29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

日本の企業統治の問題点を指摘

2009-02-27 10:52:09 | 読書ノート
岩田規久男『そもそも株式会社とは』ちくま新書, 筑摩書房, 2007.

  次のニュースを聞いて、以前読んだこの本のことを思い出した。

[東京 24日 ロイター]与謝野馨財務・金融・経済財政担当相は24日午前の衆院財務金融委員会で、企業業績の悪化によって労働者の雇用環境が悪化しているにもかかわらず、企業が配当維持など株主を優先しているとの指摘に対し、「一時期、会社は株主のものという誤った考えが広まった。会社は株主のものという考え方は私にはなじまない」と語った。同相は「会社のステークホルダー(利害関係者)は株主だけでなく、従業員、経営者、お得意さま、下請けなど。株主はステークホルダーのうちの1人だ」と述べた。佐々木憲昭委員(共産)の質問に答えた。1)

  この本の著者は、株主による企業統治を擁護する論陣を張っている。従業員らによる統治よりも、効率的な資源配分を実現する可能性が高いからである。否定的にみられがちだった1980年代の米国におけるM&Aの(意外な?)評価や、従業員主権論の検討を重ねて議論を展開している。

  この本が書かれた2007年当時の日本は、株主の発言力が高い企業文化ではまだなく、その兆しが見え始めた頃だった。ではその後、株主の力は増したか、というとそういう印象は無い。わが国の大臣が嫌悪するほど、日本の企業で株主が横暴を極めているようには見えない。むしろ司法では「もの言う株主」は排除され、経営者の優位が確立されたかのようである。

  第四章2節では、従業員の会社への強いコミットメントの問題も指摘されている。そこでの指摘に付け加えることがあるとすれば、従業員主権論でメリットを得るのは正規雇用者だけであり、非正規雇用者にはその恩恵は及ばないということだろう。大竹文雄先生の次のような議論もある。

株主からの不満が出るような行動を日本企業がとっている理由には、正社員による従業員主権のモデルで解釈するのが一つの方法だろう。従業員主権の企業は、株価最大化をするのではなく、正社員一人あたり所得の最大化を目的とする。(中略)そこで、正社員にとっての選択は、非正規従業員の増加によって企業を成長させ、非正規労働者の賃金を抑えておくことで、正社員一人あたり所得を増加させる、というものになる。おまけに、景気変動による所得変動リスクや解雇リスクも小さくすることができる。それこそ、日本の大企業と組合が選んできたことではないのだろうか。2)

  日本企業のガバナンスの問題を株主の行動に帰するのは偏った見方だ。日本政府がその問題点について冷静に把握してくれることを願いたい。

-----------

1) ロイター 2009/02/24
  http://jp.reuters.com/article/stocksNews/idJPnTK024028320090224
2) 大竹文雄 "矛盾なのだろうか?" 2008/12/23
   http://ohtake.cocolog-nifty.com/ohtake/2008/12/post-a191.html
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

継子関係の危険性を過大に見積もらせる恐れあり

2009-02-25 23:53:01 | 読書ノート
マーティン・デイリー, マーゴ・ウィルソン『シンデレラがいじめられるほんとうの理由』竹内久美子訳, 新潮社, 2002.

  児童虐待は実子よりも義理の親子関係において多く起こる、ということを進化心理学の立場から主張した短い書籍。動物の世界では、雌の連れ子を別の雄が殺してしまうことはよくあるようだ。NHKの動物番組でも、さまざまな動物の「連れ子殺し」はときおり描写されている(僕のうろ覚えによると、カバとヒグマの回でそうした行動が放送された)。著者らは、そうした心理や行動は人間でも同様だろうと推論している。

  確かに、児童虐待の報道の印象の限りでは、「刑事事件になるほどの児童虐待」は、継父または母の内縁の夫が起こしていることが多いように見える。別の学者によれば、彼らに加えて新しいパートナーを見つけた若い母も加害者になるようだ1)。日本の児童虐待のデータについては注2)にリンクを貼った。それによれば、実母が加害者となっている数値は高いが、年齢やパートナーの有無が不明なので、上の説を支持しているかどうかは不明である。「父親等」のケースでは、義理の親子関係をもつ世帯は全世帯数に占める割合が少ないだろうことを考えれば、非血縁者の男性が加害者となっている数は多いと言える。

  この著書の結論は、継子関係は葛藤をもたらすことを認識せよということだ。ただし、再婚を否定するようなほどのものではなく、連れ子がいる場合の再婚ではパートナーの心理を斟酌して振る舞うべきというレベルのアドバイスである。

  ただし、議論の大筋は納得できるものだが、義理の親子関係を営む人々のために、もう少し慎重に書かれても良かったのではないかという部分もある。各種統計から、実子と継子の場合のそれぞれの虐待数または割合を割り出している。数値は、継子のケースが相対的に多いことを示している。それ自体は受け入れざるえないのだが、義理の親子関係をもつ家庭全体における虐待の発生率を提示できなかったものだろうかとも思う。

  この本を読んだ印象では義理の親子関係はかなり危険であるかのように錯覚しそうになる。しかし、そうした家庭においても虐待が起こる可能性は、当てずっぽうにだが、0.01%にも満たないのではないだろうか?(刑事事件になったものに限れば、そもそも実数がかなり少ないといえる)。虐待が多くの再婚家庭で蔓延しているとも思えない。そうした家庭の大半は、内心の葛藤はどうあれ、虐待などなく平穏にやっているはずである。他の動物とは異なり、人類は義理の親子関係を安定的に営む能力があるのである。かく言う僕も、幼い頃から再婚家庭で育ったが、義理の親とは上手くやってきた。連れ子を持った場合の再婚について、問題が起こる可能性は頭の片隅にとどめておく必要はあるが、それが起こる確率を過大に見積もらない方がいいとも思う。その点が気になるところである。

-------------
1) デヴィッド・バス『「殺してやる」:止められない本能』柏書房, 2007.
2) 平成18年版 犯罪白書 第5編/第1章/第5節/2 児童虐待犯罪/ 5-1-5-3表 児童虐待に係る事件の加害者と被害者との関係
  http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/52/image/image/h005001005003h.jpg
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

突然の日本語アナウンス

2009-02-21 11:29:30 | 音盤ノート
John Coltrane "Live in Japan" Impulse!, rec.1966

 訳あって、普段ほとんど聴かないこのアルバムを久々に聴いてみた。4時間7分で全6曲、一曲平均40分。フリージャズ。やっぱりつらい。

  CDのdisc3の“Leo”の終盤、エンディングに入ったところで、突然日本人司会者が現われ「それでは花束を贈呈します」とアナウンスする。聴いている方は、「え、まだ演奏終わって無いんですけど」とびっくりさせられるだろう。普通のアルバムならば、血の汗が飛び散る熱い演奏をブチ壊す最低の演出だとみなすところだ。だが、テンション高すぎのこの作品においては、疲れきった聴き手を急速にクールダウンさせる、悪くない演出に思える。この司会者の、目の前のColtraneの演奏をまったく聴いていなかったかのような冷めた態度は、それぐらい演奏と落差がある。

  演奏そのものよりも、三時間耐えた後に突如冷や水を浴びせられるこの解放感がいい(ただし、演奏はもう一曲一時間続く)。たまに聴きたくなるのもそれが理由である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛知では週休三日

2009-02-19 17:16:14 | チラシの裏
  休暇をとって実家のある愛知県に帰省した。驚いたのは、親族・知人が夕食時にすでに帰宅していること。以前は仕事に忙しく残業続きで、平日夜に会うなんてことは不可能だった。それが今年2月以降、彼らの勤務する会社が金曜も休む週休三日制をしいたために、可能になった。

  どういうことかというと、トヨタが減産のために金曜に工場を止めている影響である。向こうでは、石を投げればトヨタの下請会社の社員に当たる(僕の親族・友人の多くも下請会社に勤務している)。下請会社もトヨタのスケジュールに合わせるので、勤務日が減るのである。僕の親族の一人は、残業も無くなり、給与が月に7万円も減るという。

  僕はうまれてこのかた、トヨタが不景気だなんて聞いたことはない。僕の知人の多くもそうだ。初めて経験する危機に、多くの人はとまどっているようだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域間を比較するアプローチが多い

2009-02-12 15:01:36 | 読書ノート
上村敏之, 田中宏樹編『検証格差拡大社会』日本経済新聞, 2008.

  日本の政治、社会保障、教育などさまざまところに見られる「格差」を検証した論文集。理論的なものもある。10本の論文のうち、6本が地域間にある格差を扱っており、所得・出生率・自治体財政・金融・安全などのさまざまな面から分析されている。

  個人的には第7章がもっとも面白かった。第7章は、日本の地域間経済格差が世界的に見て低いレベルであることを示し、その差が誇張される原因を国政選挙における一票の格差──地方に有利な格差──に求める。そして地域間経済格差が都市から地方への再分配政策で埋め合わされることで、逆に地方の“低い”労働生産性が維持されてしまっていると主張する。公共投資が、地方の活力を奪っているというのである。

  他に、第3章、第4章、第9章が興味深かった。第3章では、社会保障制度における世代間・世代内の格差が扱われている。第4章では、地域間の出生率の差の原因を探って、有効な少子化対策について考察している。第9章は、学校選択の自由化による学力格差を経験したイギリスの事例を紹介する。

  全体の論点が地域間格差へ偏っていることは気になるところで、近年の課題である労働市場における格差──正規・非正規の問題や男女差──が十分に扱われていない。これはやや不満な点である。第二集の企画がもしあれば、是非含めて欲しいトピックだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

輸入版を入手した直後に日本版発売のアナウンス

2009-02-10 16:14:14 | 音盤ノート
  ダゲレオ出版からイメージ・フォーラムの商標で発売されているクエイ兄弟の作品集のVHSを、知人の芸術家に貸した。そうしたら、米国製のDVDになって返却されてきた1)。なんでもテープを壊してしまったらしい。

  DVDには僕の知らない近年の映像作品も収録されている。インタビュー映像もあったが、僕の英語のレベルでは字幕が無いとわからない。また、ダゲレオのVHSに収録されていた「レオシュ・ヤナーチェク」は未収録だ。輸入版なのでパソコンのリージョン・コードの設定も変える必要がある。

  まあ、いいやと考えていたら、今年3月に日本版が発売されるとのこと2)。買いなおそう。あと、暗くて怖いので子どもにはすすめません。

----------------

1) "Phantom Museums: Short Films of the Quay Brothers" Zeitgeist Films, 2007.
2) "ブラザーズ・クエイ ショート・フィルム・コレクション" 東北新社, 2009.
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数学でロールズ

2009-02-09 11:23:01 | 読書ノート
小島寛之『確率的発想法:数学を日常に活かす』NHKブックス, NHK出版, 2004.

 副題でうたわれているほど「日常」にこだわっていない(つまり身近な例が多くて平易というわけではない)。確率論について説明しているのは前半で、後半ではロールズの再分配論を数学で基礎づける話になる。リスクあるいは自己責任に対する常識的な考えを反省させる良書である。

 前半で出てくる、フィッシャーとベイズの違いについての説明はよくわかった。前者の方法では、大量のデータを得た後ではないと判断を下せない。それに対し、後者は、起こりうる事象に対して最初に適当な仮定を割り振って、データを得た後に予測を修正していける柔軟さがあるとのこと。はじめからデータが十分にあるようなことはあまり無いので、世間ではベイズの方法の方が扱いやすいらしい。

 後半では、ロールズ的再分配やナイトの不確実性、宇沢弘文の社会的費用論が出てくる。議論百出のこの分野に対して、わりとあっさりとした説明でまとめている。もう少し突っ込んだ説明が欲しいという気もするが、社会思想を主題とした本ではないのでこれでいいのだろう。「彼らの思想を数学的に表現するとこうだよ」と教えてくれるところがメリットなのだ。

 著者はロック好きらしく、各章の始めにさまざまなアーティストの歌詞の引用を乗せている。残念ながら僕の趣味とは重ならなかった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リサイクルの失敗は市場のせい?

2009-02-05 19:50:28 | チラシの裏
 NHKクローズアップ現代「崩れた“中国依存”:日本のリサイクルを問う」を見ていたときのこと。なんでも、ペットボトルの廃棄物処理を中国に任せていたのだが、不況で買取が減り、国内の業者では処理が追いつかず、在庫がかさんで回収業者が困っているらしい。

 この番組冒頭の国谷裕子さんの発言には驚かされた。「このリサイクルの失敗は市場原理主義の失敗です」というようなことを言ったのだ。僕は問いたい。法律で規制され・かつ行政が介入するリサイクル業界のいったいどこが市場原理主義的なんですか? 現状で市場主義に嫌悪感を持つ人がいるのは理解できる。しかし、この業界の問題を市場のせいにするのはミスリーディングだろう。まあ、政府の失敗というより、調整期間に過ぎないと思うのだが。最悪、焼いちゃえばいいだろうし。

 以上、一視聴者のつまらない揚げ足取りでした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不景気の風景

2009-02-03 14:30:56 | チラシの裏
 横浜の関内に行く機会を持ったのだが、ホームレスが増えていて驚いた。しばらく横浜に住んでいた僕の経験では、横浜のホームレスは1990年代後半に増加し、00年代半ばに減ったという印象だ。それがまた1990年代に還ったみたいだ。公務員をやっている知人の話では、餓死したり凍死したりする人は現実にいるらしい(彼は死体の後処理をする仕事をしていた)。大変な時代がまたやって来たようだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする