29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

モントリオール産チルウェイブ系エレポップ

2018-03-25 23:34:31 | 音盤ノート
Seoul "I Become a Shade" Last Gang, 2015.

  カナダ・モントリオール出身のエレポップ三人組。深く残響処理されたクルーナー系匿名的ボーカルと浮遊感のあるシンセサイザーの取り合わせで、いわゆる"chillwave"系にカテゴライズできる。バンド名が都市名と音楽ジャンルのダブルミーニングとなっているが、あまりソウル/R&Bの影響は感じない。強いて言えば、「後期ロキシーミュージックはR&Bを独自に消化している」と言われてなるほどとやっとわかるのと同じレベルである。この喩えは若い人にはわからないかもしれないな。

  要はWashed Out(参考)フォロワー──1stの頃の──の音である。アルバムに収録されている曲のクオリティは高いけれども、地味めの落ち着いた楽曲が続く、ある一曲を除いて。その一曲であるtrack 4 'Real June'は淡くきらめくアップテンポの明るい曲で、フックのあるせつないメロディが印象に残る。リヴァーブの効いたギターのアルペジオも印象的で、ネオアコファンにもシューゲイザー好きにもお勧めできる名曲である。Chillwaveの影響下からさっさと脱して、このようなドリームポップ路線の楽曲を量産すべきだと思う。

  アルバム全体を通して聴くとしんみりするが、一曲だけ場違いで、その一曲が素晴らしいという作品。日本盤CDも発行されていて2曲のボートラがついているけれども、まずはyoutubeで試し聴きすべき。そろそろ二作目が出てもいい頃ではないだろうか。
  
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望ましい性格を努力によって身につける

2018-03-21 09:34:01 | 読書ノート
鶴光太郎『性格スキル:人生を決める5つの能力』祥伝社新書, 祥伝社, 2018.

  ビッグファイブを「性格スキル」と捉えてキャリアについて考えるという試み。半分は環境、半分は遺伝で決まるとされるビッグファイブだが、遺伝の面についてはまったく言及しない。五因子のうち有用なものを、環境を整備して努力によって身につけていこうと呼びかける。

  ビッグファイブには「開放性」「真面目さ」「外向性」「協調性」「精神的安定性」の五つの因子がある。米国では「協調性」が低いタイプのほうが所得が高いが、日本ではそれが高いタイプのほうが所得が高い。「外向性」は職種によって影響の出方に違いがあり、管理職や営業職では高いほうがよく、専門職の場合それが低いほうが仕事で成果がでやすいという。最も重要なのは「真面目さ」で、キャリアだけでなく寿命にもプラスに働く。しかも、「真面目さ」は年齢を経るごとに高めることができる。

  ということで、「真面目さ」をいかに培うか、保護者や教師、および読者に効果的な指導法・獲得法を説くことに後半の頁が割かれている。一方で「開放性」は、成人してから高めることが難しく、学齢期に文化芸術に対する感性を磨いておいたほうがよい、とも。また、「協調性」や「真面目さ」を培ううえで、OJTと転勤の多い日本的雇用慣行は役に立っていたのではないか、とも示唆される。

  以上。どちらかと言えば遺伝の影響が強調されてきたビッグファイブだが、本書は後天的に獲得可能であると論陣を張っている。環境の影響はあまり論じられてこなかったきらいがあり、この点が本書のオリジナルなところだろう。性格のプラスの面を後天的に獲得することは大変だろうか?読者は、本書を手にとる時点で十分「真面目」であると考えられる。すでにスクリーニングされているわけで、それを獲得する努力は難しくないだろう。
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非正規雇用増と並行して減少したのは正規雇用ではなく自営業である、と。

2018-03-15 11:31:02 | 読書ノート
神林龍『正規の世界・非正規の世界:現代日本労働経済学の基本問題』慶應義塾大学出版会, 2017.

  労働経済学。戦前の労働市場の実態から、日本的雇用慣行の成立と現状、労働法や労使関係、非正規雇用の業務内容まで詳しく探り、現在の日本の労働市場の全体像と方向を提示してみせる大著である。著者は一橋大学の先生。図表が小さくて老眼には辛く、また統計処理も複雑で、細かなところは完全には理解できたとは言えない。しかし、実証手続きに目をつぶってその言わんとするところだけを汲むだけでも、十分に啓発的である。

  1990年代末から日本的雇用慣行が崩れてきた、あるいは時代遅れだから捨てるべきだと言われてきた。しかしながら、2010年代半ばになっても正規雇用者の数は減少しておらず、また終身雇用が衰退しているわけでもなく、安定的に推移している。したがって「正規雇用者が非正規雇用者に置き換えられた」という通俗的なイメージは正しくない。1980年代以降の労働市場の変化は、自営業者の長期的な衰退によって代表されるべきで、非正規雇用者は自営業者に入れ替わるかたちで増加してきた。この傾向に対して、派遣法制の成立・改正はそれほどインパクトを持っていないという。

  では非正規の被用者となることは自営業よりマシなのか。収入に関して言えば非正規雇用されたほうがよく、ワークライフバランスに関して言えば自営業のほうが優れているという。一長一短なわけだが、しかし数十年にわたって非正規雇用が選択されてきた。その理由は推測されてはいるものの、今後の検証課題とされている。また、日本においてはこれまで、働き方のルール作りは労使で話し合うという形でコントロールしてきた。その合意は労働法以上に裁判所で尊重されてきた。しかし、非正規雇用者の数が拡大するにつれ、法・裁判・行政機関などの介入が増えるだろう(ニュアンス的には「必要だろう」とも取れる)と締めくくられている。

  以上が本書の中身。この他、戦前の民間の就職斡旋業や、女性労働、賃金格差や派遣が非正規に占める割合まで、労働問題で争点となりそうなさまざまな論点への言及がある。ハードではあるが、働き方改革を考えるための基本書籍として有用だろう。もう一回読むつもり。
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気に入っていたファッションが時代遅れになって

2018-03-11 15:20:48 | チラシの裏
  自分のことをファッショナブルな人間であると考えたことはないのだが、好みというものはある。また、服装のことを考えだすと無駄にエネルギーと時間を使うので、晩年のスティーブ・ジョブズに学び、できるだけ同じものを着用している。なので靴下はみんな黒、普段のズボンは茶色のツータックチノパンと決めてここ数年は過ごしてきた。

  先日、古くなったユニクロのツータックチノパンを買い換えようといくつかの店舗を探したのだが、生産を終了したのか、どこにも在庫がなかった。ノータックだらけである。自転車に乗る人間なのでももが太く、また男のくせに尻に肉がついているほうだ。このため、細い長い脚をきれいにみせるノータックでは動きにくく、またシルエットも不格好で似合わない。結局、手ぶらで帰宅することになった。

  ネット検索をかけてみたところ、どうやら現在ではツータックは時代遅れのものとして扱われているらしい。匿名のブロガーに「だ、ダサい。ダサすぎる!」と吐き捨てられ1)、男性ファッションの若い専門家(?)には"細身のシルエットが好まれる現在、タックの入ったパンツはオヤジ臭いものの代名詞とされてしまっています"2)と冷静に解説されるという具合である。知らんかった。今更ながらかなりショックだ。

  今時は細い身体を演出するのが流行りなのか。これは「若い身体を持っています」という性的ディスプレイ行動なのだろう、腹が出てきた中年男性から差別化するための。個人的にはもう腹は出てきているし、家庭もあるから別にモテなくてもいい。ファッションで流行に乗ろうとも思わない。お願いだから誰かツータックチノパン作ってほしい。というわけで今日もそれを探している。

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1) いろいろ気になるどっとこむ "まだツータックパンツのスーツ着てるの?ダサい40代にならないために", 2016.4.30 http://iroiro-kininaru.com/archives/1037.html


2) ライター田中 "ワンタック、ツータックのスラックス(パンツ)はオヤジ臭いか?" / 大人になれる本 http://otonaninareru.net/suit-tack/
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金塊密輸DJのデビュー作は知られざる和製ボサの良品

2018-03-08 22:31:48 | 音盤ノート
Studio Apartment "Paraiso Terrestre" RD Records, 2002.

  今日DJが金塊密輸で逮捕されたというニュースを目にした。記事を読んでも「森田昌典?誰?」という感じだったが、Studio Apartmentのメンバーだったか。個人的には1stと2ndだけ聴いたことがある。1stはけっこう気に入っていて、今でもたまに聴くことがある。このアルバムがそれだ。

  この頃はまだ三人組で、DJ、ピアニスト、ベース兼打ち込み担当という編成だった。音はボサノバとアシッドジャズの混交ハウスである。阿部登のピアノソロは巧いし、ゲストの女性ボーカルも力みすぎることなく爽やかに歌う。けれども、洒落ているように装っていても、リズムとメロディセンスにどこか垢抜けなさも感じる。このあたり、Kyoto Jazz Massiveにも共通する和製ハウスの限界であり魅力でもある。軽やかさと同時にかすかに密室性も漂わせており、ちょっとしたカルト臭が感じられなくもない。

