29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

哲学的自然主義からアプローチする自由、道徳、人生

2014-03-31 18:02:14 | 読書ノート
戸田山和久『哲学入門』ちくま新書, 筑摩書房, 2014.

  物理的世界と整合するように生物の情報認識を位置づけ、そこから人間における観念の操作、自由、道徳などへの考察に進むという哲学の書籍。タイトルから想起されるような「ヘーゲルは~」「ヴィトゲンシュタインは~」という過去のスター哲学者の話はほとんどない。出てくるのはミリカンとかトレツキなるマイナーな哲学者で、僕が読んだことがあるのはデネットぐらいだ。著者は名古屋大学所属の科学哲学系の人で、NHKブックスの『論文の教室』がもっとも有名な著作かもしれない。

  「入門」と銘打たれ、くだけた調子で書かれているが、分量は多く(446p‼)、説明方法も新奇でやや難の部類に入る内容。前半で、生物が外界を認知するシステム(「情報を受容したら即行動」)から、人間がなぜ表象を操作できるのかという議論(それは「情報を表象として蓄積しておいて将来の行動に備える」からだ)について説明される。読めば生物学や進化心理学に依拠しているのがわかり、その分野の語彙ならばもっと簡単に説明できそうな気がする。しかし、そこは哲学書らしく、概念をきっちり定義して、ライバル哲学者の疑問に反駁しながら進む。特に「情報」と「知識」を定義する第三章は難解。最後の二章で、環境および生物学的に「決定」されている人間の「自由意志」をどう把握すべきか、もし「自由意志」が無ければ責任問題や道徳などはどうなるのか、について議論している。このあたりは哲学書らしいトピックだが、あくまでも自然科学的な人間像をベースにした議論であるところがミソ。反証可能なように議論が設計されている。

  哲学的思弁に飽きた哲学者による、自然科学によって検証されうる哲学構築の試み、と言って良いだろうか。新しい、今まで読んだことのない哲学書である。この本の読者がいわゆる「哲学」に興味を持つようになるのかどうかは疑問なしとしないが、どのような議論が残されており、かつ生産的かという方向を示した点では意義が大きいだろう。
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人生二つめの勤務先の一年間を終えて

2014-03-29 21:09:17 | チラシの裏
  常葉短大から文教大に異動してほぼ一年経った。やはり短大と四大は違う。

  短大は規模が小さかったので、組織の仕事全体が見ることができた。自分の所属する専攻の校務だけでなく、教務や広報、就職支援などの事務セクションの仕事にも関与させられた。他の専攻の教員や事務員とのコミュニケーション機会も頻繁にあった。おかげで学校の経営の全体像が把握できていた気がする。各業務の担当者も「できる人」についてもお互いよく知っており、またそれなりに懇意なので、何かあっても組織を少しは動かせるという感覚があった。そうした人間関係の密度の分、軋轢もあるのだけれども。もちろん、これは経営層と同じ情報を得ていたということではなくて、下っ端教員の立場から学校がどのように動いているかを何となく見通すことができたということにすぎない。

  四大ではそういうことはなくて、主にコミュニケーションするのは所属する学科の教員ばかりで、しかもかなり表面的なつきあい。学校の情報は学部の教授会から得られることだけ、という状態である。校務も減って、学校全体がどう動いているのかは一教員が感知するところではなくなった。おかげで研究に集中できる。もうかつてのように、担当領域をめぐって他セクションから「図書館なんかどうでもいいんだよ」と面と向かって言われることも無いだろうし、また図書課長として職員減らしに直面したりすることもないだろう。結果、仕事で出会うのが図書館関係者や図書館情報学研究者ばかりになってしまった。快適は快適なのだが、このまま自分の研究分野に対する厳しい視線に出会わないままだと、スポイルされそうで怖い気もする。
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リケジョと言ってみたものの、ターゲットを絞り切れていない

2014-03-27 09:58:54 | 読書ノート
美馬のゆり『理系女子的生き方のススメ』岩波ジュニア新書, 岩波書店, 2012.

  タイトルの「理系女子」には「リケジョ」とルビが降ってある。著者は1960年生まれの東京出身で、理系のうちでも工学系のようだ。電気通信大、東大、ハーバード、外資系コンピュータ会社と渡り歩いて、教育学の修士号や情報システム研究での博士号を取得している。現在は公立はこだて未来大学の教授で、最近何かと話題のNHKの経営委員も務めている。

  個人的に子どもに読ませようと手にしてみたのだが、著者は育児もやりながら男だらけの理系社会で男性に伍してきたというスーパーウーマンで、その親も大学の先生である。ロールモデルとしては恵まれ過ぎかつ優秀過ぎで、あまり普遍的でないかもしれない。また、キャリアや出身家庭についてはそこそこ言及があるのだが、配偶者とどう出会ったかという話は書いてくれていない。そこは岩波書店であり下世話な話はナシということなのか。だが「生き方」と言うからには女の子が知りたい重要な情報だと思うのだが。

  肝心の主題だが、残念ながら「理系女子」というコンセプトを活かせていない。現代日本社会論についてはご説ごもっともではあるけど、文系の社会学系の研究者が書きそうなことの域を出ていない。だいいち、理系男子や文系女子との比較をしないと「理系女子」を十分定義できないはずだが、その作業を欠いている。しかし注意して読んでみると「日本社会では女性がキャリアを積むのは難しいのだけれど、理系女子ならば就職が容易でかつ労働市場退出後の復帰再就職も容易」という主張が浮かびあがる。だが、このように露骨に書くことができなかったのは、文系女子との間にくさびを打ち込みたくないという意識が働いたためだろう。あとがきで上野千鶴子への謝辞があるのを見てそう思った。
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モノトーン色に染められたバンドネオン、アコギ、ベースの三重奏団

2014-03-25 10:02:57 | 音盤ノート
Dino Saluzzi "Responsorium" ECM, 2003.

  ジャズ。"Cite de la Musique"(参考)の続編となるバンドネオン、アコギ、ベースのトリオ作品。ただしベースが「キース・ジャレット欧州カルテット組」のPalle Danielssonに変わっている。

  全体として哀愁をおびた演奏。感情表現は抑えめで決して甘くはならない。楽しげな曲は皆無で、悪く言えば一本調子だが、良く言えば統一感がある。バンドネオンが素晴らしいのは言うまでもないが、サルーシの息子のクラシックギターもなかなか。アルペジオでもソロでも少し湿った感じのいい音を出している。ベースも、曲によっては前面に出てきて深い音を聴かせる。

  最初に、パソコンの安物のスピーカーを通じてこのアルバムを聴いたとき、ベースの音が全然聞こえなかった。高価なスピーカーに替えてみて、初めてベースの深みある演奏が分かった次第。再生装置に気を使うアルバムである。
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タイトル通り編集業のたのしさを伝える。本の将来も悲観せず

2014-03-21 06:42:45 | 読書ノート
和田文夫, 大西美穂『たのしい編集 本づくりの基礎技術:編集、DTP、校正、装幀』ガイア・オペレーションズ, 2014.

  書籍の編集をめぐるエッセイ。教科書的な内容ではないが、そのような期待もそこそこ満たされる。編集者の発想がよくわかって、これはこれで興味深い読物となっている。一見共著のようだが、筆頭の和田ガイア・オペレーションズ代表が9割方書いている様子。もう一人は彼の弟子で、書籍の紹介や一部章の技術指導みたいなことをしているようである。

  全体は編集、DTP、校正、装幀、未来の五つの章に分けられており、各章それぞれにエッセイ、業者との対談、関連書籍の紹介が収録されている。フォント数や行間などをいじって一ページの見せ方にこだわったり、ルビや丸ガッコ解説文の付け方、見過ごしやすい校正ミス、カラー印刷における色の調整、本の内容に合わせた綴じの方法など、編集者がどのような視点で本を作っているのがよくわかって参考になる。

  どちらかと言えば見栄えの良い本を作るためのこだわりポイントの話が中心で、企画をたてたり著者とのコミュニケーションしたりするの話は多くない。そのため出版プロデューサー的な編集者のイメージよりは、職人的なイメージの方を強く植え付けられる。こまごまとした話が多いのに、神経をすり減らす感じはなく、著者は楽しげである。また、感触が柔らかく、ゆったり読めるような本の作りになっているのも面白い。
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ピアノトリオによるモリコーネ・マイナー曲集の再発

2014-03-19 13:33:25 | 音盤ノート
Enrico Pieranunzi "Play Morricone 1 & 2 : The Complete Recordings" CAM, 2014.

