29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

音響系などと言わずにオシャレだと言ってあげればもっと世間に認知されたはず

2010-03-31 21:28:33 | 音盤ノート
Stereolab "Dots and Loops" Elektra, 1997.

  いつのまにか活動休止していたStereolabの、たぶんもっとも聴きやすいアルバム。細かいリズムと、ラウンジミュージック風の凝ったバンド演奏の上に、歌いあげない、かつ感情を見せない女性ボーカルがのる。

  この前後のアルバムの方が評価は高いようだが、それぞれ実験に凝り過ぎていて全曲聴き通すことがつらい。もっと言えば、このバンドのアルバムの多くは、収録曲のクオリティのバラつきが大きすぎる。しかし、この"Dots and Loops"だけは突出した曲も無ければ、酷い曲も無い。したがって、引っかかることなくスムーズに聴ける。

  このアルバムを除くと、曲の出来不出来が激しいという理由のため、このバンドは編集物で聴いたほうがいいと感じる。しかし、一応ベスト盤"Serene Velocity"(Elektra, 2006)は発売されているものの、選曲がいまひとつ("Fluorescences"も"The Free Design"も"Intervals"も未収録だなんて)。活動休止はいい区切りだから、将来もっといい選曲をしたコンピレーションを望みたい。
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優しく穏やかな記述の裏に隠された経済に対する無理解への怒り

2010-03-29 08:28:06 | 読書ノート
大竹文雄『競争と公平感:市場競争の本当のメリット』中公新書, 中央公論, 2010.

  静岡市の青葉公園を歩いていたら、非正規雇用者の組合だという団体が「最低賃金の引き上げ」具体的には「時給を1000にする」をスローガンに掲げて活動しているのに出くわした。この人たちは、もしそれが実行されたらどのような影響があるのか分かっているのだろうか? 短大生の進路について思案する立場上、とても支持できない主張である。

  最低賃金の引き上げは、長期的には雇用減をもたらすというのが経済学者のコンセンサスだろう。読んだばかりのこの本の著者曰く、

  最低賃金引き上げで被害を受けるのは、新規学卒者、子育てを終えて労働市場に参入しようとしている既婚女性、低学歴層といった、現時点で生産性が低い人たちだ。最低賃金の引き上げで、彼らの就業機会が失われる(後略)[p.194.]。

  その同じ章で、米国での論争や、日本でも、最低賃金の引き上げで新規高卒者に対する求人数が減少したという報告などについて触れられている。一方で、著者は最低賃金の引き上げでメリットのある場合も記しているが、結論に影響するほどではない。

  本書では他に、日本人の経済観や、競争への指向に男女差があること、外国人労働者受け入れの影響などのトピックを扱っている。データも参考文献も新書としてはふんだんである。入門書なので、「弾力性」といったキー概念を使わずに分析しているが、語り口は平易で理解に困るということはないだろう。

  ただ、副題にある「市場競争のメリット」が十分伝わっているかというと、ちょっと微妙なところ。「市場が十分機能しないケースのデメリット」については問題を理解できたが、ではどういう制度設計をすれば機能するのかということについては、さわりだけで深く記述されていないことが多い。その点は、著者の意図が果たされていないところである。
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洗濯用セラミックボールの虚実

2010-03-25 20:30:28 | チラシの裏
  洗濯用セラミックボールを半年ほど使用している。結論から言えば、ボールと水だけでは十分な洗濯はできない。なのでいつも少量の洗剤を足している。洗剤が無いと、汗のにおいが残ってしまう(おっさんなのできついのだ)からだ。柔軟剤も使った方が乾いた後でやわらかい。

  使っているのは価格\5000のセラミックボールで、700回ぐらい使えるらしい。洗剤を足しているので、結局すすぎが必要になり、洗濯槽を洗い一回とすすぎ一回の計二回まわすことになる。したがって、通常より洗剤の量がわずかに減っただけにすぎず、コスト・パフォーマンスはそんなに良くないと思われる。ただし、使用する洗剤が少ない分、洗濯機とその周辺の水回りがきれいになったという予期せぬ効果もあったが。
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結婚生活の期待水準を上げると逆効果になる、と

2010-03-23 19:55:57 | 読書ノート
赤川学『子どもが減って何が悪いか!』ちくま新書, 筑摩書房, 2004.

