先日、同僚が亡くなり通夜に行ってきた。慶応大学院の修士の時は同じ細野公男ゼミに属した人である。僕と同い年だったが、彼は現役合格、僕は浪人経験者なので一年先輩ということになる。ただし、彼の慶応在籍は大学院からで、学部生のときは都内の別の私大に通っていた。彼は、後期博士課程を満期退学したあとすぐに千葉の女子大に専任講師として採用されていた。一方の僕は、静岡の短大に採用されるまで8年も非常勤暮らしをしたので、彼のキャリアを大変うらやましく思ったものだ。
プライベートな付き合いがなかったので、連絡を頻繁にとっていたわけではなかった。最後に会ったのは、2006年の同ゼミ先生の退職記念パーティだった思う。その後、噂で彼がたびたび体調を崩しているという話は聞いていた。同時期に大学院を過ごした仲間たちは、彼のことをよく心配していた。久しぶりのやりとりがあったのは、僕が勤務校を異動することになって、埼玉の大学の専任になることを彼に伝えた昨年の秋である。その際、お互い近くなるので、春になったら久々に会いましょうという約束を交わした。そして、その春を迎えたのだけれども、僕と再会する前に彼はガンで亡くなってしまった。
彼の通夜で、残された彼の奥さんと小学生低学年だと思われる男の子の姿を見て痛切な気持ちになった。自分もその子と同じ年頃に父を亡くした人間であるからだ(僕の場合、その後母が再婚して義父ができたが)。その子の年齢では、父を亡くしたことの意味もよくわからないだろう、いずれ父親の立居振舞や声色などもまったく記憶から消え去ってしまうだろう、僕がそうだったように。父親は写真や書き残したことを手掛かりにその姿を想像する存在に変わる。反抗の対象としたりその老いてゆく姿を見る機会ももう無い。その子は、そういう欠落を経験することになる。けれども、その子はちゃんとやっていけるとも思う。そういう境遇にある多くの子どもたちもなんとかやっているのだから。
人づてに聞いた話では、彼は慶応の大学院に入って「自分より賢い人がたくさんいる」と悩んでいたそうだ。スマートでクールな印象の人だっただけに、僕には意外に思える悩みである。今思えば、僕らに内面をさらけださない、打ち解けない感じがあったのも、そうした疎外感を持っていたからかもしれない。それでも、その中できちんと努力してきたので、周囲から評価され、早くに専任になることができた。昨年には共著の教科書の執筆もしている。惜しい人物である。図書館情報学にとっても、中堅どころの働き盛りの研究者を失ったことになる。
プライベートな付き合いがなかったので、連絡を頻繁にとっていたわけではなかった。最後に会ったのは、2006年の同ゼミ先生の退職記念パーティだった思う。その後、噂で彼がたびたび体調を崩しているという話は聞いていた。同時期に大学院を過ごした仲間たちは、彼のことをよく心配していた。久しぶりのやりとりがあったのは、僕が勤務校を異動することになって、埼玉の大学の専任になることを彼に伝えた昨年の秋である。その際、お互い近くなるので、春になったら久々に会いましょうという約束を交わした。そして、その春を迎えたのだけれども、僕と再会する前に彼はガンで亡くなってしまった。
彼の通夜で、残された彼の奥さんと小学生低学年だと思われる男の子の姿を見て痛切な気持ちになった。自分もその子と同じ年頃に父を亡くした人間であるからだ(僕の場合、その後母が再婚して義父ができたが)。その子の年齢では、父を亡くしたことの意味もよくわからないだろう、いずれ父親の立居振舞や声色などもまったく記憶から消え去ってしまうだろう、僕がそうだったように。父親は写真や書き残したことを手掛かりにその姿を想像する存在に変わる。反抗の対象としたりその老いてゆく姿を見る機会ももう無い。その子は、そういう欠落を経験することになる。けれども、その子はちゃんとやっていけるとも思う。そういう境遇にある多くの子どもたちもなんとかやっているのだから。
人づてに聞いた話では、彼は慶応の大学院に入って「自分より賢い人がたくさんいる」と悩んでいたそうだ。スマートでクールな印象の人だっただけに、僕には意外に思える悩みである。今思えば、僕らに内面をさらけださない、打ち解けない感じがあったのも、そうした疎外感を持っていたからかもしれない。それでも、その中できちんと努力してきたので、周囲から評価され、早くに専任になることができた。昨年には共著の教科書の執筆もしている。惜しい人物である。図書館情報学にとっても、中堅どころの働き盛りの研究者を失ったことになる。