29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

「政治学教科書の定番」とのことだが、初学者には冗長なところも

2015-01-30 10:30:34 | 読書ノート
R.A.ダール『現代政治分析』岩波現代文庫, 高畠通敏訳, 岩波書店, 2012.

  オビによれば「教科書の定番」とのこと。ロバート・ダールは米国の政治学者で、昨年亡くなっている。本書Modern Political Analysisは1963年初版で、2003年に第6版が発行されている。この文庫版は第5版が元になっている邦訳である。

  前半100ページほどは、政治学の領域を確定するための概念定義──特に影響力概念について──に費やされている。残りで、政治システムやポリアーキー、正義概念について論じられる。前半は政治学プロパーには重要なことなのかもしれないが、初学者には瑣末に見える。むしろ、後半のトピックをもう少し詳しく記述してほしい。というわけで、個人的には、初学者に政治学分野の魅力を伝えるにはバランスの悪い構成のように思えた。

  まあダールの思想に関心があるというならば意義があるのかもしれない。でも『デモクラシーとは何か』(参考)のほうが面白いと思う。
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色恋に関する表現のなかから「非モテ」を発掘した先駆的作品

2015-01-28 12:57:22 | 読書ノート
小谷野敦『<男の恋>の文学史』朝日選書, 朝日新聞社, 1997.

  下記は昨年春、勤務校の図書館から「教員が学生に推薦する本」を挙げるよう求められた際に書いた文章である。学生の読書に貢献できたかどうかはよくわからない。

  日本文学における「恋する男」の描かれ方を辿った著作。本書によれば、源氏物語を筆頭に、古代から江戸時代半ばまでは、失恋を理由にさめざめと泣く男の姿が同情を持って描かれていたという。しかし、ストイックな儒教倫理が武士層に浸透した江戸享保期以降、色恋にうつつを抜かす男は情けないとされて、恋愛に関して消極的な男性を積極的な女性が追いかけるという物語パターンが定着する。片思いの相手を獲ようと行動する男は馬鹿にされる対象となってしまった。このイメージは現在でもあまり変わっておらず、村上春樹作品(および少年漫画等)に典型的なように「女性獲得の努力をしない男性」崇拝が続いているという。このような日本の「モテる男」像を断罪し、それまで見過ごされてきた「非モテ」の存在を再発見した記念碑的名著である。
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出版関係者による久々の図書館批判についてのノート

2015-01-26 17:41:32 | 図書館・情報学
  『新潮45』2015年2月号「「出版文化」こそ国の根幹である」特集に釣られてみた。特集は、日本の読書および出版文化を衰退させている原因として、インターネット情報源、アマゾン、ブックオフ、図書館を批判しつつ、日本の出版の過去と独自性を回顧するというもの。寄稿しているのは、藤原正彦、林真理子、磯田道史、高井昌史(紀伊國屋書店)、石井(新潮社)、アレックス・カー、中川淳一郎、片山杜秀、竹内洋である。

  全体として、批判の対象が複数ありすぎで、特集で訴えたいことが拡散しすぎという印象。後半の中川、片山、竹内らの記事が暗に示唆しているように、結局読書の衰退の原因は、読書時間がネットやスマホにかける時間とトレードオフになっていることだろう。この文脈ではアマゾンやブックオフや図書館も同じようにその衰退の影響を被るわけであって、ネット情報源と一緒くたにして日本の教養の破壊者扱いするのは筋違い、という気になる。

  図書館批判は林“本はタダではありません”、石井“図書館の“錦の御旗”が出版社を潰す”の二つで出てくる。どちらも、執筆者や編集者の仕事とペイを紹介しながら、無料提供がこのサイクルをいかに破壊するものかを記したものである。僕としては、未だ続くベストセラーの複本による大量貸出に対する批判には同意するものの、石井の「こつこつと増刷する本」まで含めて貸出猶予を設けるべきという提案はやや気になった。具体的なタイトルが不明ながら、そういう本は図書館で複本で準備していないのではないか。もはや、たとえ一冊であろうと新刊の貸出自体が出版社にとって悪ということなのだろう。

  このような記事には既視感がある。2000年の無料貸本屋論争と同じ。あの時やはり貸出猶予などの提案も受けたが、結局図書館側が妥協せず、最終的には著作権者は公共貸与権導入に戦略方針を変えたはず。その後どうなったんだっけ?導入されていないという現状だけは分かっているのだが。公共貸与権は著作権者にはメリットがあっても、出版社には何も恩恵はない。なので、出版社側の人間からの批判としてこれはまた新しい話なのかもしれないな。
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J-Pop概念成立以前にあった洋楽高度消化型日本製大衆音楽

2015-01-23 20:14:11 | 音盤ノート
大瀧詠一『Best Always』NIAGARA ⁄ Sony Music, 2014.

  J-Pop。2013年に亡くなった大瀧詠一のキャリア全体を通覧できるベスト盤。彼の業績については、ボーダッシュのJ-Pop論のエントリでも少し記した。

  収録曲35曲中31曲は1971年から85年までの録音で、ここまでが彼の実質的な活動期間だろう。初期の録音を集めたDisc 1からは、そのスタイルの変遷を明瞭に聴き取ることができる。はっぴいえんど期の米西海岸風ギターロックから、ミディアムテンポのビートルズ風楽曲を経て、1960年前後のアメリカンポップスを基調とした独自のAORサウンドに最終的に到達する。Track 13'青空のように'(1977)がその端緒だろう。Disc 1の最後には、これまで未発表だった'夢で逢えたら’作曲者本人による歌唱版が収録されており、本作の最大の聴きものとなっている。

  Disc 2はヒットアルバム『A LONG VACATION』(1981)と『EACH TIME』(1984)周辺のシングル曲を中心に収録されており、ヴァージョン違いがあるとはいえ個人的には聴いたことのある曲が多い。カスタネットとストリングスをバックに従えた、軟弱男の歌う激甘メロディ。これ以前の基準で考えると日本的ではないのだけれど、日本にしか存在しないというルーツ無き突然変異サウンド。全体の雰囲気という点で似ている洋楽を具体的に挙げることの難しい、舶来音楽を高度に消化してできあがった日本製大衆音楽である。Disc2の後の4曲は、1985年以降の長い沈黙期間の後、1997年と2003年にぽつぽつと発表されたシングル曲である。大瀧詠一に関する僕の記憶では新しい'幸せな結末’(1997)ももう18年前なのか。

  Disc 2のこのドリーミーで浮世離れした大瀧シティポップスこそ松任谷由美とともに1980年代日本を代表する音楽だった。小金と車を持った若者がビーチで展開する軽い恋。それは日本の演歌が鉄道で移動する北国の重い愛を歌っていたのと対極にあった。1980年代後半に地方在住の貧乏中高生だった僕──おまけに洋楽ニューウェーブ育ちときている──にとっては、村上春樹とともにキザでリアリティが無くて、憎悪を感じる世界だったな。しかし、上京20年を超えるおっさんとなった今となっては、同じく地方出身者の大瀧が敢えてリアリティの無いガラス細工のごとき世界を構築していたのだというような気がしていて、その音がしっくりと耳に響くようになった。
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閉架式から開架式の転換を告げる貴重な映像『格子なき図書館』

2015-01-21 17:38:10 | 映像ノート
DVD『映像でみる戦後日本図書館のあゆみ』日本図書館協会, 2014.

  昨年末にJLAから『格子なき図書館』(1950)と『図書館とこどもたち:ある市立図書館の児童奉仕』(1979)の二つの記録映画を収録したDVDがJLAから発行された。『図書館とこどもたち』は東京日野市の図書館活動を撮ったものらしいが未見。今回『格子なき図書館』のほうを見る機会があった。

  製作はGHQの民間情報教育局であり、新しい図書館の啓蒙活動に使用されたのだろう。その内容は「これまでの図書館は、閲覧料を徴収する有料制でなおかつ閉架式。使い難いことこの上ない。しかし、これからの図書館は開架式で、書架に行って直接書籍を探せます。レコードも映画も視聴できます。農村の奥地までエクステンションサービスもやっています。」というもの。新潟、千葉などの県立図書館がその代表として紹介されている。

  開架式のメリットを伝えるという点では狙い通りだったろう。ただ、タイトルにある格子って何?以前の図書館にもそんなものないでしょ。英題は"Libraries without Bars"なので「(閉架書庫と利用者の間にある)カウンター無き図書館」ではないだろうか(あまり自信があるわけではないので詳しい人は教えてください)。敢えて昔を悪く表現するため、戦略的に「格子」と訳したのかもしれない。
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昔の恋人の作った歌を淡々と歌い、感傷も追憶もなし

2015-01-19 22:19:22 | 音盤ノート
Monica Zetterlund "Chicken Feathers" SR Records, 1972.

