イーユン・リー『千年の祈り』新潮クレスト・ブックス, 篠森ゆりこ訳, 新潮社, 2007.
父娘関係エントリ第三弾。同僚の米国文学者である森本奈理先生に教えてもらったのがこれ。中国出身の女性作家で、米国に移住して英語で作品を書いているとのこと。本作はデビュー短編集で、影のある繊細な人間関係を描く内容である。10編ある短編のうち、表題作が父娘小説となる。この短編のみについてコメントしたい。
ロケット工学者だという父は、米国に行って離れて暮らしている娘がいる。妻とは死別しているようだ。娘夫婦が離婚したのをきっかけに、娘を慰めようと父は渡米して会いにゆくのだが、娘は父を避けて会話にも応じない。娘が仕事で家にいない日中、父は公園へ行って、よく会うイラン出身の婦人と、片言の英語(と通じない母国語)を使って米国での暮らしについて語らう、という内容。父娘のすれ違いの描写から、娘の離婚の原因、娘の少女時代の冷たい家庭の雰囲気、父の秘密と徐々に読者に知らされてゆくという展開となる。
一見、古い父と新しい娘のカルチャーギャップの話のように見せかけておきながら、実のところ娘の冷たさおよび彼女の離婚の究極の原因は昔の父の振る舞い(といっても仕事の問題)のせいであったという話。「子どもがこうなのは親がああだから」という責任転嫁の思想が感じられて、親としては嫌な話だ。父としては言い分もあるのだが、最終的な和解もなく、父娘は心を通わせることがない。結局、育児の失敗のツケは老後に巡ってくるということのようだが、そういう話として解釈してもいいものだろうか。女性が読むと印象は異なるのかもしれない。
父娘関係エントリ第三弾。同僚の米国文学者である森本奈理先生に教えてもらったのがこれ。中国出身の女性作家で、米国に移住して英語で作品を書いているとのこと。本作はデビュー短編集で、影のある繊細な人間関係を描く内容である。10編ある短編のうち、表題作が父娘小説となる。この短編のみについてコメントしたい。
ロケット工学者だという父は、米国に行って離れて暮らしている娘がいる。妻とは死別しているようだ。娘夫婦が離婚したのをきっかけに、娘を慰めようと父は渡米して会いにゆくのだが、娘は父を避けて会話にも応じない。娘が仕事で家にいない日中、父は公園へ行って、よく会うイラン出身の婦人と、片言の英語(と通じない母国語)を使って米国での暮らしについて語らう、という内容。父娘のすれ違いの描写から、娘の離婚の原因、娘の少女時代の冷たい家庭の雰囲気、父の秘密と徐々に読者に知らされてゆくという展開となる。
一見、古い父と新しい娘のカルチャーギャップの話のように見せかけておきながら、実のところ娘の冷たさおよび彼女の離婚の究極の原因は昔の父の振る舞い(といっても仕事の問題)のせいであったという話。「子どもがこうなのは親がああだから」という責任転嫁の思想が感じられて、親としては嫌な話だ。父としては言い分もあるのだが、最終的な和解もなく、父娘は心を通わせることがない。結局、育児の失敗のツケは老後に巡ってくるということのようだが、そういう話として解釈してもいいものだろうか。女性が読むと印象は異なるのかもしれない。