29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

新書ながらマクロ経済学の基礎知識が必要

2012-05-31 08:40:56 | 読書ノート
片岡剛士『円のゆくえを問いなおす:実証的・歴史的にみた日本経済』ちくま新書, 筑摩書房, 2012.

  為替レートや物価が日本経済に与えてきた影響と、それに対する日銀の対応策を検証するものである。内容は高度。マクロ経済学の専門用語が説明なしにバンバン出てくるので、基礎知識が要求される。気軽に読むわけにはいかないレベルの新書である。著者は『日本の失われた20年:デフレを超える経済政策に向けて』(藤原書店, 2010)で注目されたシンクタンク研究員である。

  その主張を大胆にまとめてしまうと次の二つである。第一に、為替レートが実態経済に影響を与えるのであって、実態経済が為替レートに影響しているのではない(ただし、著者はそう言い切ってはおらず、いくつか留保条件をつけているのみだが、単純化すると上のようなものになる)。すなわち、日本経済が強いから円高なのではなく、円高のせいで日本経済は弱くなっているとする。第二に、物価や為替レートは金融政策である程度コントロールできるもので、自然現象にように受け身で運命を甘受すべきものではなく、また人為的にコントロールしようとしないのは怠慢である。後者の主張は日本銀行に対する細かな政策提言につながってくる。

  上記二つの主張を裏付けるために過去の状況や諸外国との比較を行うのだが、図表が細かい上に、概念説明は必要最小限である。一方、論理は錯綜しておらず、すっきりしている。そのため、わかりやすい論理展開と難しい概念という取り合わせのアンバランスなものになっている。実証性を毀損せずに説明しようとするこうなるのだろう。実証の部分が本書のオリジナリティを構成している部分なのだから。

  著者が裏付けようとしている主張は、2000年前後から展開されてきたリフレ派に分類されるものである。岩田規久男や竹森俊平らによってリードされてきた議論で、デフレ基調を金融緩和によって克服することで景気回復を目指す一派である。一介の読者としては、これまでのリフレ派の議論に納得させられてきたものの、「この10年間ほどかなりの低金利だしジャブジャブお金を流してきたのに、全然デフレから脱却しないじゃん」という反論にも一理あると考えていた。しかし、この片岡著はそれに再反論するもので、現状の金融緩和は不十分でありさらなる緩和がまだまだ必要だという。こうした、21世紀に入っての経済学論争を踏まえて、やっと本書の実証部分の細やかさの必然性が理解できる。
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よく知ってる曲より知らない曲の方が好み

2012-05-29 11:27:46 | 音盤ノート
Pat Metheny "What's It All About" Nonesuch, 2011.

  アコースティック・ギターソロ。アコギソロの達人としてはRalph Townerの方がキャリアがあるが、硬質かつ冷ややかで聴き手を安易に近づかせない厳しさがある。メセニーのこの作品は、緊張感は無いものの、表情の変化があって親しみやすく、心の琴線に触れる。派手さのない、穏やかかつ静かで美しいアルバムである。

  曲目には‘イパネマの娘’サイモン&ガーファンクルの‘The Sound of Silence’ビートルズの‘And I Love Her’バカラックの‘Alfie’と有名どころが並んでいる。ただ、それらはっきりアイデンティファイできる曲より、‘Cherish’(アソシエイツ)や‘Rainy Days and Mondays’(カーペンターズ)など「たぶん聴いたことはあるけど明瞭にメロディを思いだせるほどではない」曲のほうが個人的には素晴らしいと感じた。なお日本盤には‘'Round Midnight’と‘This Neary Was Mine’の二曲のボーナストラックが付いている。

  ちなみに出張先で聴くためにスマホに曲を入れておいたのだが、イヤホンを忘れるという失態を犯して向こうでは聴けずじまいだった。悔しいのでこうして記録している。
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暑くて寒い学会最終日

2012-05-26 06:54:09 | チラシの裏
  アイルランド滞在五日目。三日前から晴天が続き、日中やたら日差しが強い。こちらに来る前は「延々と続く曇天たまに雨」という天候を予想していたのだが、折りたたみ傘を使う機会はないまま終わりそうだ。気温も高い。