  そうした点が僕のツボだったのだが、メンバーとしては克服したい弱点だったのだろう。2ndの"World Line"(New World, 2004)になるとボサノバ要素が減少し、歌いあげるスタイルのボーカリストを雇って線の細さを払拭した。逞しく健康的な二人組ハウスユニットに変貌してしまった。僕の耳からすれば「普通」で面白くない。2ndは発売時に特典付きCDを購入したのだが、あまり聴くこともなく短期間で中古盤屋に売り払った。でも商業的にはこちらの方が成功したみたいだ。以降は彼らのことを追っていない。

  というわけで1stは打込みボサの愛好家は聴く価値あり。歌詞は英語とポルトガル語、およびスキャットで、洋楽のように聴き流せる。ただし、CDは廃盤のようなのでストリーミングで聴くべし。Studio Apartmentもこの路線に戻ってきてくれないかな。
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日本の奨学金制度がまったくだめなわけではない、と

2018-03-05 20:44:36 | 読書ノート
本山勝寛『今こそ「奨学金」の本当の話をしよう。: 貧困の連鎖を断ち切る「教育とお金」の話』ポプラ新書, ポプラ社, 2018.

  最近とても評判の悪い日本の奨学金について、肯定的な議論を展開し、問題点を改善する提言をするもの。著者の肩書が「学びのエバンジェリスト」なんだが、よくわからない。そのスジでは有名な人なのだろうか。本書によれば、大分の極貧の家庭に育ちつつも、奨学金を得て公立高校から東大にすすみ、さらに奨学金でハーバード大への留学もしたという。

  上のような著者の体験を交えつつ、データも示しながら日本の奨学金の現状を示す。「有利子奨学金の金利は高くない」「奨学金返還の滞納者が目立つのは受給者の数が増えたからで、滞納者数および滞納率自体は近年低下している」「貧困家庭出身者の東大生に占める割合は13%ぐらいあり、必ずしも富裕層出身者ばかりではない」などなど。実態としては、日本の奨学金制度が貧しい育ちながら頭が良くて意欲のある学生の進学を支えているということを明らかにしている。ただし、問題点もないわけではない、というわけで9つの改善案を挙げて締めくくる。

  僕個人も奨学金が無ければ大学院に行けなかった人間なので、奨学金には感謝している。僕の場合、620万ぐらいの借金になったが、もう返還を済ませた(参考)。ただし、借金はやはり重荷で、悪く言いたくなる気持ちもわかる。本書は、奨学金が受給者を「騙って」借金地獄に落としているというような批判の、「騙って」の部分については十分反駁できていると思う。本書を読めば、奨学金が今でも貧困家庭出身者の学業を支える重要な経済的支援となっていることがよくわかる。

  けれども、奨学金をめぐる議論はこれだけではない。エリート大に行くような優秀な学生に対しては、世間も喜んで低金利でお金を貸すだろう。しかし、Fラン大学の学生に対しては?、というのが奨学金批判のもう一つの論点だろう。実質的に、奨学金はFラン大学への補助金になっているだけで、そのような大学に進む学生のメリットになっていないのではないか、というのだ。僕は「なっている」と考えているが、特に根拠はない。著者には、こうした非エリート大学進学者への公的支援は必要か、という論点にも取り組んでみてほしい。

  
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今世紀における日本の中小企業の苦闘の報告

2018-03-02 23:21:04 | 読書ノート
関満博『日本の中小企業:少子高齢化時代の起業・経営・承継』中公新書, 中央公論, 2017

  タイトル通り日本の中小企業の現状レポート。中身は雑誌記事やシリーズ本のために著者が取材した内容を元にしている。工業や農業などのモノづくり系から、サービス業やIT系までさまざまな企業を紹介してくれる。ただし、企業を紹介する際の切り口はあるけれども、そこでの考察は簡単なもので、深い分析があるわけではない。あくまで、各企業の奮闘をエピソード的に伝えるのが主眼である。

  日本の事業所は1991年をピークに減少しており、現在では起業より廃業のほうが多い状態だという。よく知られているように、東アジアとの競争や後継者不足などが原因である。こうした中、比較的うまくやっている中小企業数十社が紹介される。「初期投資額が小さく、専門技能がある」「既存のビジネスを維持しつつ売り先を変える(アジア市場や高齢者など)」「能力のある後継者がいる(家族以外の継承は制度的に難しいらしい)」など、生き残りのポイントはさまざまである。

  著者としては、中小企業が減少する中で希望のともしびを見つけようという趣旨なのだろう。しかし、読んでいる方はやはり暗くなる。「このビジネスモデルでこの先も続くのだろうか」と。事業継承をめぐる制度的問題は解決策は見えず、国内需要は先細りである。ただ、これはバランスよく各業種を見ようとしすぎた結果かもしれない。現在でも廃業より起業のほうが多い唯一の領域、サービス業の記述を厚めに報告してもよかったかもしれない。
  
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