29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

2019年に読んだ本そのほか短いコメント

2019-12-30 08:25:00 | 読書ノート
  以下、今年読んでおきながらこれまでブログで言及しなかった本のうちいくつか。

ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』新潮社, 2019.

  英国地方都市における移民と労働者階級の中学生たちについてのエッセイ。異なる文化的背景を持つ子供たちが、軋轢をうみながらそれなりにうまくやっていることが生き生きと描かれており、「多様性万歳!!」と叫びたくなる読後感だ。だが、マレー著を読んだ後では、英国移民社会でもっとも議論を呼ぶところを伝えてはいないという印象となる。いやまあ、いい本だとは思います。


バリントン・ムーア 『独裁と民主政治の社会的起源』宮崎隆次, 森山茂徳訳, 高橋直樹訳, 岩波書店, 2019.

  比較政治史。英国、フランス、米国、中国、日本、インドの六か国が採りあげられ、農業中心の社会から資本主義形成に至る過程での、政治に参加する社会層の変化について論じている。原書初版は1966年で、邦訳が1987年に発行されている。僕が読んだのは2019年発行の岩波文庫版である。政治の担い手層が、土地所有や商業の発達に合わせて変化してゆく過程の描写は細かくて面白い。けれども、あまりにも革命の意義を強調しすぎていて、マルクス主義を十分克服できていないという古臭さも強く感じた。名著ということで復刊されたのだろうけれども、個人的には「使える」本だとは感じなかった。


稲葉振一郎 『社会学入門中級』有斐閣, 2019.

  これからの社会学は、フィールドワークなど質的調査によって仮説や新しい概念をもたらすことが中心作業となるぞ、量的調査やっても分析スキルで経済学に負けるからあんまり頑張ってもしようがないぞ、と告げる内容(超訳)。そう言われても、コミュ障気味なので人の中に入ってうまく情報を引き出す能力がないんだよなあ、と自分のキャリアを悲観することになった次第。


パトリック・J.デニーン 『リベラリズムはなぜ失敗したのか』角敦子, 原書房, 2019.

  米国発のリベラリズム批判本。保守もリベラルも個人主義でコミュニティ軽視で根っこは同じだ、もっと学校で自己抑制とリベラル古典への敬意を教えろ、という内容だったと思う(うろ覚え)。どこかで聞いた話の域を超えていないし、これ以上の議論の展開がほしいところ。


岡嶋裕史 『ブロックチェーン:相互不信が実現する新しいセキュリティ』ブルーバックス, 講談社, 2019.

  読んでみてわかったようなわからないような。たぶん分かっていないのだろうけれども、読者をなんとなく分かったような気にさせる。サイモン・シンの本みたいだ。


安彦忠彦 『私教育再生:すべの大人にできること』放送大学叢書, 左右社, 2019.

  教育ビジネスに焦点を充てる内容かと思いきや、教育における地域や家庭の役割を訴える書籍だった。期待していたものとは違った。今でも教育ビジネスを視野に収めた骨太な私教育論を読んでみたいと考えている。


飯田隆 『日本語と論理:哲学者、その謎に挑む』NHK出版新書, NHK出版, 2019.

  恥ずかしいことに、僕の頭ではよくわからなかった。いや、読み始めたのち、論理を丁寧に追いたくなるほど興味が湧かなかったというべきか。


原英史 『岩盤規制:誰が成長を阻むのか』新潮新書, 新潮社, 2019.

  規制緩和論者による官僚とマスコミに対する批判。学校設立の規制と、放送・電波関連の規制が遡上に載せられている。ごく一部の部分に関する感想「おっと前川喜平先生への悪口はそこまでだ」(日大の教育学科で非常勤をやってもらってます)。

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ヨーロッパ各国による移民大量受入れの帰結

2019-12-26 09:12:13 | 読書ノート
ダグラス・マレー『西洋の自死:移民・アイデンティティ・イスラム』町田敦夫訳 東洋経済新報, 2018.