  最終日の学会に行ってみると、会場がやたら寒い。外が暑いのでエアコンを強めに利かせているのだろう、また最終日で参加者の人数が少ないせいもあると思われるが、とても寒く感じられる。一応コートを持ってきていたものの、それを羽織ってさえ30分も我慢できない室温だった。なので、たびたびロビーに退散するはめになった。

  しかしながら僕が見たセッションの中では今日のものが一番質が高く、ディスカッションもかなり盛り上がっていた。学会初日には、中年女性の発表者が、腕に入れた刺青を隠そうともしない態度にびっくりしたものだ。今日最終日は、僕が想像していた学会の雰囲気と似たものだった。発表ブッチも大量にいたのだが。

  とりあえず今回のQQMLの大会はこれでお終い。来年はローマで開催されるらしい。
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国際学会での研究発表とその結末

2012-05-25 16:49:39 | チラシの裏
  滞在四日目、学会三日目が研究発表日。スケジュールでは17時から19時までのセッションの7番目の発表で、最後の最後である。午前中はホテルで練習し、午後になって会場に出かけた。

  入れられたセッションは、発表者が所属する図書館のプロジェクトの紹介といった事例研究的なものが多く、千数百館の蔵書を調べた我々の研究は明らかに場違いな印象。というか、この学会トータルでみても珍しい部類に入るだろう。応募した際になかなか日程が決まらず、さらに外れた時間に組み込まれたのはそういう事情があるからかもしれない。

  該当セッションで予定されていた発表者のうち二件がブッチしてNo Showとなり、予定時間が40分ほど早まった。発表者の安形氏は直前まで原稿の英語を見直していたが、集中力を高めて演台に向かった。僕は記録係で、ビデオを設置してカメラで写真を撮ることになっている。

  発表が始まる。夕方のこの時間帯では、聴衆は少なくて15人ほどしかいない。口頭での英語表現には苦労していたが、最後なので後ろを気にしなくともよく、ゆっくりとした説明となった。一方でパワーポイントのスライドは分かりやすくできており、かつビジュアル的にも優れたものだったので、分かり難いということは無かったと思う。この発表全体をスマホのビデオカメラで記録していた聴衆もいた。

  発表が終わると、セッション全体が終了した。その場での質問は出なかったが、ハンガリーとチェコからの参加者がそれぞれ個別にコメントをくれた。共通するのは「英語での論文が読みたい」ということ。また我々に新しい課題が加えられたわけである。
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滞在三日目ダブリン行

2012-05-24 23:58:59 | チラシの裏
  リムリック滞在三日目。午前中に小田光宏先生の発表を拝見した後、電車に乗ってダブリンへ。日本語ガイドを雇って、トリニティカレッジ図書館と国立博物館を視察した。

  ガイドさんは現地在住の日本人女性で、アイルランド事情に詳しい。訪問施設の展示内容だけでなく、町中に貼ってあった、"Vote Yes"と"Vote No"のポスターが言わんとすること──ユーロ危機に関することらしい──についてまで、いろいろ解説してもらった。駆け足ながらアイルランド史も学習でき、有意義な一日でした。

  電車から見える車窓の風景は、緑の牧場が延々と続くというのどかなもの。ゴルフが国民的スポーツだという理由がなんとなくわかる。
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学会初日の印象

2012-05-23 23:58:09 | チラシの裏
  QQML国際学会の初日に、いくつかのセッションを見てまわった印象。英語を完全には理解できていないものの、こちらが驚かされるようなレベルの高い発表は少ない。コンセプト重視で研究意図は分かりやすいのだが、それを裏付けるための調査の規模が小さかったり、統計処理が不十分だったりというケースが多いように思う。

  今月初めの日本図書館情報学会の研究集会の印象とまるで逆である。日本での研究発表(主に若手)では、念入りかつ詳細に調査・分析されているが、図書館情報学分野へのインプリケーションに欠けるというケースがよく見られた。「それで何?」というその先を尋ねたくなることがしばしばだったのである。

  同じくQQMLに参加している小田光宏先生によれば「海外の人は、ちょっとでも学問的な貢献があると思えばそれを公表してしまおうという気風がある」とのことである。マインドとしてはそれが正しいのかもしれないが、コンセプト先行で実証がそれに伴っていない。一方日本では、よくできた調査だけど問題の組み立ては見えない。個人的には、研究の在り方としては、ちょうどその中間ぐらいがいいのかもしれないと思う。

  以上はあくまでも図書館情報学分野の話です。
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リムリック入りと宿泊するホテル

2012-05-22 23:59:29 | チラシの裏
  英ヒースロー空港から乗り継いで、アイルランド西部にあるシャノン空港へ。何も無い場所にある空港なのだが、タクシー運転手によれば、米国人がヨーロッパに入る際の中継地として開発されつつあるらしい。そこから開催地リムリックへはタクシーで30分。アイルランド第三の都市らしいが、見た感じ人口は10万人もないと推測され、日本ならば小都市の部類だろう。古城と教会、レンガ造りの街並みの美しい観光都市である。

  宿泊施設として、QQML大会会場のアブソルートホテルに近い場所のホテルを選んだはずなのだが、検索に使ったサイトのデータに間違いがあったようで、二キロも会場と離れていた。なんとか歩ける距離なので問題はないのだが。疲れていたので着いたらすぐ寝たのだが、起きたら窓が開けっ放しだった。気温は気にならなかったので、思ったより寒くないということである。
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今週、アイルランドで学会発表(のお供)します

2012-05-21 05:52:34 | チラシの裏
  2003年に結成されながら、数十回の会合を持っただけで沈黙していた焼肉図書館研究会。三年前に突如復活して、日本国内で三度の学会発表を行う。そして今年、遂に海外遠征!! 今週、僕とメンバー一人がアイルランドのリムリックで開催されるQQML--The 4th Qualitative and Quantitative Methods in Libraries 2012 International Conference--にのり込む。

  発表者はグループ代表の安形輝(亜細亜大学)。僕は共同研究者の一人で、サポート役。ただし、発表のサポートではなく、体調に不安のある安形氏の健康状態のサポート役を自認。これから出立するところだけど、向うに行って良好なネット環境が得られれば現地レポートをする予定。駄目なら一週間ブログをお休みします。

  site: QQML 2012 http://www.isast.org/
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歴史エッセイという趣きながら時折鋭い分析が入る

2012-05-16 09:52:25 | 読書ノート
竹内洋『革新幻想の戦後史』中央公論, 2011.

  終戦直後から1960年代あたりまでを範囲に、日本の大学や教育、言論界を覆ってきた戦後民主主義思想すなわち左翼思想の様相を伝える書籍。歴史書としては系統だってないし、因果関係を明らかにするようなコテコテの学術書でもない。あれやこれやと材料を提示して、その時代の「雰囲気」を伝えようとする内容である。そして、教育社会学者らしく図表などを用いて分析を加えている。

  扱われているトピックは次のとおり。戦後の論壇やマスメディアで黙殺されてきた、必ずしも反戦リベラリズムを指向し‘ない’複数の庶民感情の存在の指摘。一般に、当時は岩波書店の月刊誌『世界』の時代だったとされるが、『中央公論』のような中道路線の雑誌と比較してみるそれほど受入れられていたわけではないこと。日教組に理論的お墨付きを与えた東大教育学部の人事。保守派とみなされる学者の下で学んだ大学院生は、大学で疎んじられて職をみつけることが難しかったらしい。続いて、京都旭ヶ丘中学教員による左翼教育と政府や世間の冷ややかな対応。この事件で左翼政党が教員らを支援しなかったことが、1960年代の既存の政党に頼らない新左翼運動につながっていったとする。さらに、福田恆存や小田実の論壇デビューに対する「進歩的知識人」の反応。前者は貶められ、後者は取り込まれていったという。最後は、日本が豊かになるにつれて、左翼的言辞や知識が時代遅れになっていったことと、石坂洋二郎の小説が戦後民主主義を庶民にゆるく浸透させたこと。これらを、佐渡で育ち1960年代前半に大学へ進学した著者の経験を織り交ぜながら記述している。

  本書を通読して分かる進歩派知識人の病は、民衆──彼らの中で想像された民衆──と乖離することの恐怖である。日本の知識人は大衆にすり寄り過ぎていることを、スーザン・ソンタグの言葉を引きながら指摘している箇所がある(p.350)が、これも「労働者」を人間の基本に見せてしまうマルクス主義の影響なのだろう。戦後の日本の政治の奇妙な点として、投票者の利害よりも実際の思想が影響を持ってしまう「文化政治」があるが、それも知識人と大衆の近さゆえというわけである(終章)。最終的な結論として、「革新幻想」は大衆エゴイズムを解放しただけという、志の低い結果になったと著者は断じている。

