29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

英国と米国の違いを皮肉を交えて解説

2017-08-28 20:25:04 | 読書ノート
テリー・イーグルトン『アメリカ人はどうしてああなのか』河出文庫, 大橋洋一, 吉岡範武訳,
河出書房, 2017.


  米国と英国(ついでにアイルランド)を比較するエッセイ。2014年に発行された『アメリカ的、イギリス的』(河出ブックス)の改題文庫化で、解説によれば2013年の原書の段階ですでにドナルド・トランプに言及していた先見の明のある本ということらしい。個人的に、テリー・イーグルトンは『文学とは何か』(岩波書店, 1985)を学生時代に読んで以来なのだが、こんな皮肉っぽい人だったっけという感想である。

  アメリカ英語とイギリス英語は異なる、という話に始まり、社交、メンタリティ、社会の統制の仕方、伝統に対する態度、などなどを皮肉を交えて論じるというもの。文庫版カバー説明にあるような「抱腹絶倒」というのはちょっと違う。ここにあるのはアイロニカルで引きつったイギリス的笑いである。事例部分は英米の違いがわかって非常にためになる。しかし、各章の後半が必ず思弁的議論になっており、これが退屈。気楽に書かれた本とはいえ、抽象度を高めるならばホフステードあたりも参照してほしいと思う。

  全体としてはまあまあ面白い。ただ、やはり米国に対して不公平な論評となっている。英国に言及する際には、階級の違いが思考や行動の違いを生み出しているということが指摘される。ところが、米国については老いも若いも金持ちも貧乏人も人種も性別も一枚岩のステレオタイプで描かれる。すなわち、近年問題になっている米国の「分断」は反映されていないという限界がある。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動物としての人間・入門、トピック毎に精粗あり

2017-08-22 22:22:45 | 読書ノート
ジャレド・ダイアモンド『若い読者のための第三のチンパンジー:人間という動物の進化と未来』秋山勝, 草思社, 2015.

  人類学。ダイアモンドの他に「編著者」としてレベッカ・ステフォフの名がクレジットされているが、原著クレジットでは"adapted by"ということだから、彼女が改作したということだろう。この2014年原著の改作元はThe third chimpanzee: the evolution and future of the human animal (HarperCollins, 1992 ;『人間はどこまでチンパンジーか?:人類進化の栄光と翳り』長谷川真理子・長谷川寿一訳, 新曜社, 1993)である。文庫版の解説によれば「それ以後の研究成果を取り入れて、内容を少しアップデート」したものとのことであるが、編著者は原著を短くカットしただけでなく、加筆もしたということなのだろうか。本書は2017年に草思社文庫となっている。

  前半は進化生物学の教科書的内容であり、サルからヒトへの進化、性行動、人種、加齢と死、言葉、芸術、依存症、農業の影響について解説されている。後半は、戦争や虐殺、自然破壊が懸念されており、人間にはそのような傾向が生得的なものとしてあるとのこと。後半は著者の関心を反映しており、丁寧な議論とはなっている。だが、前半の短く雑多なトピックを考えると後半は少々冗長である。一方で、前半は読みやすくまとめられているけれども、性差や人種の話で論争的なところには触れていない。また『銃・病原菌・鉄』と同様、西洋の優位を大陸の形状の差に還元してしまい、人種間の能力差には触れない。これらはポリティカリーコレクトすぎて、進化論系統の議論としてはヌルいと感じられる。

  悪くはないけれども、タイトル通りあくまでもこの分野の初めての読者向けだろう。本書で示された「人類の問題」は誰もが合意するような異論のないもので、この分野が明らかにした本当に重要な問題に触れていない気がする。だから、本書を読んだその後には、進化論と現代社会との緊張関係を扱ったスティーブン・ピンカーの『人間の本性を考える:心は「空白の石版」か』(山下篤子訳, NHKブックス, 2004)に進むべきだと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最高裁の判例からわかる憲法秩序の現状

2017-08-19 14:24:36 | 読書ノート
戸松秀典『憲法』有斐閣, 2015.

  日本国憲法の教科書。著者は学習院大学の名誉教授で、憲法関連の判例を研究してきた人らしい。最高裁の判例を根拠にして、日本の憲法秩序を明らかにするという内容である。通常の憲法の教科書は、憲法学者である執筆者がなんらかの理論を日本国憲法に当てはめみて、整合性のある解釈をほどこしてみるというものになりがちである。しかし、本書は判例が言っている以上のことについては多くを語らず、最高裁の憲法解釈はこうなっている、ということをたんたんと述べるのみである。

  法学書ならば重要であるだろう理屈部分の説明が十分展開されていないこともあって、記述はそっけなく感じられる。けれども、他の憲法の教科書を読んだことがあれば、現在の憲法に整合性や一貫性を無理矢理をもたせようとしていないところは新鮮に感じられるのではないだろうか。新らたに主張されている権利が最高裁判例でどの程度採用されているか(あまり採りいれられていない)や、あるいは判例が十分存在しない論点がけっこうあることなど、客観的な現状がわかって興味深い。

  ただし専門家向けの内容で、分量も多い。権利と平等に関するところだけでもいいから、もう少し記述を加えて一般書籍にしたらそこそこ需要があるはず。理想が語られがちな領域なので、「現在の判例が認めているのはここまでですよ」とビシッと線引きしてくれるのはとてもタメになるだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封印されて知名度が高まるという、意図せざる結果に

2017-08-15 22:05:28 | 読書ノート
安藤健二『封印作品の謎:テレビアニメ・特撮編』彩図社文庫, 彩図社, 2016.

  ある種のゴシップ・ジャーナリズム。テレビで再放送されることのない・DVD化もされない、1960年代から70年代にかけての子供向け映像作品を取り上げて、当事者へのインタビューを重ねてその理由を探ってゆくという内容。この文庫版は2004年から2008年にかけて発行された『封印作品』シリーズの再編集版である。著者は執筆当時フリーで、現在はハフィントンポストの記者であるとのこと。

  俎上にのせられているのは『ウルトラセブン』のスペル星人の回、『怪奇大作戦』の「狂鬼人間」の回、映画『ノストラダムスの大予言』、『サンダーマスク』、日テレ版の『ドラえもん』の五作品。円谷プロの二作品はかなり有名な封印作品だが、その理由がポリティカルコレクトネス絡みであることもよく知られており、あまり意外な知見はない(個人的にはポリコレネタ自体が食傷気味)。面白かったのは残りの三作品で、山師みたいなのが絡んできたために、最終的には著作権をめぐるトラブルとなって日の目を見ることができなくなっているらしい。

  日テレ版の『ドラえもん』の章は、関係者間の作品に対するコンセプトの違いが浮彫りなっていて特に秀逸である。アニメ制作者側は、原作では甘えん坊で依存心の強い「のび太」を、テレビ版ではもう少し活発で、自立心のある男の子として描こうとしたという。原作者の藤本弘は当然これを気に入らず、またターゲットとした小学生男子にもまったく受けずに、日テレ版は放映開始半年で早々と打ち切られる。1979年からのテレ朝版によって、ようやく現在まで続くあの「ドラえもん」のイメージ──僕にとっては大山のぶ代によるお母さん的な──が造られることになったという。

  なお、本書はあくまでも娯楽作品である。表現の自由や著作権について真剣に考えるようなものではない。『ミッキーマウスはなぜ消されたか』(河出文庫, 2011)もそうだったが、タブーといってもそれほど世間を揺るがすような際どいところにはタッチしていないので、気楽に読めるだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネオアコ創始者だがもうすでに過渡期の音

2017-08-11 21:58:30 | 音盤ノート
Orange Juice "You Can't Hide Your Love Forever" Polydor, 1982.

  ポストパンク。オレンジジュースは、1980年代前半に活動したグラスゴー出身のロックバンドである。本作がデビューアルバムで、日本でいう「ネオアコ/ギタポ」、あちらでいうところの"indiepop"カテゴリーに分類される最初のグループとして評価されている。オリジネイターではあるが、ちょっと能天気なところがあってB級ネオアコっぽさがある。日本ではもう少し繊細で陰があったほうが好まれるだろう。

  すでにギターポップ的なサウンドが完成されており、どうやってパンクやゴスから移行したかというような、この時期の先駆的なグループにありがちな過渡期的試行錯誤を感じさせない。ディストーション等エフェクトをかけない二台のギターによる、性急で音数の多いカッティングおよびアルペジオ。この演奏をバックに、クルーナー唱法でゆったりとしたメロディがうたわれる。女声コーラスやホーン隊から推測できるように、楽曲は1970年前後のA&Mサウンドやソウルを志向している。そうした非ロック的ポップ音楽を、わざわざギターバンド編成でやるというところがこのバンドの魅力である。

  その後はブルーアイドソウル化して初期の魅力が無くなってしまう。出せる音の選択肢が少なかったからこそ生れたサウンドコンセプトだったのに、器用になってオリジナリティが失われてしまった。しかし、そもそもホーンやコーラス付きの豪華な演奏のほうを、本人たちは──というかリーダーのEdwyn Collinsが──好んでいたのだろう。その意味で必然的な変化だった。

  けれども個人的には、この作品はゲストミュージシャン無しの四人だけでの演奏の記録にすべきだったと感じる。この段階ですでに、完成したギターポップからブル―アイドソウルの過渡期の音になってしまっているからだ。デビュー作にして「初期」が失われてしまっているようで、もったいないと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自殺研究としては心理学的・生理学的な知見が要所

2017-08-08 17:32:13 | 読書ノート
ケイ・ジャミソン『生きるための自殺学』新潮文庫, 亀井よし子訳, 新潮社, 2007.

  自殺についての研究書であるが一般向けに書かれている。著者は米国の臨床心理学者で、自身も自殺未遂の経験を持っているという。オリジナルはNight falls fast: Understanding suicide (Vintage, 1999)で、邦訳は2001年に『早すぎる夜の訪れ:自殺の研究』(新潮社)というタイトルで発行されている。本書はそれを改題して文庫化したもの。原書にあった参考文献リストは割愛されている。

  自殺の原因として、社会や職場環境からのストレスよりも気質や性格など生物学的要因が重視されているのが特徴である。大半の人はストレスがあっても自殺しないのに、彼らはなぜそうするのか、というわけだ。直接的にはうつや統合失調症を罹患すれば自殺を催しやすいということであるが、そうした病気の発症のしやすさは遺伝的に決まっているという。アルコールや薬物への依存、衝動的な行動も自殺に繋がりやすい要因であるが、これらはやはりうつや統合失調症の罹患と併行している。したがって対策も医学的であり、薬としてリチウムが効果的だとして勧められている。このほか、自殺者の心情、自殺の歴史、自殺の連鎖を止めるための報道への注文、遺族の心情などについても詳しい。一人の自殺者に焦点を当てた長いエッセイも収録されている。

  自殺について博学になれる良書であり、定番の書籍ではある。だが、個人的にはちょっと冗長すぎる印象もあった。文学などからの引用が豊富なのだが、雑学的な脱線のように感じられた。しかし、人によっては、こうした点を著者の教養が感じられる部分として深みを感じるだろう。このあたりは好みによる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域再生はとにかく民間の力で、およびそのための方法

2017-08-04 11:58:20 | 読書ノート
飯田泰之編『これからの地域再生』犀の教室, 晶文社, 2017.

 『地域再生の失敗学』の続編となる(しかし出版社が違うためかそう銘打たれてはいない)。執筆者のうち大学所属の学者は二人だけで、経済学者である編者と社会学者の新雅史がそうである。あとは、民間のシンクタンクの研究者(かつ所長)、ジャーナリスト、投資会社社長、デザイナーらが寄稿している。編者以外、前著とはメンツが被らない。

 「人口10万人以上の市の中心街および通勤圏の平均所得の向上」という狙いは前著と変わらない。そのためには中心市街地への人口集積が必要ということで、「匿名性の確保やロマンス可能性などで都市の魅力を高める(「官能都市」とラベリングされている)」「空きビルの利活用のためにスペースおよび時間帯を分割して貸出す」「夜間営業の観光資源・消費地を開拓する」「地方で活躍している投資家・企業家を掘り起こす(「ヤンキーの虎」とラベリングされている)」「地域の農家とその中心都市のスーパーの間のサプライチェーンを作る」などの議論が展開されている。

  具体的な話がないわけではないが、即効性のあるアイデアが満載という本ではない。経済活性化のためのアイデアが生まれる環境造り、すなわち人材や資本が集まる制度やシステムづくり、環境造りの話がメインである。重要な点は「民間主導」であること。行政が補助金を大盤振る舞いすると、企画がスポイルされてしまい地域の経済活性化につながらない(し、実際これまでつながってこなかった)という認識があるようだ。公務員に期待されているのは、人材間あるいは企業間をつなぐコーディネーター的な役割に留まっている。

  疑問もある。すでにスプロール化した地方都市の人口密度を高めることは可能なのだろうか。コンパクトシティとはいうものの、まだまだ地方では戸建てと車の魅力は大きい。それにそれらは地方の経済を支えている商品そのものかもしれない。それでも、補助金に頼らない方法を披歴している点で意義のある内容だろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本盤でデビューした若手イタリア人ピアニスト

2017-08-01 22:23:15 | 音盤ノート
Giovanni Guidi Trio "Tomorrow Never Knows" Venus, 2006.

  ジャズ。ECMから二枚のピアノトリオ作品(1 / 2)を出しているジョバンニ・グイディのデビュー録音。弱冠21歳。何故かレーベルが日本のVenusである。ライナーによれば、メンバー全員が当時のEnrico Ravaのリズム隊の三人だったということらしい。

  収録はオリジナル3曲、Hampton Hawes, Ornette Coleman, Enrico Rava, Krzysztof Komedaがそれぞれ1曲ずつ。加えてビートルズ3曲、Radiohead, Bjork, Brian Enoがそれぞれ1曲ずつ。ロック系も好きなようで。いくつかの曲は大胆にアレンジされており、'Back in the USSR'とか'By This River'とか曲名を言われないと原曲を推測するのは難しい。テンポのよい曲は「頑張って弾いています」感がありありで、それほど面白くない。一方、スローな曲は後々の退嬰的な演奏の片鱗を感じさせるもので、ECM録音ほどには聴き手を耽溺させないけれども、思索的で深みを感じさせる。冒頭の'Sleep Safe and Warm'は重苦しくてとてもよろしい。

  Venus側は2006年にこのオリジナル盤を発行した後に、2010年と2011年にパッケージを紙ジャケットにして再発行している。なぜこのような短いサイクルで形を変えて売ろうとするのかよくわからないが、そもそもプレス数が少ないのだろう。なお、ジャケットはグイディ自身のポートレイトで、Venusによくある白人女性のヌードではない。ジャケットはどの程度ミュージシャンの意向を尊重するものなのだろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする