ポール・シーブライト『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか?:ヒトの進化からみた経済学』山形浩生, 森本正史訳, みすず書房, 2014.
進化論における人間観と経済学的な社会観を繋げようとする論考。原題は"The company of strangers : A natural history of economic life"で、初版が2004年、邦訳の元となった増補版が2010年に発行されている。著者はフランスの経済学者だとのこと。
非血縁個体間の協力行動が進化論的にみて不合理であり説明の必要な現象である、という前提を理解していないと、本書の意義はわかりにくいかもしれない。現在の支配的なパラダイムである利己的な遺伝子説を徹底すれば「稀にしか顔を会せない、属する集団の異なる、非血縁の個体」とは資源を争う敵であり、殺害してしまったほうがよい。なのになぜ、人類はそうした関係の相手と取引をするようになったのか──裏切られて搾取される可能性もあるのに、というわけである。
著者によれば、「強力な返報者」──コストと引き合わないほど過剰に報恩する、あるいは過剰に制裁する個体──が集団内にわずかながら存在すれば、その集団外にいる取引相手にとっても、制裁されるリスクのために裏切ることのコストが上昇し、協力関係の維持の方が利にかなうようになるという。そのような返報者は集団「内」で搾取されて淘汰されないのだろうかと個人的に疑問を感じたが、著者は群淘汰を肯定する(正確には遺伝子淘汰説とそれは両立すると主張する)ことで解決している。
以上のことが全体の1/4程度で説明される。残りのページは、安定した協力関係の成立が個体の専門・分業化とともに視野狭窄を生み出してきたことの帰結についてである。視野狭窄は社会を発展させてきたが、同時に社会を不安定にしてきた(恐慌や戦争など)。また人類は、社会の危機に対抗する制度──家族・都市・国家・経済──を生み出してきたが、それぞれに不完全さもある。これらが歴史学や人類学などさまざまな領域を動員して説明されるが、冒頭にあった進化論的な説明は後景に引いてしまっている。
全体としては大風呂敷すぎる感もあり、十分まとまっているという印象はないのだが、個々のトピックの分析は面白く、発見もある。ただ、読み進めるのに多少の前提知識が必要であり、やや難の部類に入るだろう。出版社が軟派な邦題にして大向うを狙ったのは分かるが、一般の人にはハードルが高いかもしれない。
進化論における人間観と経済学的な社会観を繋げようとする論考。原題は"The company of strangers : A natural history of economic life"で、初版が2004年、邦訳の元となった増補版が2010年に発行されている。著者はフランスの経済学者だとのこと。
非血縁個体間の協力行動が進化論的にみて不合理であり説明の必要な現象である、という前提を理解していないと、本書の意義はわかりにくいかもしれない。現在の支配的なパラダイムである利己的な遺伝子説を徹底すれば「稀にしか顔を会せない、属する集団の異なる、非血縁の個体」とは資源を争う敵であり、殺害してしまったほうがよい。なのになぜ、人類はそうした関係の相手と取引をするようになったのか──裏切られて搾取される可能性もあるのに、というわけである。
著者によれば、「強力な返報者」──コストと引き合わないほど過剰に報恩する、あるいは過剰に制裁する個体──が集団内にわずかながら存在すれば、その集団外にいる取引相手にとっても、制裁されるリスクのために裏切ることのコストが上昇し、協力関係の維持の方が利にかなうようになるという。そのような返報者は集団「内」で搾取されて淘汰されないのだろうかと個人的に疑問を感じたが、著者は群淘汰を肯定する(正確には遺伝子淘汰説とそれは両立すると主張する)ことで解決している。
以上のことが全体の1/4程度で説明される。残りのページは、安定した協力関係の成立が個体の専門・分業化とともに視野狭窄を生み出してきたことの帰結についてである。視野狭窄は社会を発展させてきたが、同時に社会を不安定にしてきた(恐慌や戦争など)。また人類は、社会の危機に対抗する制度──家族・都市・国家・経済──を生み出してきたが、それぞれに不完全さもある。これらが歴史学や人類学などさまざまな領域を動員して説明されるが、冒頭にあった進化論的な説明は後景に引いてしまっている。
全体としては大風呂敷すぎる感もあり、十分まとまっているという印象はないのだが、個々のトピックの分析は面白く、発見もある。ただ、読み進めるのに多少の前提知識が必要であり、やや難の部類に入るだろう。出版社が軟派な邦題にして大向うを狙ったのは分かるが、一般の人にはハードルが高いかもしれない。