  500ページを超える長い本だが、飽きずに興味深く読めた。『日本のメリトクラシー』や『教養主義の没落』を代表とする著者の数々の名著ほどではないが、当時の様子をわかりやすく伝えている。
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高値で取引されていた廃盤EPと海賊盤を駆逐するシングル編集盤

2012-05-14 08:07:25 | 音盤ノート
My Bloody Valentine "Isn't Anything : Remastered Edition" Sony, 2012.
My Bloody Valentine "EP's 1988-91" Sony, 2012.

  1990年代ロック名盤"Loveless"リマスタ盤(参考)と併せて発行された、出世作にあたるアルバムのリマスタ盤とシングル編集盤。"Isn't Anything"のオリジナルは1988年末に英国インディーズ・レーベルのCreationから。"EP's"の方はCreation所属時代の四枚の12inchシングルと、レアトラックによって構成される二枚組である。

  "Isn't Anything"の方は、ザラついたガレージロック的サウンドをバックに四畳半フォーク風の暗くて弱々しいボーカルをのせるというコンセプトの作品。後の"Loveless"で聴ける弛緩した浮遊感と陶酔感はあまり感じさせない。むしろ‘Feed Me with Your Kiss’を筆頭にパンク的な疾走感とパワーで押し切る曲が目立つ、とてもロック的な内容である。当時はまだshoegazeなるカテゴリは存在せず、Jesus & Mary Chain, Sonic Youth, Dinosaur Jr.らすでに日本に紹介されていた「オルタナティヴ系にしては比較的聴きやすいボーカルメロディを持ちながらも、ディストーション・ギターで音をラウドに装飾するバンド」の一つという認識のされ方だったように思う。僕が中学生の頃に某洋楽雑誌で輸入盤が紹介され、ほぼ一年後に日本盤が発売されてもう一度同じ雑誌に評が載ったのを覚えている。インディーズ系の英国ロックファンにとっては、New Orderと当時すでに解散していたThe Smithsが二大アイドルで、この頃のマイブラはその他大勢の一つだった。

  "EP's"は、これまで廃盤で入手しにくかった曲を完全収録した歓迎すべき編集盤なのだが、きちんとクレジットが示されていないのが残念なところ。CD1には、上の"Isn't Anything"と同年に発表された"You Made Me Realise EP"から全5曲と"Feed Me with Your Kiss EP"からの全4曲、1990年に発表された"Glider EP"からの全4曲が、EPの収録順そのままで収められている。CD2の冒頭は、"Loveless"と同じ年に発表された"Tremolo EP"からの全4曲である。このEPは、エスニックなサウンドを聴かせる‘Swallow'を筆頭に粒ぞろいの内容で、"Loveless"の音にとりこになった人を満足させるだろう。続く‘Instrumental No.2'と‘Instrumental No.1'は"Isn't Anything"のLP初回出荷分の付録となる7inchシングルの収録曲。ただし、そのときの曲名はそれぞれ‘Instrumental B'と‘Instrumental A'だった。続く収録曲‘Glider (Full Length Version)'は12inchシングル‘Soon (Andy Weatherall Mix)'のB面曲。‘Sugar’は1989年にフランスの音楽雑誌の付録レコードに提供されたもので、素晴らしい出来。残りの収録曲は、数年前にネットに流出した4曲の未発表曲のうちの3曲で、その音からは"Isn't Anything"のボツ曲だとわかる。クリエイション期の既発表音源で収録されなかったのは‘Soon (Andy Weatherall Mix)'だけである。

  僕は現役でマイブラを聴いておりstill nothingなるレーベル等の海賊音源も集めているという人間なので、初めて出会うという曲は無い。それでも、針飛び音の入っている海賊CDを聴かなくていいという事態に、ある種の解放感を感じる。"Loveless"に魅せられた人間の、その長い屈折したファン心理については、4年前のエントリに記した。この勢いで、Lazy以前の音源や、Island時代に残した曲──Lalala Human Stepsに提供した曲など──もまとめてCDにしてしまうことを願いたい。
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