  ジャズ。スウェーデンの女性歌手モニカ・ゼタールンドによるSteve Kuhn作品集。彼女の作品としてはBill Evans Trioを伴奏に従えた"Waltz For Debby"(Philips, 1964)だけが突出して有名である。おそらく彼女のファンというのはほとんどいなくて、ビル・エバンスのファンが彼女のキャリアの中からそのアルバムだけをピンポイントで聴いているのだろう。しかしながら昨年彼女の伝記映画『ストックホルムでワルツを』が公開されて以降、2014年に彼女の録音がいくつか再発されている。この作品もその一つだが、日本盤のみの再発である。

  裏ジャケットにはでかでかとSteve Kuhnと記載されているが、楽曲の提供だけで本人は演奏に参加していないので注意すべし。ライナーノーツを書いている茂木亮によれば、米国からスウェーデンに移住してきたキューンは、彼女と仕事と生活を共にするようになるものの、エバンスの二番煎じ的な位置づけしか与えられなかったためにミュージシャンとして不満を抱えるようになり、1971年に彼女と別れて帰国してしまう。この本作は、残された彼女が昔の恋人の書いた曲を歌ったアルバムということになる。が、そうしたシチュエーションを感じさせるような感情の動きは聞き取れない。

  バッキングはビッグバンドで、ほんの少々ファンキーな感覚を取り入れつつの端正な演奏である。ボーカルは低くわずかながらかすれた声色で、陰影をもたせつつ歌う。それぞれ巧い。が、あまり突出したところもない。キューンの魅力というのは、遅れ気味のタイム感覚で、ダラダラと耽美に沈んでゆくところである。'Silver'のようなスローな曲はそれらしくなるが、その他はちょっと違う。ゼタールンドの作品であってキューンの作品ではないと言えばそうなのだが、同種の企画ならばキューン伴奏のKarin Krog作(参考)またはSheila Jordan作(参考)の作品のほうが個人的には好みだ。

  とはいえこういう編成でのキューン作の録音はあまり聴く機会がないので貴重。キューンのファンならば聴く価値はある。要するにマニア向け作品である。
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さまざまな風邪治療法が「効かない」ことがよくわかる

2015-01-16 09:15:15 | 読書ノート
ジェニファー・アッカーマン『かぜの科学:もっとも身近な病の生態』鍛原多惠子訳, 早川書房, 2011.

  ジャーナリストによる風邪に関する現代医学レポート。原書は"Ah-Choo!:The Uncommon Life of Your Common Cold" (2010)であるが、"Ah-Choo"ってもしや英語でのくしゃみの擬音表現がこれ?僕にはどうしてもブルース・リーがヌンチャクを振り回して怪鳥音をきめる姿が脳裏に浮かぶ。

  それにしても意外な事実が多くて面白い。まず、簡単な風邪研究の歴史──ウイルスの感染経路が空気なのか物質表面なのかはまだよくわかっていないらしい──を描き、次に(インフルエンザウイルスではない)風邪ウイルスに直接働きかける薬なるものは存在しないという。というのもウイルスの種類が多すぎるから。新種のウイルスは現れては消えてゆく。後半で風邪に効くと言われてきた北米の市販薬や民間療法の検証などが検証されている。市販の薬は症状を軽減するだけで、しかもその薬効は幾分かプラシーボ効果の結果であると。ビタミンCは効かない(エエッ!!)。著者の勧める確実な治療法は「寝てろ」ということだ。

  興味深いのは免疫系の話。風邪でおこる鼻水やくしゃみや熱は、ウイルスそのものがもたらす症状ではなく、免疫系がウイルスを駆逐しようと対処している結果の症状であるという。そこから、ウイルスに感染しながらまったく症状の無い体質が存在することや、衛生仮説の話に及んでいる。あと、医者が処方する抗生物質は風邪には効かないという。なぜならウイルスと細菌は異なるから。抗生物質は細菌を殺すけれどもウイルスを殺さないんだって。

  読んでみると、なんだか風邪治療の世界に進歩が無かったかのよう感じるが、実際に医者に行ってみるとまた違う。僕が子どもだった30年くらい前には、風邪にかかると医者から体温を下げるよう頓服薬が処方され、氷枕でさんざん頭が冷やされたものだった。ところが今世紀に入って、自分の子どもを病院に連れて行ったところ「熱が出るのは正常な反応なので無理に下げてはいけません(ただし高熱が続く場合は除く)」と言われる。日本でも風邪の治療法は変化している。でも抗生物質はまだ処方されていたな。
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完成度は高いが過渡期扱いされるアルバム

2015-01-14 10:13:48 | 音盤ノート
Cocteau Twins "Head Over Heels" 4AD, 1983.

  ポストパンク。"Garlands"(参考)に続く第二作で、編成ではベースのWill Heggieがバンドを抜けてフレイザーとガスリーの二人組になっている。2003年にリマスタリング盤が発行される以前のCDには、"Sunburst and Snowblind EP"収録の4曲もボーナストラックとして付されていた。

  前作から引き続くゴス路線だが、音造りはかなり変化している。まず打込みによるリズムが重くなった。バスドラム音をいちいちエコーをかけて打ち鳴らすので、地雷が炸裂しているのかのように打楽器が響く。ちなみにこの使用法は"Blue Bell Knoll"(参考)直前まで続く。他には三拍子の曲が増えて、シンセサイザーも用いるようになり、曲調も音色も多彩になった。おまけに曲の荘厳さが増す一方で、柔和かつ叙情的な表現も出来るようになった。ただし、ボーカルはまだファルセットを用いていない。

  ボーカルの点で過渡期の作品ではあるが、バックトラックの面ではすでにスタイルを確立している。後年に比べるとギターがまだ激しく聴こえるのが唯一の初期作品らしさ。ゴス作品としての完成度は高く、この路線でもう一枚くらいアルバムがあってもいいかなと思えるくらい。が、次作でさらに大変化を遂げてしまう。
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長い・高い・難解の三重苦揃った積読本からの自由

2015-01-12 22:42:39 | 読書ノート
ジョン・ロールズ『正義論:改訂版』川本隆史, 福間聡, 神島裕子訳, 紀伊國屋書店, 2010.

  積読の世界でセンセーションを巻き起こしているらしいみすず書房の『21世紀の資本』。A5版の700項。すでに多くの人が予想しているように、購入された新刊の大半は読了されないだろう。これと似たような本は5年前にも出ていた。このロールズの邦訳である。こちらはA5版の800頁で、僕は購入直後に30ページほど読んで挫折した。ピケティ本ベストセラーのニュースに触発されて、4年間寝かせた『正義論』を年末年始にかけて読んでみた。

  まず、その分厚さよりも哲学的思弁に溢れた文章を追うのに難儀する。長くても『孤独なボウリング』(参考)なんかスラスラ読めたのだが、『正義論』はつっかえつっかえであった。やはり哲学書であり、カントを読むのと同じ感覚である。あと読み進めるのに基礎知識が必要で、功利主義批判で出てくるのはベンサム、ミルだけでなく、ほとんど邦訳の無いシジウィック(Henry Sidgwick)であり、大量の経済学者である。経済学はかなり研究したようで、本文でも脚注でも経済学の教科書で言及される名前がわんさと出てくる。厚生経済学の原理についての多少の理解がないと、著者が何を批判しているのかわからないだろう。

  さて、部分的には社会的協働に貢献しないフリーライダーの問題にも強い関心が寄せられており、社会的弱者の逸脱的振舞いまでも肯定しがちなよくあるリベラル派の議論ではないことは読んで初めてわかった。そもそも、格差を是正するための現実的な制度や許容できる格差の程度などは議論されていない。その点で、重要な問題が扱われていないという印象もある。あと、繰り返し提示される「自尊心は基本財」という主張。自尊心は生まれつきの性格に依存し、またそれは高ければよいというものでもないという知見もある(参考)。自尊心重視というのはアメリカ人らしいとはいえ、社会制度によってコントロールできないうえに必ずしも善ではないものを分配の対象に含めてしまうというのは普遍性が無いと感じられるところである。議論の中心となる無知のヴェールと正義の二原理については多くの解説と突っ込みがある通りだろう。

  こうして積読本が一つ減った。心の重荷から解放されたようで素晴らしく気分がいい。そしてそうした気分を味わうためには、積読本を溜めておかなければならない。『21世紀の資本』を買おう。
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音になった幸福感、長続きしなかったからこそ貴重

2015-01-09 15:12:49 | 音盤ノート
Cocteau Twins "Heaven or Las Vegas" 4AD, 1990.

  耽美系女性ボーカル音楽。"Blue Bell Knoll"(参考)に続く6作目。英国インディーズ4ADからの最後の録音で、その後当時インディーズバンドを次々デビューさせていたFontanaに彼らは移籍する。昔読んだインタビューでは、ボーカルのElizabeth Fraserの妊娠中に録音された曲と出産後に録音された曲とがあるらしく、微妙に雰囲気が違うとのこと(本人談)だが、一介のリスナーにはその違いはわからない。全体を通して感じられるのは、溢れんばかりの母性と多幸感である(憂いを帯びる瞬間もある)。

  本作では近寄りがたい雰囲気を醸し出していたゴス的な荘厳さはほとんどなくなって、聴きやすいポップソングに徹している。全曲甲乙つけがたいクオリティで、シングル曲の'Iceblink Luck'と'Heaven or Las Vegas'を特別優れていると感じないほど。ボーカルは前作より裏声が控え目。重ねた地声で主にメロディを展開し、効果的な部分でファルセットを投入するという配分で、もはやツボを熟知した職人芸である。ギターほかの楽器もエフェクトを厚くかけすぎで、もはや何の音のだかよくわからない。ギターのアルペジオは雲間から金粉が降り注ぐかのよう。このバンドの絶頂期を記録した録音として絶賛されるべき内容である。

  高校生のときこのアルバムを聴いたとき、「幸せって音にできるんだね」と思ったものだ。この後、バンド内の夫婦だったRobin Guthrie(g)とフレイザーの関係が崩壊していくのだが、続きは本作と比べるとやや冷めた印象の"Four-Calendar Cafe"のエントリ(参考)で。
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