29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

住むところと所属を変えて一カ月経った印象

2013-04-29 07:47:49 | チラシの裏
  所属大学と住む場所を埼玉に変えてはやひと月。その印象を軽く記しておきたい。

  まず気候風土。寒い。あと風が強い。三方を山に囲まれた静岡市では強風を経験することはほとんど無かった。こちら関東平野は吹きさらしであり、強風が直撃する。自転車通勤が辛い。立ち漕ぎしないと自転車が前に進まなくなることがしばしばある。昔愛知県に住んでいた時の、冬の北風「伊吹おろし」を思い出した。

  あと、越谷から春日部にかけての国道4号沿いを走ると、たくさんのステーキ屋またはハンバーグ屋に遭遇する。肉食系住民がたくさん住んでいるようだ。また定食がでるようなところは、「量は多いけどそんなに美味しくない」という店が多い気がする。僕の選択が悪いのか。誰かいい店を教えてほしい。

  学生気質については、短大と四大という違いの方が大きいかもしれない。かつての所属校では「鼻毛が出てますよ」と学生から率直に指摘されたものだが、現勤務校の学生はとても礼儀正しくて、教員に対して何かもの申す感じではない。その分、距離もある。たぶん学生たちは、教員のズボンのチャックが開いていることに気づいても、指摘せずに陰で笑っているだけだろう。

  その他、東武伊勢崎線の春日部・越谷間の駅前にはパチンコ屋が多すぎ。車の運転では、細い道でもスピード出しすぎ。水道水が深刻にまずい等、不満はいろいろあるけれども、そのうち慣れることだろう。職場の組織・教員については…今は止めておこう。もう少し観察してから報告することにしたい。報告できない可能性もあるが。
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知的に逡巡して立止るのみ。答えはないものの慧眼あり。

2013-04-26 14:53:10 | 読書ノート
猪木武徳『経済学に何ができるか:文明社会の制度的枠組み』中公新書, 中央公論, 2012.

  昨年の話題作だが今さら読んでみた。経済学という視点はあるものの、『戦後世界経済史』(参考)や『大学の反省』(参考)のようなワンテーマを深く掘り下げる内容ではない。様々なトピックを扱い、それぞれについての議論の整理や、解答に至る考え方を示すエッセイ集である。個々のトピックについてのはっきりとした解答は提示されていない。この点で物足りなさもあるが、けれども答えの無さに立止る著者の佇まいに、読者は健全な良識を感じることだろう。

  扱われているのは、税金、中央銀行、インフレ、投資、貧困と失業、幸福感、知識の囲い込み、消費の倫理性、結社、分配の倫理学、幸福の指標である。読んでみると、著者は反リフレとは言わないまでもリフレ政策に慎重な立場のようである。これと同様に、極端な主張や政策を回避し、中庸でバランスの採れた方向を追及するというのが著者のスタンスである。書名に対する解答は明らかではないけれども、全体を読む限りは経済学で分かるところも分からないところもあるというしごくまっとうなものである。とはいえ、一見経済学の限界を明らかにしているようでいて、逆に経済学はさまざまなトピックと関わることができるということも示している。
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ニカとジャズとロックのバランスの採れた配合

2013-04-24 08:45:58 | 音盤ノート
Jaga Jazzist "The Stix" Ninja Tune, 2003.

  ポストロックのようなジャズ。"What We Must"(参考)の前のアルバムということになるが、こちらの方がエレクトロニカっぽくて、密室的な印象である。エフェクト処理した管楽器隊がアドリブらしきソロをたっぷり吹いているので、ジャズ的という条件も満たしている。アコギからヴィヴラフォン、ストリングス系のシンセ、グリッチ音まで音色も多彩で面白い。曲展開も複雑で、まったく先が読めない。これは正しくジャンル不明の音楽である。でもメロディは"What We Must"の方がいいかな。日本にも何度も来てるんだね、知らなかった。5月にライブ盤が出るらしいので期待。

  それにしても、Bugge Wesseltoftが1990年代半ばにジャンル横断的な「フューチャージャズ」を提唱して10年もたたないうちに、このような複数のジャンルから見て遜色のない作品が完成したのだと思うと感慨深い。当時のヴェッセルトフトやNils Petter Molvaerを聴いたとき、他のジャズミュージシャンと比べてアドリブ面で秀でていないが故に、エレクトロニクスによる音色の新しさで勝負しようとしているという印象があった。けれども、このジャガ・ジャジストには、ソリストとしても優秀なMathias Eickが在籍していたりして、欠如を取り繕うための新機軸という感じはしない。ノルウェーの音楽家の層は厚い。
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日本における少額訴訟の実態と対策

2013-04-22 10:02:55 | 読書ノート
橘玲『臆病者のための裁判入門』文春新書, 文藝春秋, 2012.

  少額の金銭を扱う民事の紛争を、日本の司法システムがどう処理するのかレポートした書籍。前半は、筆者とその友人が経験した保険会社とのトラブルをめぐる裁判体験記である。後半は、これまでの日本の裁判の問題点を挙げて、ADRという裁判所の外の新しい民事調停システムを紹介し、簡易裁判所の利用実態、日本でなぜ本人訴訟が多いのか、原発事故の賠償請求をめぐる見通し、を扱っている。

  少額訴訟とは請求額が60万円以下のもので、弁護士にとっても実入りの悪い裁判である。彼らに依頼しても断られるし、依頼者にとっても代理を立てることはコストパフォーマンスが良くないので、「本人訴訟」が一般的になっているという。実際、少額訴訟における本人訴訟の割合は99%だそうだ。こういうのをいちいち裁判所を使って裁いていたのでは税金の無駄遣い(別の重要な裁判が山積しているのだ)になる。そこで近年、ADRという元弁護士や元司法関係者が調停者となる民事の調停システムが導入されて、それなりに成果を挙げているらしい。ただ、強制力は裁判よりも弱いので、最終的には法廷で戦うことも覚悟しなければならないとのこと。その日本の裁判所の問題として、強制執行する力が弱いことが挙げられている。たとえ勝訴しても、被告がなんらかの手を打ってお金を隠してしまえば、取りっぱぐれることがあるとのことである。福島の原発賠償については国民の税金も絡むことであり、解決に悲観的だ。

  以上のように、本人訴訟のハウトゥー的な面と日本の訴訟制度の問題を報告する面の二つを併せ持ち、かつ読みやすい書籍である。昔の著者のイメージは資産運用にやたら知識があるシニカルな人物というものだったが、だんだんとその領域を広げてきた。彼の生き方論的な書籍は今ひとつという印象もある(参考)が、この本は成功していると思う。

  そういえば、僕も小学生の頃、少額訴訟の裁判を見たことがある。家財を置いて夜逃げした人物に部屋を貸していた大家から、賃貸契約で連帯保証人となっていた親父が訴えられたのである。裁判に至る過程についてはわからないが、たぶん親父が請求額の全額を払うことをしぶったのだろう(仕事を頼んでいた人物であり、心情的には親父も被害を受けたという感覚だったのだろう。こちらも被害者なのになぜ俺が、というわけだ)。請求されたのは、部屋の清掃費用と家賃滞納分である。大家は弁護士を立てていたが、こちらは代理無しだった。被告席に親父が立って、二三の事実確認についての質問がなされた後、裁判は30分もしないで終わったという記憶がある。映画やドラマで刷り込まれた、弁護士が口泡飛ばして闘う裁判イメージがあるので、その静かであっさりした進行に拍子抜けした。結局、当初の契約書どおり全額払わされたはずである。
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30代を通じてよく聴いたアルバム5選

2013-04-19 21:45:29 | 音盤ノート
  年齢を重ねると好みが変わる。たしかにそんな気もするのだが、若いころならば過剰なまでに接取しても苦にならなかったものが、歳をとるとトゥーマッチに感じられるようになるというのが本当のところではないだろうか。好きな食べ物なのでいくらでも胃に入りそうなのに、実際には脂ののった高級牛肉を十分な量食べられないというような。こういう場合、しようがないのでお新香をつままざるえない。音楽においても、僕はロック育ちということもあって革新的な凄い音に出会いたいという強い願望があるのだが、30代を振り返ってよく聴いたアルバムを挙げてみると薄味の繊細なものばかりだった。

Steve Reich "Music for 18 Musicians" ECM
 このアルバムに出会ったのは20代前半だが、30代を通じてもしょっちゅう聴いていた。たぶん、今後もずっと愛聴し続けるだろうな。

Marcin Wasilewski Trio "January" ECM
 マルチン・ボシレフスキのECM録音はどれも良いのが、その中でもこの二作目(の冒頭の四曲)が特に素晴らしい。タッチの弱いピアノが心の琴線に触れる。

Radio Dept. "Pet Grief" Labrador
 シューゲイズ・ミーツ・エレポップで、北欧産の物憂げなメロディラインを押しの弱い男性ボーカルが辿るというもの。しんみりする。

Bebel Gilberto "Tanto Tempo" Ziriguiboom
 ややハスキーな女性ボーカルをのっけた打ち込みボサ。音は薄いが結構念入りに作られているのがいい。20代後半に聴いたはずだが、飽きずに今もたまに聴く。

Ralph Towner, Paolo Fresu "Chiaroscuro" ECM
 アコギとトランペットのデュオ。自己顕示欲の産物たるちょっとした癖とか曲がった部分のまったく無い、とことん清廉な演奏。疲れた心が洗われる。

 Steve KuhnとPat Methenyも挙げたいところだが、20代のときのほうがよく聴いたと思う。というわけで以上の五枚で打ち止め。しかし、ECMばかりになってしまうなあ。
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一流メンバーによる地味で良質なセッション

2013-04-17 17:51:53 | 音盤ノート
Miroslav Vitous "Universal Syncopations" ECM, 2003.

  ジャズ。オールスターセッションであり、ミロスラフ・ヴィトス(b), Jan Garbarek(sax), Chick Corea(p), John McLaghlin(g), Jack DeJohnette(d)というメンバーによる。リーダーが元Weather Reportで、他はガルバレクを除けば電化マイルス組であるため、1970年代初頭の初期フュージョンのような音を想像してしまう──4曲目だけそれらしい──が、スピーカーから聴こえるのはECM流の低温ジャズである。

  メンバーが5人揃うのは2曲目だけで、あとはベースとドラムを中心に、サックス、ピアノ、ギターのうち1つまたは2つが曲によって加わるというもの。数曲でブラスセクションも絡ませている。演奏はさすがに洗練されており、緊張感はあるものの、激しいという感じではない。なにか、お互い8割程度の力で録音に参加し、全力の姿を見せないままに終わったような印象だ。それでも、内に秘めた力を聴き手が感じとることはでき、水準は高い。

  一聴だけでは盛り上がらないが、注意深く聴いていると面白い。ある意味、分かる人には分かるという地味で良いアルバムだが、豪華メンバーによるセッション企画としては失敗だろう。
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「団地の子とは遊ぶな」と言われる以前の時代

2013-04-15 11:46:02 | 読書ノート
原武史, 重松清『団地の時代』新潮選書, 新潮社, 2010.

  対談本。団地の歴史や制度の詳細を学べるものではなく、団地を手掛かりにして時代を語る、あるいは都市開発や中心駅の栄枯盛衰を語るものである。また団地といっても、旧日本住宅公団(現UR都市再生機構)が建設した団地が中心であり、都道府県営あるいは市区町村営の団地は少し触れられる程度である。前者は入居にあたって所得制限の下限があり、後者は上限があることが多い(現在の話。建設当初は違ったかもしれない)。つまり、前者は一定所得以上の層が入居し、後者はあまり裕福でない層が入居するということである。

  原によれば、1950年代末から70年代にかけて日本住宅公団の大団地が東京近郊に整備された際、「都内に住んでいた人々」がわざわざ移動して団地に住んだという。高度成長期以前の都内の住宅事情は悪く、木造の質の低いアパートばかりで、サラリーマン新婚層にとって望ましいものではなかった(「セックスの際に安心して声をあげられない」と何度も強調されている)。そのようなわけで、西武線沿線のような多少都心から離れた地域に建てられた団地でも入居者が殺到したとのことである。当時、団地は洗練された最先端の居住空間と見なされていた。上京組が都心に住めなくていやいや住んだというわけではないそうだ。しかしながら、1970年代以降、一戸建てが普及し、住環境の開発競争から取り残されてしまい、団地は魅力を失っていく。

  1960年代初頭生まれの著者らと世代は違うので、僕には団地が輝いていた時代の記憶はない。1980年代、僕は小学生の頃まで県営団地に暮らしていたが、同じ小学校に通う戸建に住む子弟らは「団地の子と遊ぶな」と親から言われていたそうだ。公団の団地だとまた違った扱いを受けたのだろうか。モノレールが廃止されてしまったことで本書で少し言及されている桃花台ニュータウンも、実家の近所にある。著者らが指摘するように、ニュータウン──戸建てと集合住宅が入り交じる規模の大きい都市開発──の方が、団地より寂れ方が酷いというのはまったく同感である。中層階の建物しかない古い公団のコミュニティの強さというのも、静岡でUR公団に暮らしていたのでよくわかる。あそこでは老人だけじゃなくて、けっこう若い夫婦が住んでいるんだよね。 

  そういうわけで、僕には『滝山コミューン』(参考)より実感がわき、よく理解できる内容だった。脱線するが、名古屋をハイカラだという記述にも驚いた。
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青春小説風の米国公共図書館観察記

2013-04-12 19:28:24 | 読書ノート
スコット・ダグラス『どうか、お静かに:公立図書館ウラ話』宮澤由江訳, 文芸社, 2012.

  米国アナハイム市図書館の分館に勤める図書館員による、多少脚色のある小説風エッセイあるいは私小説。著者=主人公が、学生時代に図書館バイトを始めて図書館に興味を抱くようになり、大学院に行って専門職の図書館員になってゆく。そうした成長物語が背景にあるけれども話の中心は、同僚や利用者たちによる、日常で出会う奇妙な振舞いや事件を描くというもの。まあ、ささやかで地味だが、ちょっと可笑しくてたまに心温まるエピソード集といったところか。個人的には米国図書館の風景が垣間見られて良かった。

  最初の章では、トマス・ピンチョンやモンティ・パイソンといった記号を出して、それらを知らない図書館員を馬鹿にしている。この部分を読んで、僕なんかは「オタク青年が無知な体育会系ノリの米国人を相手に(紙上だけで)悪態をつきまくる」というティム・バートンなノリの展開を期待していた。けれども、すぐにそうしたナードな表情は後景に引いてしまい、以降で主人公は、図書館員や利用者に対してちょっと距離を置きつつ愛情深く見守る観察家に変貌してしまっている。おかげで人情味ある作品に仕上がったと言えるものの、もうちょい毒や破綻があったほうが面白かったかな、とも思う。これは僕の性格が悪いのか。

  この本の読者は、図書館に興味のある人という限られた範囲に収まると思われる。そういうものをわざわざ翻訳して一般向けの文庫本にするというのは、売れる見込みがあったのということなのか。書店・出版ネタだと手に取る読者層がいるみたいだから、そうした層を当て込んでいるのだろう。
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ジャズ演奏家が参加するノルウェー発音響系ポストロック

2013-04-10 13:54:11 | 音盤ノート
Jaga Jazzist "What We Must" Ninja Tune, 2005.

  ジャズ、なのか?。Mathias Eick(参考)が参加しているというので聴いてみた。購入した中古盤店ではエレクトロニカのコーナーに置いてあったけれど、エフェクトをかけたギター中心のインストロックといった方が正確で、MogwaiやTortoiseに近い。管楽器も数台参加しているけれど、派手にソロを吹いて目立とうとするわけでもなく、ゆったりとしたメロディを奏でるのに徹している。

  メンバーが10人いるのでそれなりに音圧は厚いが、パワフルという感じでもない。流麗で耳馴染みするメロディのおかげで繊細さの方を感じさせる。全体として、明るく能天気にはならず憂鬱な印象である。けれども、重くなったりもしない。こうした微妙な情緒感は、北欧的だと言えるかもしれない。メンバーがソロを取る場面もあるのだが、楽曲へのアクセント的なものに留まっており、中心はユニゾン部の曲展開を聴かせることにある。なのでアドリブ部分は期待しないほうがよい。

  というわけで「ジャンル横断的」という先入観をもって挑んだのだが、完全に音響系ポストロックだった。ソロの扱い方からみてジャズとは言えないし、電子音は装飾のみ、エレクトロニカというのはかなり違うだろう。まあ、そういう認識で聴けば、完成度の高いアンサンブルが聴ける気持ちの良い作品ということになる。この他のアルバムでは雰囲気が変わるのだろうか。しかし、こういうのは出会い方が難しいな。
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コンピュータの日本語処理に紆余曲折あり

2013-04-08 08:27:49 | 読書ノート
YOMIURI PC編集部『パソコンは日本語をどう変えたか:日本語処理の技術史』ブルーバックス, 講談社, 2008.

  コンピュータにおける日本語の表示、特に漢字処理の歴史について扱う内容。タイトルにある疑問に答える内容とはなっていないが、関係する技術者が目前の課題にどう対応してきたかがわかる記述になっており、プロジェクトX的な面白さがある。

  1970年代前半、日本語の機械処理の需要は日経新聞社の要請から始まったという。以降前半では、富士通、NEC、ジャストシステム、エプソン、東芝、IBMといった企業が、入力方法や日本語表示、プリンターでの印字の問題を解決し、それを商品として実用化して発展してきたことがわかる。

  後半では、JISコードやUnicode、それらに収まらない文字表記──漢字の異体字やケータイにおける絵文字──に関連する問題や、ヒラギノやメイリオといった新しいフォントの誕生について扱っている。「葛城」のカツや、「吉田」のヨシの表記など、通常のソフトウェアで処理できる漢字数にはまだ限界があることがわかる。

  けっこうタメになる内容だった。索引付きで、図版も豊富、技術者たちのインタビューもあり、読みやすくできている。

  
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