  少子化対策に関する議論の検証と提言。以下要約。

  まず前半を使って、男女共同参画社会をつくることは、少子化対策とはならないと説く。男女共同参画社会は、男女平等社会、特に女性が働きやすい社会をつくることを目指すものである。その推進者はそうした政策の充実が子ども数を増やすと主張するが、著者はそれが統計的に支持されないものであることを明らかにする。女性が社会に進出すれば、子どもの数は減る、これが各国比較から導かれる常識的結論である。

  後半では、少子化対策の難しさを認めて、女性の社会進出が避けられないならば、少子化を折り込んだ社会制度を作るべきだと主張される。著者は先進国で子ども数が減ることは避けられないとし、男女が平等である社会を支持している。問題とされているのは、本来相反する目標である男女平等と子ども数の増加を結びつけるトリッキーな議論なのである。

  政府が育児支援を積極的にするべきという議論は永らく存在するが、それに対する反論として下記は面白かった。

結婚支援や子育て支援が、これから結婚や子育てをしようとする人たちの、結婚や子育てに対する期待水準を不可逆的に高めてしまい、かえってそれを遠のかせる(中略)。結婚や育児に対する支援を増大したり、仕事と子育ての両立ライフを支援することは、結婚生活や家庭生活に対する期待水準を高めてしまう。(p.145)

  子どもを持った場合の平均的な生活水準(だと人が予想するもの)が上がれば、結婚や育児に対するハードルが上がるという議論である。一種の所得効果があるということだ。おそらく、育児支援の難しさはここだろう。財政難によって育児支援が維持できない時、すでに社会の期待水準は上がってしまっており、少子化の程度は以前の水準に戻らず、酷い落ち込みを見せるかもしれない。恐ろしいのは、既に財政的に維持可能でないと有権者が見透かしている場合である。育児への支援は出生数に影響せず、貯金にまわるだけだろう。そして支援を止めたとたんに、期待水準上昇のせいで出生数が激減する。期待したほどの効果が無いばかりでなく、害もあるということだ。
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日本盤にオマケも解説も無し、輸入盤で十分

2010-03-21 20:14:31 | 音盤ノート
Moritz Von Oswald Trio "Vertical Ascent" Honest Jon's, 2009.

 エレクトロニカ。Carl Craigとのコラボが良かったので聴いてみた。かなりストイックなミニマルテクノで、あまり速く無いテンポのリズムに様々なパーカッションの音をからめてゆくという趣向。変化はあるものの、微妙すぎてそのまま聞き流してしまいそうである。率直に言って"Recomposed"(DG, 2008)ほど面白いわけではない。でもまあ、それなりに楽しめる。
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もっと他ジャンルの音を採り入れてほしい

2010-03-18 08:11:59 | 音盤ノート
David Darling "Journal October" ECM, 1979.

  チェロ奏者による自作のチェロ曲集。ジャズのレーベルにおけるクラシック風の音楽だが、正確にはクラシックではない。イージーリスニングにするには重すぎ、気軽に聴けるものでもない。ジャンル不明である。ジャケットに"Solo Cello"と表記されているが、ほとんどの曲は多重録音を用いてチェロの音を重ねている。打楽器を用いたり、弦をピチカートしてアルペジオを作ったり、本人がスキャットを聴かせたり、多彩な工夫が凝らされている。

  暗く優雅なこの音からDarlingの出身はヨーロッパだろうとずっと想像していたのだが、アメリカのインディアナ出身だった。カントリー歌手やジャズミュージシャンとの共演歴もあるのだが、この録音ではそんな経歴をみじんも感じさせない。ここでの演奏からは"ドロップアウトしたクラシックのチェロ奏者"のイメージしか浮かばない。ただし、最後の曲だけはサイケデリック感が濃厚で、1960年代に青春時代をすごした人だということが良く分かる。
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ある短大生の採用理由をめぐって

2010-03-15 09:04:38 | チラシの裏
  ある短大生の就職活動の話。彼女は幼稚園教諭となることを目指して、自分が幼い頃通った幼稚園の就職試験を受けた。試験には四年制大の受験者も二人来ていたという。彼女はライバルたちを退けて合格した。

  本人は、母園だったのが有利に働いたのではないかと分析していた。いやいや、違うと思うよ。そんな理由で採用するほど世間は甘くない。君の能力が認められたんだよ。

  就職試験のずっと前、彼女が同じ園で実習をしている期間、僕はそこに巡回に行って担当者に話しを聞いてきたことがある。担当者は「臨機応変で応用の効く人材が欲しい」「そういう人材は四年制大卒に多い」と言っていた。その時、この園は短大生は採るつもりはないなと個人的に感じたのを覚えている。それがあって、昨年6月18日のエントリになった。

  ではなぜ、彼女は合格したのか。二つのエピソードを後に聞いて腑に落ちた。一つは、実習でトラブルが起こったときに適切に対処できたこと。実習生は一定時間に教育プログラムを組んで挑み、そこが受入れ先に観察される。だが面倒が起こると、予定された教育活動ができなくなる。彼女の場合も、時間中に子ども同士で諍いが起こり、泣き出す子がでてきてしまったという。しかし、そこでパニックにならず、予定していたプログラムを捨て、子どもたちを落ち着かせて、とりあえず絵本の読み聞かせをしたという。臨機応変に対処できたわけだ。

  もう一つは、就職試験で知らないピアノ曲をいきなり弾くよう促されたときのこと。彼女はピアノが苦手であり、当然弾けるわけがない。覚悟を決めてメロディだけ右手でなぞり、そちらに集中するために左手の伴奏を控えたらしい。それでなんとかメロディだけは演奏できたとのこと。おそらく落ち着いて対処できたのだろう。できないそうもない課題を与えられた場合の対処として、「できません」と言って何もしないより、とりあえずぎりぎりできそうなことをやってのけた判断力は素晴らしい。

  彼女のした行動は、その園のニーズと一致していたわけである。短大としても、園の方が学歴で判断をせず、人物本位で採用活動をしてくれていることに希望を感じた。
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古典の資格は無いと思う

2010-03-14 21:28:58 | 読書ノート
アンソニー・ギデンズ『親密性の変容:近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、エロティシズム』松尾精文, 松川昭子訳, 而立書房, 1995.

  セクシュアリティ論の古典、と言われて読んでみたが・・・。20世紀の遺物だろう。論証方法にぜんぜん説得力が無い。

  本書の議論をかなり単純に図式化すると、前近代における結婚は経済的必要のため、前期近代における結婚はロマンティックラブの結果であり、どちらも社会における男性優位を支えてしまう。しかし、後期近代では、同性愛などの多様な「性」のあり方がパートナー関係をも多様化させ、結婚という形式ではなく、二者間の平等や民主的な意思決定という点が重要性を帯びるようになるという。

  しかし、原著は1992年発行であるのに、著者に最近の生物学の知識が欠けているらしいことはかなり気になる。男女間の性的関係と親子間の関係を同じように考えてしまったり(第6章)は、セクシュアリティを「自由に塑型できる」ものと考えてしまう誤りを犯している。後者は論旨の本質にかかわる部分であり致命的である。DVといったトピックも、生物学を教科書でも読んでおけば、近代社会における男性権力云々というややこしくて不明瞭な説明とならずに、すっきりとした説明を展開できるはずである。

  これは議論全体が、“21世紀を生き残れなかった”フロイトの理論に依拠してしまっているからだろう。今時、エディプス・コンプレクッス論など特殊なサークルにおけるジャーゴンにすぎない。並べられた精神分析用語を外しても、おそらく結論には影響しない。

  しかし、性革命があったとされる1960年代を経て今になっても、大半の性関係は多様になっておらず、男女がお互いに要求するものがあまり変化していないことを認識すべきだろう1)。現代では、著者が変わってゆくと主張している「感情」は実は昔からあまり変化しておらず、それをとりまく経済や社会の変化が激しいことが問題なのだ2)

  セクシュアリティについて云々したい人は、長谷川真理子『オスとメス=性の不思議』3)をまずクリアしておくべき。こちらも同程度に古いが、今でも説得力がある。

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1)スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える:心は「空白の石版」か』NHK出版, 2004.
2)山田昌弘『結婚の社会学:未婚化・晩婚化はつづくのか』丸善, 1996.
3)長谷川真理子『オスとメス=性の不思議』講談社, 1993.
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忙しすぎることへの愚痴

2010-03-13 09:34:06 | チラシの裏
  本が読めない。授業が無いため2月と3月は本来時間がかなりある時期のはずなのだが、雑務で忙殺されて読書の時間が全然無い。そもそも大学教員には、自宅で研究できるよう出勤しなくてよいウィークデーが毎週一日与えられている。だが、今年度の後期に出勤しなかった日はほとんど無かった。僕のうろ覚えでは、昨年10月以降、先週の金曜日一日だけ平日に出勤しなかっただけである。当然、研究なんてできるはずがない。4月からはなんとか雑務の量を減らしたい。
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フロアで踊れるバロック音楽

2010-03-10 09:17:50 | 音盤ノート
Michael Nyman "The Essential Michael Nyman Band"Argo, 1993.

  英国の現代音楽。近年のNymanは、サントラ『ピアノレッスン』のような優雅かつ感傷的な曲の方で知られているようだが、1980年代にPeter Greenaway監督の映画に付した一連のサウンドトラックも素晴らしい。

  このアルバムはその頃の代表曲を自身のバンドで再演したもの。大きめの室内楽編成で、バロック風の演奏を聴かせる。ただし、弦楽器を使って一定の速いリズムを作り、そこだけはロック的である。また、低音の管楽器は下世話に響かせている。全体として、こうした編成にありがちな高級感はあまり無く、いかがわしさが漂う。

  まさに珍妙というほかない音楽だが、そのような音楽にありがちな「飽き」が来ることもなく、今でも聴けるようになっているのがまた不思議。
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