のピークで、以降は衰退期となる。著者の貸本屋は、新しく魅力的な書籍を仕入れ続けることで過当競争を乗り切った。以降、今世紀までなんとか店は続いているという。当時は貸本マンガ専門の出版社があり、大手取次や大手出版社からは冷遇されていた。未返却本を回収してまわるエピソードも、貸本屋に対するイメージが分かって面白い。

  貸本マンガ家としては、手塚治虫、水木しげる、白土三平、さいとうたかを、つげ義春、ほかマイナー作家多数が採りあげられている。当時貸本マンガは「悪書」として指弾されていたが、「低俗」であるがゆえのバイタリティがあり、また表現上の実験も多く試みられていた、という点を著者は評価している。

  興味深い内容だったけれども、マンガだけでなく小説類や雑誌等についてももう少し扱ってほしいとも感じた。とはいえ、知られざる貸本屋の貴重な証言である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪の中央図書館と近大に行ってきました

2019-03-13 08:12:02 | チラシの裏
  出張二つめの行き先は大阪。ついでに図書館をまわってきた。大阪市立中央図書館と大阪府立中央図書館を見てきた。どちらも規模の大きい素晴らしい図書館だ。なるほど、パッと見には二重行政と言われてしまうのがわからないでもない。ただ、多くの場合、都道府県立図書館は市区町村立図書館と異なるコンセプトで運営されているので、短時間の滞在では見えないところもあっただろう。どちらでも館内を巡回する警備員が目立った。トラブルが多いということか。

  もう一つ、目的地が近畿大学だったので、近大アカデミックシアターなる図書館分館(というのは正確ではないかもしれない)にも行ってきた。アウトレットモールの店かと見紛うおしゃれな建物があり、その中のいくつかの小部屋の壁が書架となっている。暗い色の書架の真ん中あたりの棚には照明が付いていて、本の背に光があたってタイトルが浮かび上がるという仕掛けになっていた。棚の上の方は飾りのシリーズものだったが、照明が当たる棚には読みやすそうな一般書籍が置かれている。並び順に規則性はなかった。中の人によればデザイナーが考えたものだそうで、知的な雰囲気を維持しつつ入りやすいというのを両立させていたと思う。

  もう少し街を見て回りたいところだったが、疲れで歩くのが億劫になり、ホテルについたらまったりしてしまった。歳をとったからだろう。体力に合わせてもっと滞在日数を取るべきだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メディアコスモスを見てきました

2019-03-10 15:47:40 | チラシの裏
  二月半ばからとある業務にかまけていたためしばらくブログが更新できなかった。その業務はまだ終わっていないし、終わりの目途もたっていない。けれども、別の無関係な業務が入ったおかげで一時中断とした。ブランクが開いたので適当に書いてみる。

  現在、出張で岐阜市に来ている。愛知県小牧市にある僕の実家からは名鉄電車で一時間なのだが、予算を消化しなければならないので岐阜市内で泊まりの予定である。本務は明日である。本日は岐阜市立中央図書館「みんなの森 ぎふメディアコスモス」を見てきた。

  デザインがとても洗練されている。落ち着いたオレンジ色の照明、渦巻き状に配置された書架、弧を描くテーブルなど。子どもだったら迷路を作ってみたくなるよね。書架の背が低いので大人ならばフロア全体を見渡せる。書棚はけっこう空いていて、空白スペースを面出し本で埋めていた。僕がよく使うさいたま市立中央図書館と比べると、机を占拠して何やら学習活動をしている人の数は少なくて、「勉強してこの街を出て行ってやる‼」的なガツガツした雰囲気がない。それは人口の違いのせいかもしれないし、雨が降っていて来館者が少なかったせいかもしれない。とても優雅な空間だった。

  岐阜市は「ファッションのまち」「アパレルの街」であるらしい(自称)。中央図書館にもファッションコーナーがあり、JR線の高架下にある岐阜市立図書館の分館にもファッション・ライブラリーなるものが併設されている。若い頃に隣の県に住んでいた者としては全然そんなイメージがなくて、ええそうだったの?と問いたくなる。最近言い始めたのだろうか。僕が無知なだけのかもしれないな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする