29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

政府が中間共同体を駆逐したとするも、政府の役割はなお継続

2013-12-30 13:56:07 | 読書ノート
山重慎二『家族と社会の経済分析:日本社会の変容と政策的対応』東京大学出版会, 2013.

  国家と個人の間にある中間共同体──家族・血縁・地域共同体──と、政府の福祉との間にある関係を分析した書籍。数学モデルを通じた分析が主となっており、専門家向けである。

  本書によれば、国家による福祉の提供は、生活苦に陥ったメンバーを救済するという中間共同体の働きをクラウディング・アウトしてきたという。しかし、いったんそうした働きを止めてしまった共同体は政府が福祉の領域を退いても再生しない。というわけで、国による政策的対応を求める。その求めるところは、保育サービスの拡充や育児休業支援、高齢者の労働参加支援、社会保険の税方式への移行などである。そのひとつひとつを見るとあまり目新しいものではないが、理論モデルとともにトータルな政策パッケージとして提案されているところが重要なのだろう。

  政府の財政危機的的な状況は十分踏まえられた上での議論ではあるが、提案されている方向は負担を大幅に減少させるようなものではない。どちらかと言えば、力強く読者を納得させるのではなく、しぶしぶ認めさせるような感じである。その意味で、日本の未来に希望を抱かせるようなものではない。
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美メロを聴かせる、機械的感覚の希薄なエレクトロニカ

2013-12-28 09:24:01 | 音盤ノート
Four Tet "There Is Love in You" Domino, 2010.

  エレクトロニカ。サンプリングされているのだろうが、リズムトラックは生ドラム的で、しかもうるさくなく、繊細である。その上に薄めの電子音や、ディストーションをかけないギター、断片化された女性ボーカルがのるというもの。

  反復パターンを主な構造としているものの、ミニマル的な陶酔感はあまりない。機械音が迫ってくるような感覚も少ない。むしろメロディーラインを聴かせてしまうところがあり、テクノ系が苦手な人でもとっつきやすいと推測される。

  しかし、次作"Beautiful Rewind"(Temporary Residence, 2013)の出来は悲惨すぎた。このアルバムの柔らかい世界と似ても似つかない。そういうこともあって、このアルバムを褒め称えたくなった。
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表と数式中心の入門書で、もう少し言葉を使った説明が欲しい

2013-12-26 12:05:13 | 読書ノート
坂井豊貴『社会的選択理論への招待:投票と多数決の科学』日本評論社, 2013.

  「社会的選択理論」なる、選択の合理性を数理的に検証する領域について解説する内容。タイトルに「招待」とあるが、一般向けとしてはやや難しく、数学的な素養のある「初学者」向けというのがその位置だろう。前著『マーケットデザイン』(参考)が面白かったので読んでみた。

  そのテーマは、票割れを起こさず、より正確に多くの民意を反映する投票システムはどのようなものかというものである。例えば現在の小選挙区制度では、40%の支持率しかない政党から出る一人の候補者が、60%の支持率のある政党から出た二人の候補者に勝つことがありうる。こうした問題に対する取組みはフランス革命期の学者、ボルダーとコンドルセに遡ることできるという。そこでまず、候補者をランクづけて得点の多さで勝者を決める「ボルダールール」が検討される。以降、それに代わる方式について比較検討するのだが、このボルダールールが相対的に良いとのことだ。また、アローの不可能性定理も過大評価だとのこと。

  率直に言って、各章で展開された理論のもつインプリケーションについて、もっと議論を展開してほしいという感想を持った。また、1970年代に証明されたというボルダールールの優位性が、なぜ今まで埋もれたままになっており、投票システムで採用されていないのか、これについても知りたい。各章は解説と証明を中心として禁欲的に記述されており、本書が狙った初学者にはこの分野の重要性を伝えきれていないと思う。一方で、日本国憲法や知人の不当逮捕について突然饒舌になったりして、バランスの悪さも感じる。
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世界デビューしてしまった地味目のインディーズ系バンドの苦痛

2013-12-24 15:29:38 | 音盤ノート
The Sundays "Reading, Writing & Arithmetic" Rough Trade, 1990.

  ロック。ネオアコ/ギターポップにカテゴライズされるグループだが、パンク・ニューウェーヴの流れをあまり感じさせず、むしろ正統派のフォークロックとして聴いたほうがしっくりくる。1990年代にアルバム三枚を残してすでに活動停止しているが、これはデビュー作にあたる。レーベルは、英国ではインディーズのRough Tradeだが、米国では大手のGeffenからだった。

  編成は、ドラム、ベース、エレクトリックギターのトリオに、ファルセットから低音部まで使いこなす女性ボーカルを組み合わせるというものである。この時期の英国インディーズバンドには珍しく、ギターにほとんどエフェクトをかけず、単音でレスポールの柔らかい音色を聴かせる。そのサウンドは内省的で、その詞も根暗文学少女のつぶやきのようだ(歌詞カードを読む限りでは)。ボーカルの声質が高めで、高音部になるとやや幼い感じが出るところは好みが分かれるかもしれない(少なくとも僕は低い女性ボーカルの方が好きだ)。全体的に地味な佇まいだが、収録曲は粒揃いでかなり聴かせる。