  ジャズ。イタリア人ピアニストのピエラヌンツィが、エンニオ・モリコーネの名曲の数々を演奏するという企画(数曲ピエラヌンツィのオリジナルがある)。ベースとドラムはMarc JohnsonとJoey Barronといういつもの米国人二人。もともとの録音は、すでに2003年に"Play Morricone"と"Play Morricone 2"と二枚に分割されて発行されている。このアルバムは、同じメンバーによる“Live in Japan”(CAM, 2007)に収録された‘Nuovo Cinema Paradiso’‘Musashi’の二曲を加え、曲順をいじらずに新たに二枚組のワンパックとした再発盤である。

  個人的にモリコーネ曲をよく知らないこともあって、原曲と比べてどうこうとは言えない。ピエラヌンツィのアルバムとしてはかなり素晴らしい部類に入る。特に速い曲における盛り上げ方は巧い。指がもつれそうなフレーズを破綻なくまとめながら切なさもまた漂わせるという、躍動感だけではない演奏になっている。それだけでなく、スローテンポの曲もまた流麗かつ叙情的で、もったいぶらずにはじめから音数多めにメロディを紡ぎだすので、途中でアイデアが尽きないのだろうかと心配になるのだが、最後まで息切れせずにソロを構築してみせる。見事というほかない。

  なお、一枚目についてはすでに2年前のエントリに記している。一枚目は躍動感あふれる曲が多く、二枚目はゆったりした曲が多い。個人的には二枚目が良かった。オマケとしてステッカーが付いているが、貼らないだろうな。
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中年になると渋谷はつらいよ

2014-03-17 15:08:19 | チラシの裏
  久々に東京渋谷に行った。最後に来たのが、青山短大での非常勤講師としての最後の講義のときだから、6年ぶりになる。20代の頃は、月一回のペースでディスクユニオン→レコファン→(たまにバナナレコード)→タワレコまたはHMVというコースで、CDとレコードを馬鹿みたいに漁っていた。一店舗で90分ぐらい吟味するうえ、立ちっぱなしなのでけっこう疲労する。けれども若くてお金が無い頃はそうするしかなかったし、それが出来た。

  齢40となって同じことをチャレンジしてみたが、まったく無理だった。最初にレコファンへ行ってレコードを処分してきた。査定を待っている間に店内を回ってみて、十分整理されていない膨大な量の中古盤の数に圧倒されてしまい、一枚一枚チェックする気が失せてしまった。中古盤漁りをするパワーが中年の自分には欠けているということに気付くと、ディスクユニオンに行くのを止めてタワレコに行った。レア盤のレコードを掘り当てて帰るつもりだったのに、ピエラヌンツィのモリコーネ集再発CDを買って帰るという志の低い結果になった。やっぱり、歳をとると「金より時間のほうが重要」になってしまう。

  久々に訪れて安心したのはレコファンの査定額。ディスクユニオンの方が高額査定で、レコファンは低い、というのは僕のような「貧乏なのに大量に音楽を聴く」人には良く知られていることだろう。なので、まず前者に持ち込むのだが、前者が引き取ってくれなさそうなものは後者に持っていく。今回レコファンを先に訪れたのは、微妙な状態のレコードが多かったから。30枚ぐらい査定してもらったのだが、100円にもならなかった。昔と変わらない渋い査定ぶりに、懐かしさが込み上げてきた。
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言語を習得をしているかしていないかで行動に差が出るとのこと

2014-03-14 20:46:48 | 読書ノート
今井むつみ『ことばと思考』岩波新書, 岩波書店, 2010.