  欧州の現状のレポート。タイトルからヨーロッパ衰退の兆候全般を扱う広い内容かと想像したが、焦点を移民に、とくにムスリム移民に絞った内容だった。著者は英国のジャーナリストで、原書はThe strange death of Europe : immigration, identity, Islam (Bloomsbury, 2017.)で、邦訳では2018年のペーパーバック版のあとがきと、中野剛志による解説が付されている。500頁以上ある大著だが、政治家や官僚・イスラム団体の要人らの公式および非公式の発言、移民へのインタビュー、新聞報道された事件の記録で多くを構成しており、思弁的な内容ではない。

  20世紀半ばから、ヨーロッパ各国は移民を大量に受け入れてきた。しかし、受け入れを支持してきたエリート層の期待は外れて、彼らは受入れ先の国の文化に同化してこなかった。その逆に、「堕落した」消費社会を憎む過激派によるテロが広がっているだけでなく、暴力事件や、女性・LGBT・ユダヤ人への差別も近年、目に付くようになってきている。ムスリムの中の穏健派でさえも、西欧的=世俗な価値観の受け入れを拒否して、宗教的な生活を優先し、リベラル・デモクラシーから距離を置いているという。彼らは将来人口面で旧ヨーロッパ人を圧倒してしまうことになると予言されている。

  なぜこのような状況を招いてしまったのか。著者は、ヨーロッパ各国のリベラル思想、ナチスの行為への贖罪(これがドイツの外にも広がっているらしい)思想の混交のせいだという。移民反対派がムスリムという属性を取り上げると、「人種差別だネオナチだ」とレッテルを貼って批判を封じてきた。それだけでなく、暴力的な報復も現実に起こっており、恐怖のために報道や言論の自由が損なわれているらしい。こうした結果、古くから住む住民のほうが、来たばかりの移民から「この国が嫌ならば出てゆけばいい」と言われる倒錯した状況が生まれているという。

  加えて、根拠なき楽観という原因もある。移民問題は20年以上前から報道されてきた。しかし、「ヨーロッパの指導者層は長年、何の対策もしてこなかった」と著者は指摘する。彼らには西欧的な「自由」の魅力に対する過信があって、全人類がそれを求めるだろうと勘違いしていた、と。神への服従を優先して自由を至上としない大きな集団が存在することを認識できなかったのだ。

  以上。一方的なところはあるのだろうけれども、現象の一面を捉えてはいるのだろう。個人的には、移民問題そのものよりも、「道徳的な優位」を誇示したがるインテリ層のメンタリティのほうが気になったしまった。余所者に対する一般庶民の素朴活直観的な警戒感を、「大量虐殺につながる」というロジックでねじ伏せねばならないという使命感はいったいどこから来るのだろうか。
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説得を成功させるための科学的なアドバイス集

2019-12-22 23:48:49 | 読書ノート
ターリ・シャーロット『事実はなぜ人の意見を変えられないのか:説得力と影響力の科学』上原直子訳, 白揚社, 2019.

  影響力についての心理学および脳科学。著者はイスラエル出身の女性科学者で、現在はロンドンとボストンを行き来しているらしい。オビに著者の写真が付いているのは、容姿にも自信があるということなんだろう。原書はThe influential mind : what the brain reveals about our power to change others (Henry Holt, 2017.)である。

  タイトルにあるテーマは本書の1章で扱われる。「AをしないとBというデメリットがある」のようなネガティブな情報では人を行動に駆り立てることはできない。説得のためには、「AをするというCというメリットがある」というようなポジティブな情報を与える方がよいという。この他、次のような知見が挙げられている。ネガティブな情報で人を説得しようとしても、逆に行動を控えるようになる。本当は外部から操作されていても、主体的な選択をしているかのような認識を持つことができれば、幸福感は高まる。強いストレスはチャレンジ精神を失わせて、保守的な選択を導きがち。などなど。

  実をいうとアドバイス自体にそれほど面白みは感じなかった。一方で、挙げられる事例や実験はとても興味深い。例えば、マシュマロテストで我慢せずに食べてしまう子どもは、自制心が低いのではなく、「大人を信用していない」のだという。約束が守られなかった経験から、我慢しても本当にご褒美がもらえるかどうかわからない、と彼らは考える。このような認識が未来よりも現在を優先する行動をもたらしているのだ、と。このほか、サルもまた情報を重視するという実験や、他人の意見によって記憶まで変わってしまうという実験、二匹のマウスの脳に電極をつないで一方の記憶を他方に移植するという実験など、驚愕である。

  以上。軽く読めるポピュラーサイエンス本であり、実地にも使える内容で重宝しそうだ。
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ケア関係を基準に結婚制度を再定義する

2019-12-18 08:44:14 | 読書ノート
エリザベス・ブレイク『最小の結婚:結婚をめぐる法と道徳』久保田裕之監訳, 白澤社, 2019.

  リベラル・フェミニズムの立場から結婚を倫理学と法学の面で分析した学術書。一夫一婦制を優遇をする既存の結婚法制に替えて、さまざまなケア関係を包摂する「最小結婚」なる制度を提唱する。難易度は高いけれども、ゆっくりとその論理を追うことができれば一般の人でも読めるだろう。原書はMinimizing marriage: marriage, morality, and the law (Oxford University Press, 2012)である。

  著者は、一夫一婦制のみに福祉面での優遇を与える現行の結婚制度は、同性愛のカップルや一人親家庭に差別的で不正義であるという。優遇の根拠とされてきた異性間結婚によるメリット──その多くは「良き市民になる」など道徳的なもの──は、よく検討してみると同性愛カップルでも達成可能であり、一方で異性間結婚には女性の搾取が起こるというデメリットもある。また、子どものケアのために一夫一婦制を保護すべきという議論も根強いが、著者は「政府はカップルを支援するのではなく、子どもを直接支援すべきで、家族構成に口を出すべきではない」と主張する。

  一夫一婦制の代わりに提唱されるのが「最小結婚」である。「最小」というのは、結婚を認定する基準が低いというニュアンスである。重要な基準はケア関係の有無である。パートナー間でお互いに対する信頼と気遣いがあるということだ。一方で、恋愛感情や性関係はあっても無くてもかまわない。したがって、最小結婚には、一夫一婦制や同性愛婚が含まれるだけでなく、友人同士の同居に見えるもの(三人以上のケースも含む)も、一夫多妻や一妻多夫や乱婚などのポリガミーも認める。性愛の独占を結婚の条件とする考え方は「性愛規範性」として批判の対象とされる。ただし、最小結婚でも人間関係における力の不均衡は避けられない。これに対しては、関係からの退出を容易にすることで対応するとする。

  ここまで結婚のハードルを低めるのならば、政府が結婚を管理する必要はないのではないだろうか、と疑問に思うところだろう。結婚の社会的認証は民間に任せて、政府は家族構成に口を出さず、育児・教育政策に傾注すればよい、と。この疑問に対して著者は反論を加えている。民間に認証を任せると、宗教団体や資本主義が抑圧的な結婚観を強制するかもしれない。このため、政府は法で縛りをかけて基準を管理するべきである、と。加えて、政府は市民生活のために保護・ケア関係を推奨しなければならないとする。

  以上。現状では過激な提案であり、読む側の感情的な抵抗が起こるはずなのですぐにはのみ込めないところもある。だが、論理は一貫しており、その説得力は手ごわい。読者が疑問に思うだろうところを取り上げていちいち議論を加えており、書き方も丁寧だ。提示された論点も多くて、その後も展開も期待したくなる。これから結婚するカップルが読むような本ではないと忠告しておくが、恋愛論や福祉に関心があって理論・思想の面に興味があるという人にはかなり面白いはずである。ただし、最小結婚の基準となっても、コミュ障の独り者は包摂されないので、非モテが救われる話ではないことに注意しよう。
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ノルウェーの録音職人が生み出す音の透明感と奥行き

2019-12-14 11:16:34 | 音盤ノート
Jan Garbarek / Bobo Stenson Quartet "Dansere" ECM, 1976.

  欧州ジャズ。"Witchi-Tai-To"と同じメンバーによる二作目で、エンジニアは先月5日に亡くなったJan Erik Kongshaugである(「ヤン・エリック・コングスハウク」と読むらしい)。ECMの数多くの録音に関わってきたノルウェー出身の名レコーディング・エンジニアで、享年75歳。追悼の意味を込めて、その音について語ってみたい。

  ECMと言えば深い残響処理であり、ピアノやベースがクリアに聞こえるというのが特徴だ。スピーカーからの音なのに、演奏者がその場にいるかのようにリアルである。しかしながら、残響が深いために近さや密室的な感覚を感じることはできず、聴き手は天井の高い広いホールや屋外空間にいて、演奏者と少々距離があるまま音を聴いているかのような感覚がもたらされる。著名なジャズレーベルのBluNoteは管楽器が耳元で鳴らされているかのように録って聴き手を煽ろうとするが、それとはまったく異なった音響哲学だ。

  "Dansere" はオスロのTalent Studioでの最初の録音作品となる。(1984年になるとコングスハウクはRainbow Studioを建ててそちらがECMのメインスタジオとなる)。Arne Bendiksen Studioで録られた"Witchi-Tai-To"も音が悪いわけではないのだけれども、ピアノの音の粒立ち──特に高い音程を弱く弾く場面──は"Dansere"のほうがずっと良い。サックスの音も鮮やかで、左右だけでなく前後に上下と広いレンジが感じられる。 ただし、曲は耽美系のものが多くて静かめの演奏であり、これに比べればオーソドックスなジャズ演奏だった"Witchi-Tai-To"のほうが聞きやすいかもしれない。

  音楽の力以前に、録音における職人芸を聴くだけでもそこそこ楽しめる作品である。このようなECMの独特の「音」は、多くのオーディオマニアを耽溺させてきた悪魔的な音響だ。この音響に慣れてしまうと、他のレーベルの録音がSPレコードの再生に思えてしまうという弊害がある。ただし、パソコンをアンプにして小さなスピーカーを通じてデジタル音源を聴く時代には、もしかしたらアピールするところは比較的少ないかもしれない。
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よく知らない国の歴史については知見が多いが…

2019-12-10 14:45:40 | 読書ノート
ジャレド・ダイアモンド『危機と人類』小川敏子, 川上純子訳, 日本経済新聞出版, 2019.

  ジャレド・ダイアモンドの新著。いくつかの国家が危機にどう対応してきたのか検証するという内容である。取り上げられるのは、フィンランド、日本、チリ、インドネシア、ドイツ、オーストラリア、アメリカの七つの国である。彼のこれまでの著作は「自然科学の知識を散りばめた人類学」という趣きだったが、本書はそれらとは大きく異なり普通の歴史書である。

  歴史書であるために、読者が挙げられた国の歴史をある程度知っているならば、その国の説明は短すぎるし列挙されている重要要因も少なすぎて、平板に感じられる可能性がある。ドイツとアメリカの箇所は個人的に特に新しい知見が得られたという感じはしない。また日本については特別に二章分が割かれているが、単純すぎて複雑な気分にさせられること請け合い。「欧米のインテリは日本をこう見ている」ということを知る上では意義があるけれども。

  一方で、知らない国に関しては面白く書けている。ソ連に侵攻されながら上手く付き合ってきたフィンランド、アジェンデ政権とピノチェト政権で大混乱を経験したチリ、スカルノとスハルトの二人の独裁者を抱えつつ徐々に国民的アイデンティティを醸成してきたインドネシア、イギリスとの距離を徐々に自覚してアジアに接近してゆくオーストラリアについては、読者に詳しい知識が無ければためになるだろう。

  歴史書とはいえ、臨床心理学における「個人の危機対処の要素」を国家の危機に適用するという理論的枠組みを採っている。ただし、それほど厳密なものではない。将来の量的研究のために仮説を提供するため、というのが著者の言いわけである。細かい話は置いておいて、比較の枠組みができるかどうか、著者の知識の範囲で荒っぽい比較史を書いてみた、ということなのだろう。試みが成功しているかどうかは、後に続く研究者が現れるかどうかにかかっている。
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大学を疲弊させた無責任な改革言説を批判

2019-12-06 14:51:48 | 読書ノート
佐藤郁哉『大学改革の迷走』ちくま新書, 筑摩書房, 2019.

  1990年代から現在まで続く大学改革について、コンセプト面から批判するという内容である。著者は、『暴走族のエスノグラフィー』(新曜社, 1984)で知られる、社会学における質的研究の第一人者である。長さはともかく、図表が小すぎて読めない箇所があり、新書ではなくもっと大きい判型で発行すべきだったと思う。

  日本の「大学改革」はもう30年近く続いているが、大学の教員や事務を書類仕事で疲弊させ、論文生産数は上がらならいという、期待された目的とは逆の結果をもたらしている。改革が形骸化している現状として、改革のための手段が目的化していること(シラバス作成やPDCAサイクルなど)、また導入を強制された手段の有効性はそもそも明らかではないこと(PDCAサイクルは「経営」論を出自とするコンセプトだが、生産現場以外にも適用可能であるという「経営学」的裏付けはないらしい)、などが挙げられる。そもそも日本大学が世間で言われるように「ひどい」のか量的検証がなされてきていないし、政府自身が失敗を検証していない(PDCAサイクルを実行していない)ことなども指摘される。

  以上。大学で働く身としてはとても納得させられる内容だった。ただし、読んでも将来の展望は見えない。減点主義で官僚の出世が決まるという究極の問題があるならば、政府や文科省はここで指摘された失敗を反省しないし責任など認めるわけがないわけだ。教員としては肩をすくめるぐらいしかできない。ただし、大学側にはやることがある。政府から資金を得つつ、政府のお達しから生まれる仕事を無害化する、これが大学組織の重要な業務ということになるのだろう。
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科学を使ってヒトの一生を描く、ただし穏健

2019-12-02 13:31:25 | 読書ノート
デイヴィッド・ブルックス『人生の科学:「無意識」があなたの一生を決める』夏目大訳, 早川書房, 2012.

  小説仕立ての科学啓蒙書。心理学、行動経済学、社会学などに基づいた解説を加えながら、ヒトの一生の歩みを辿っている。著者は一般向けの記事を書くジャーナリストであり、サイエンス専門のライターではないとのこと。原書はThe social animal: the hidden sources of love, character, and achievement(Random House, 2011.)。邦訳では、2015年に『あなたの人生の科学』と改題されて、上下に分冊化されてハヤカワ文庫となっている。

  白人中流層出身のハロルドと、中国系とメキシコ系の混血で下層出身のエリカの二人が全編にわたって登場する。彼らの成長と成熟、死へと年齢を重ねてゆく途上で、育ち、学校、恋愛と性、結婚生活、会社組織、倫理、社会の仕組み、老いについての科学的知見を添えるという構成である。時代は明記されていないが、1990年代から2000年代の20年の間におよそ70年間に相当する人生経験をしているように見える(この時間感覚は読んでいてけっこう気になった)。二人は仕事を通じて出会い夫婦になるのだが、エリカは野心的で大統領を補佐する立場まで上りつめる。一方の、ハロルドは学究肌で著作をものにするも、目立つ業績のないまま一生を終える。二人の関係が壊れかけた時もあるが、最期は夫婦として大団円を迎える。

  科学で人生を語るという企画の本なので、科学を刃物のように使って俗説を破壊・整理して展開していくような刺激的な内容を期待して読んだ。だが、思いのほか穏健な内容だった。この点、暖かみがあってその主張を受け入れやすいとも言えるし、一方で退屈だとも言える。読者がこのような「毒の抜けた橘玲」を面白いと思えるかどうかだろう。科学の話も、カーネマン著とか『マシュマロ・テスト』を読んだことがある(または読めるレベルの)人には物足りないかもしれない。
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