  デビュー直後に来日した際、僕はこのバンドの名古屋公演を観に行った記憶がある。ビートルズ以来、英国のバンドの多くは生演奏が下手という個人的な偏見(だからこそスタジオ録音が発展した)があるのだが、このバンドの楽器隊は完璧なアンサンブルを聴かせた。一方で、ボーカリストのステージさばきはかなり控え目で、たぶん人前に立つのが苦痛だったのだと思う。クオリティの高いアルバムを作るのに、活動を止めてしまった理由もなんとなくわかる。
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自殺における諸要因の分析、平凡な結論とともに意外な知見もある

2013-12-20 16:37:13 | 読書ノート
澤田康幸, 上田路子, 松林哲也『自殺のない社会へ:経済学・政治学からのエビデンスに基づくアプローチ』有斐閣, 2013.

  自殺数に影響する社会的要因を量的に分析する専門書。統計分析を主に据えており一般の人にはやや難しいかもしれない。だが、テクニカルところは章末の補論にまとめており、本論はアプローチの視点と分析結果中心の記述で、結論だけを知りたければ読めないことはないと思う。

  日本では交通事故死者数より自殺者数の方が多いのに、あまり公的な対策がなされていないという話に始まり、経年的変化、自然災害後の自殺者数の増減、政府与党が与える影響、政策の影響、駅の青色灯や地方自治体の自殺対策の効果などが調べられている。「死者数の多い災害の場合は自殺が増えるが、罹災者数が多い場合は自殺が減る」「左派政党が政権に就いていると自殺が減る」など、意外な知見もある。

  ミクロな対策では、電話相談にもっと公的資金を充てることは効果的なのかもしれない。けれども、政策感応的なのは労働力年齢の男性の自殺であって、結局マクロでは失業率を減少させる政策こそが重要であるという平凡な結論に落ち着いてしまう。もう一つの自殺者数の多い層である高齢者の、おそらく難病などを理由にした自殺はどうしようもないものなのかもしれない。
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フォークとクラシックと民族音楽をブレンドしたニューエイジ音楽風ジャズ

2013-12-18 10:40:24 | 音盤ノート
Oregon "Distant Hills" Vanguard, 1973.

  ジャズ。正確にはアドリブのあるニューエイジ音楽、あるいは実験的要素のある室内楽といったところか。Ralph Townerが12弦ギターまたはピアノを弾き、Paul McCandlessはオーボエほか、Glen Mooreがベース、 Collin Walcottがタブラほか打楽器、という編成である。バンドは1970年に結成されて現在まで続いている。これは最初期の作品で二作目にあたる。

  冒頭の‘Aurora’は彼らの代表曲で、タブラをバックにオーボエとピアノが徐々に盛り上げてゆく、静かに温かく展開する名演である。続く‘Dark Spirit’はWalcottのシタールをメインに据えた演奏。3曲目と7曲目は集団即興演奏で、率直に言えば退屈だ。4~6曲目はアコギを中心にした伴奏にオーボエやベースソロがのるというパターンで、それぞれでタウナーのソロも聴ける。

  全体としてすっきりした清澄な音楽で、アクというか引っかかりがない。そこが非ジャズ性の最たる部分で、ECMのレーベルコンセプトにも大きな影響を与えたと思われるところである。あと、2000年発行の米盤CDは、ボリュームがかなり小さくて気になるレベルである。
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極限状況下において人体はどのようなメカニズムで壊れるか

2013-12-16 13:48:21 | 読書ノート
フランセス・アッシュクロフト『人間はどこまで耐えられるのか』矢羽野薫訳, 河出書房, 2002.

  人体および生物の生存環境の限界について解説する一般書籍。原著は"Life at the Extremes"(2000)で、著者は英国の生理学者らしい。人体が耐えられる高度、水の深さ、暑さ、寒さのほか、走る速さの限界、宇宙環境下での人体、極限状況下で生存できる微生物についてもカバーしている。なお、2008年には河出文庫版が発行されている。

  副題が"The science of survival"ということもあって、これを読む前は、極限状況下で生き抜くためのサバイバル術の指南が中心なのだろう勝手に想像していた。確かにそういう面もあるが、どちらかと言えば、ある閾値を超えるとなぜ生命機構が機能しなくなるのかについての生理学的な説明に重点がおかれている。あと、人体の限界に対する知識が科学界に共有されるまでに積み重ねられてきた死屍累々の数々(生き延びた例もある)についても記述があり、読者に先人の冒険に対する深い感慨を抱かせる。

  子供のころ、宮崎駿アニメの飛行シーンに突っ込みを入れるような大人が一人は周りにいなかっただろうか。曰く「雲間を行くような高度を薄着で飛んだら酸素欠乏か低体温で死ぬ」。19世紀に気球を使ってそのことを身を持って示した人物がいたとのことで、リアリティというのは大切だと認識を新たにした。
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本国で過小評価されている米国産ニューミュージック

2013-12-13 21:39:14 | 音盤ノート
Nick Decaro "Italian Graffiti" Blue Thumb Records, 1974.

  ソフトロック、あるいはボーカル付きのイージーリスニング。ストリングスと押しの弱いバンドをバックに、猫なで声気味の柔和な男性ボーカルがムーディに歌うというもの。元祖AORといううたい文句が付されることがあるようだが、そう言っているのは日本人だけ。原盤を持つ米国ではまったく評価されていないようで、CDは日本盤しか発行されていない。

  とはいえ過大評価というわけでもない。いわゆる「傷つきやすい中年優男の世界」なのだが、そういうのがキモくない人には訴えるところがあるだろう。少なくとも僕は好きだ。バックコーラスは山下達郎的な爽やかさだし、軟弱で優しいボーカルは財津和夫や大滝詠一を思い起こさせる。そう、AORというよりは、日本のニューミュージックに近いのである。演奏がジャジーだったりブルージーだったりする点は洋楽的ではあるが、ボーカルの質感はニューミュージックそのもの。これが日本人の琴線にだけ触れるというのもさもありなんである。

  なお、ニック・デカロはアレンジャーとして米国西海岸でそれなりに活躍したようだが、自身のアルバムは数枚しか無いようだ。すでに1992年に亡くなっている。
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芸術家を辞めた人物による現代「アーティスト」概念論

2013-12-11 08:14:58 | 読書ノート
大野左紀子『アーティスト症候群:アートと職人、クリエイターと芸能人』河出文庫, 河出書房, 2011.

  現代日本において「アーティスト」概念が適用される分野が拡散して、安易に名乗れるようになった状況を考察する一般書籍。著者は、名古屋河合塾で芸大志望の受験生を教えていたそう。その口調は攻撃的で読者の好みが分かれるところだが、自身の「40代でアーティストをあきらめた」経歴についても詳しく開陳しており、率直であることは確かである。

  著者はアーティスト概念がインフレ状態であることに批判的である。「アーティスト」の語が音楽家から美容師にまで当てはめられる現状、それが同業者との差異化のために使用されたり──「私は彼らとは違ってお金のためだけにこの活動をしているわけではない」というような──、本業とは別に芸術作品の製作を行う芸能人の箔付けに使われたり──「たいしてオリジナリティも無いのに」というニュアンスがある──していることを伝えながら、その合間を縫って、日本の芸術家の養成システムや、芸術概念を定義する難しさについて考察している。

  オリジナルは2008年に明治書院から刊行されているが、河出文庫版では近年のアート関係の事件について考察した長文のあとがきが付されている。個人的にはこのあとがきのちょっとした指摘が興味深いものだった。書店のヴィレッジヴァンガードは、全国のショッピングモールに店舗を展開してゆく過程で、アンダーグラウンド文化に属する過激なものを店頭から排除するようになったという。かつては、その店に目当ての商品があるという情報を仕入れてわざわざ来店する客を相手に商売していた。しかし、誰でも入りやすい店舗では、不特定多数の人々がそういった表現に遭遇してしまい、反発を招いてしまう。結果としてそうした商品は外されることになる。

  すなわち、アクセシビリティが高まると、それを見たくない層による過激な表現へのクレームが生み出され、結果として表現規制を呼んでしまうというのである。そうしたことを避けるにはアクセスをコントロールということになるのだろうが、それすら表現規制だという人もいて、やっかいな問題である。
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どこか奇矯な高速ギターアルペジオ万華鏡ジャズ

2013-12-09 20:10:15 | 音盤ノート
Ben Monder "Oceana" Sunnyside, 2005.

  ジャズ。前作"Excavation"(参考)とメンバーに多少の変更はあるものの、楽器構成は同じ。モンダーの不協和気味の高速アルペジオと、グレゴリオ聖歌のようなTheo Bleckmannの気色の悪いヴォイスは健在。いや、ギターはわずかながら爽やかになっている。

  一曲目はアルペジオだけで聴かせるギターソロで、二曲目はブレックマンの声をオーヴァーダブしただけの短い曲である。三曲目になってやっとバンド演奏となる。その三曲目のタイトル曲は構成の複雑な曲で、静穏な間奏やドラムソロを挟みながらギターがうねうねと続いてゆき、後ろをドラムとベースが追いかけてくるというもの。四曲目はわかりやすいアルペジオを持った聴きやすい曲で、フォークミュージックと南米音楽風のヴォカリーズを組み合わせた感じ。五曲目は再びギターソロとなり、次の六曲目で突如ディストーションを効かせたギターが暴れまわってロック風になる。最後の7曲目は静かに終わる。

  マニアックな佇まいは相変わらず。通常ならもっと毒気を高めて過激な方向に行くか、または爽快感を高めてより多くの聴衆にアピールするかというところだが、そのどちらでもない、非常に微妙な路線を歩んでいる。
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