  言語が思考を決定するのか否かを科学的に問うている入門書籍。いわゆるサピア=ウォーフ仮説が唱えるように言語の種類によって世界の見え方は全然変わってしまうのか、それともスティーブン・ピンカーが言うように現実世界に対する認識は言語とは無関係であり人間に共通したものなのかについて、各種実験を参照しながら検証している。

  で、その答えは「どっちも」というもの。「ねこ」とか「いぬ」のレベルなど、基礎カテゴリは各言語で共通しており、「動物」や「チワワ」などの他のレベルに比べて子どもにとって覚えやすいという。このような先天的に習得しやすい人類共通の概念があり、これらは言語に先行する思考と言えるだろう。一方で、動作の分類や色彩など言語によって異なる概念もまた、様々な実験によって思考に影響を与えているという。したがって、言語によって世界の見え方が異なっているというのもまた事実だという。

  以上のように玉虫色の決着のわけであるが、それでも現在の科学的言語研究を垣間見ることができて面白い。言語を使える状態にないと、概念間の連結が出来なくなって適切な行動ができなくなったりするとのこと(「一つの空間にある複数の特徴を把握してものの位置を記憶する」ということが難しくなるらしい)。著者は言語の違いからくる認識の違いを強調しているが、個人的には言語があるかないかで思考や行動が変わるという点が興味深かった。
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映画音楽家によるフュージョンとイージーリスニングの中間的作品

2014-03-12 12:56:24 | 音盤ノート
Lalo Schifrin "Black Widow" CTI, 1976.

  フュージョンまたはイージー・リスニング。「ラロ・シフリン」と僕が聞いてまず思い浮かぶのが『燃えよドラゴン』のテーマ。僕の頭の中で、ブルース・リーの怪鳥音が入る派手なオープニングから、シンセサイザー音による怪しげなメロディが展開する中盤までを、かなりの程度再現できる。シフリンは、この他にも『スパイ大作戦』『ダーティハリー』などを手掛けている。当時新興のジャズレーベルCTIにアルバムを録音する人とは見えないが、調べてみると昔からジャズ・ミュージシャンのオーケストラアレンジをこなしていたみたいだ。

  曲は爽快なタイプとファンキーなタイプの二つに分かれる。厚めのオーケストラによる演奏で、譜面がきっちり書き込まれている模様。基本は手堅いリズム隊を底に、ホーンとストリングスとシンセサイザーを絡ませて演奏が進行する。バリー・ホワイトの「愛のテーマ」みたいと言えばわかるだろうか。いくつかの曲でギターやエレクトリック・ピアノが前面に出てくるが、アドリブという感じではない。純粋なアドリブ演奏はおそらくB面1曲目の‘Jaws’におけるHubert Lawsによるフルートソロだけだと思われる。ちなみにこの‘Jaws’はジョン・ウィリアムズ作の例の曲をシフリンがアレンジしたものである。

  僕が保有しているのはLP盤で全8曲30分ほどの内容。アルバムはすでにCD化されており4曲のボーナストラックが付いているが、そちらは未聴のままである。手堅い出来ではあるが、心を揺さぶるというものでもない。
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米国連邦最高裁による判決の要因および影響の歴史、とすると硬いかな

2014-03-10 20:58:29 | 読書ノート
阿川尚之『憲法で読むアメリカ史(全)』ちくま学芸文庫, 筑摩書房, 2013.

  米国連邦最高裁が憲法をどう解釈してきたかについて歴史的に記述した内容。最高裁の判決が政治や世論にどのような影響を与えたのか、あるいはその逆の影響について、その時代のアメリカ社会全体を眺めるように書いている。入門的な内容ではあるが、読みこなすには多少の憲法の知識が必要だろう。

  全28章と細かく分かれており、冒頭の数章は米国憲法の成り立ち、続いて原住民が作った国家と連邦および州との外交関係、真ん中の章のほとんどは黒人の人種差別問題が南北対立となって南北戦争となり占領地行政と代わっていく様について、後半1/3は19世紀後半から20世紀初頭までの経済自由主義時代、ニューディール時代、1950年代から60年代にリベラルな判決を多く下したウォレン長官時代、およびバーガー長官時代を扱っている。当初の最高裁は大した影響力をもっておらず、また時代によって浮沈もあったとのこと。特に戦争や恐慌の時代になると大統領の力が増し、議会や最高裁の地位は相対的に低下することがわかる。

  この文庫版は、2004年にPHP新書として二分冊で発行されていたものを、冒頭と最後を削って一冊にしたもの。もったいないのは1986年-2005年のレンキスト長官時代を削ったことで、もう数年経たことであるし、むしろ加筆されるべきだったのではないだろうか。
  
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