29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

因子分析を用いた国民性についての実証的な比較文化論

2014-04-28 21:09:03 | 読書ノート
ヘールト・ホフステード, ヘルト・ヤン・ホフステード, マイケル・ミンコフ『多文化世界:違いを学び未来への道を探る / 原書第3版』岩井八郎, 岩井紀子訳, 有斐閣, 2013.

  比較文化論。ここでの文化は便宜上「国」単位となっている。国別アンケートを因子分析してそれぞれの文化的特徴を明らかにするというもので、ありがちな外国人の滞在記とは異なる。原書初版は1997年発行でオランダ人研究者のヘールト・ホフステードの単著だったのだが、2005年の第二版で息子のヘルト・ヤンが執筆に参加し、この2010年第三版ではブルガリアの研究者であるミンコフが加わっている。原題は"Cultures and Organizations: Software of the Mind"で、もともとがIBMの組織研究であったように、経営学的な観点があることには注意したい。

  本書では次の四つの次元で文化の違いを説明する。第一は「権力格差」で、権力の差を受容する程度を表す。このスコアの高い国では部下は上司に絶対服従で、低い国では地位に差があったとしてもコンセンサス重視となる。第二は「個人主義/集団主義」の次元で、これは説明不要だろう。第三は「男らしさ/女性らしさ」の次元で、昇進や給与の高さなど何らかの達成を重視する社会を男らしいと、円滑な人間関係や雇用の安定を重視する社会を女性らしいとしている。驚くべきことに、日本は調査対象国中もっとも「男らしい」国であるとのこと。第四は「不確実性の回避」で、未知の状況に対してどのような態度をとるかどうかである。ラテンアメリカやラテン系ヨーロッパ、日本は回避傾向が強く、一方、北欧、アフリカ、アングロサクソン系の国は不確実性を受容するという。

  第三版には、さらに二つの次元が追加されている。ひとつは中国研究を取り入れた「長期志向/短期志向」という次元である。会社を例にすると、長期の場合は市場での地位を、短期の場合は短期的な利潤が重視されることになる。東アジア諸国は軒並み長期志向で日中韓台で上位独占である。もうひとつは「放縦/抑制」の次元で、前者には幸せを感じる人が多く、後者には少ないという。ヨーロッパの多くの国は日本より放縦であるが、それでも日本は真ん中ぐらいで、抑制の極には旧ソ連や東欧諸国が固まっている。

  本書は定義にも方法論にも自覚的であり、説得力のある分析を展開している。だが、その分一般向けとするにはやや硬い内容となっている。とはいえ純然たる学術書という感じでもない。読者のイメージとしては。海外展開を考える多国籍企業のマネージャーおよび雇用者が想定され、進出先の国の考え方に対して彼らの理解を促すというのが本書の立ち位置だろう。とはいえ、本書の分析結果は他にも使い道がたくさんあると思われるのだが、少なくとも日本ではあまり広がっていないという印象がある。比較文学のお伴にっていうのは無粋ですかね。
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空虚な内面を演奏技術と勢いだけで埋めてみせた高性能ガレージロック

2014-04-25 22:32:18 | 音盤ノート
Pixies "Surfer Rosa / Come On Pilgrim " 4AD, 1988.

  ロック。カテゴライズするとグランジ/オルタナ系ということになるが、このバンドが出てきた当時はそのような概念はまだ無かった。米ボストン結成だが、英国インディーズレーベルの4ADからアルバムを発表し、評価も米国より英国での方が先行していた(NMEやメロディ・メイカーなど英ロック誌の年間ベストアルバム10枚に、必ずといっていいほど彼らのアルバムが登場していたことを覚えている)。1991までに4枚のアルバムを残して解散。本作は1987年発表のEP"Come On Pilgrim"と88年発表の最初のフルアルバム"Surfer Rosa"のカップリングである。

  ガレージパンク的なザラついたサウンドを聴かせるが、素人ぽさはなく、演奏力は高い。男性ボーカルは普通に歌うと情けない声をあげるのだが、曲の途中で突如絶叫を繰り出し、どこか壊れた印象を残す。特にJoey Santiagoなるフィリピン系米国人によるリードギターの暴れっぷりは痛快で、リフ、ソロ、演奏全体への絡み方、音の歪ませ方や外し方、何から何までツボを心得た、格好いいとしか言いようのない演奏となっている。もはや教科書である。曲はいずれもコンパクトにまとめられていて密度が高く、ダラダラ演奏しないところも優れている。全編を通じてこれぞロックというべきカタルシスがある。だがその一方で、曲に情緒やシリアスさを欠いていることもあって、聴き手の感情移入を拒絶するような空虚さも存在する。聴く方としては高スペックの電化製品や自動車を愛でているような感覚に陥る。

  ロックスターの概念を完全に破壊するメンバーのルックスも必見。2004年に再結成しツアーを行っていたようだが、今年四月になって23年ぶりの新録音が発表されたとのこと。まだ聴いていないが、1990年前後の全盛期の無意味に高いテンションを再現することはちょっと難しいだろうと予想する。
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米国における個性尊重教育の誕生と帰結

2014-04-23 12:31:19 | 読書ノート
苅谷剛彦『教育の世紀:大衆教育社会の源流 / 増補版』ちくま学芸文庫, 筑摩書房, 2014.

  米国教育思想における平等観を歴史的に探る内容。初版は2004年に弘文堂から『教育の世紀:学び、教える思想』というタイトルで発行されている。

  著者は、「平等」な教育への志向は、教育思想の本家ヨーロッパではなく19世紀後半の米国で誕生したとみる。ヨーロッパでは、学習能力の差は階級差と対応した分布となっていると考えられており、結果としてエリート向けの学校とそうでない者の学校が異なるという複線的な学校システムが制度化された。しかし米国では、能力のある人とそうでない人が階級横断的に存在するという認識が一般的で、したがってどのような出自の者にも教育機会を均等に与えようとする単線的な学校システムが発展した。単線的学校システムとは、戦後の日本が採りいれたような、(一見)出身階級と無関係に進学できるシステムである。

  20世紀になると、生徒の個性に合わせた学習という概念が誕生する。教育機会の平等を徹底すると、単なる就学機会の平等ではなく、生徒個人の特性および進路に合わせた教育が「平等」の条件を満たすと考えらるようになった。これは20世紀前半の中等学校の教育が事実上大学進学教育となってしまっており、進学しない生徒には無駄なものとなっているという批判から生まれた考え方である。批判を受けて、トラッキング、俗にカフェテリア方式と呼ばれるさまざまな種類の授業を生徒が自分で選んで受けることのできる方式が主流となる。しかし、このように受講機会を生徒の関心や主体性に依存するものとすることによって、結果として教育的達成の面での不平等をもたらすことになったという。

  以上。初版は10年前であり、「個性尊重」思想を内包していたゆとり教育に対する批判としても読める。その点で、特に日本の教育に言及したエピローグ部分は今読むと少々古さも感じる。だが、増補部分でその後の教育議論の動向が補足されているし、また本編の米国教育思想史に関しても示唆が豊富である。今でもヴィヴィッドなところは多い。
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熱く攻撃的なサックスを優しげだがどこか冷ややかなピアノで包む

2014-04-21 13:48:48 | 音盤ノート
David Liebman Marc Copland Duo "Bookends" HAT HUT, 2003.
Marc Copland David Liebman Duo "Impressions" HAT HUT, 2011.

  ジャズ。表記の通りリーブマン(sax)とコープランド(piano)のデュオ。"Bookends"は二枚組で、一枚目はオリジナル5曲にブルーベックの‘In Your Own Sweet Way’やレスター・ヤングの曲などを収めたスタジオ録音盤、二枚目は同じ編成で‘Maiden Voyage’‘Impressions’‘Blue In Green’など有名曲を演奏したライブ盤である。

  リーブマンのピアノデュオに外れなし、なのかどうかは全部聴いたわけではないのでわからないが、この作品はバイラークとのデュオ(参考)と同じぐらい素晴らしい。絡む楽器の少ない方がソロの時間が長いので、彼の引出の多さとテクニックを堪能できる。とはいえリーブマンのソロはやたら男性的で、長時間聴くと疲れてしまう。しかも演奏が理知的であり、ダーティな音も直感的にではなく計算して出しているようなところがある。このようなガチガチしたサックスソロを、コープランドのピアノは前のめりになるのを抑え、ソフトにゆったりと包むように演奏しており、全体の手触りをマイルドなものに変えている。もちろん、いつものように毒気を忍ばせつつ。タイプ的には水と油のように見える両者だが、互いに補い合うように演奏しており、意外にも面白い作品が出来上がった。

  なお、2011年に発行された"Impressions"は、"Bookends"の二枚目に一枚目の三曲を足して一枚ものCDに編集し、演奏者の表記の順序を入れ替えただけの再発盤である。お間違えなきよう、と言っても新品ではこっちしか手に入らないようである。
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メンバーシップ型雇用は若年層に有利、だが部分的なジョブ型採用もまた望ましい

2014-04-18 15:42:59 | 読書ノート
濱口桂一郎『若者と労働:「入社」の仕組みから解きほぐす』中公新書ラクレ, 中央公論, 2013.

  日本における若年雇用問題について解説した書籍。「世界ではジョブ型雇用が一般的であるが、日本ではメンバーシップ型雇用の方が普及している」という事実認識は、すでに同著者の『新しい労働社会』(岩波新書, 2009)や『日本の雇用と労働法』(参考)で示されていた。本書はもう一度それをわかりやすく噛み砕いて説明し、特に若年雇用問題に焦点をあてながら現実的な解決策を提示するものである。

  まず強調されているのは「メンバーシップ型雇用は若年層に優しい」という認識である。ジョブ型雇用の世界は経験者優先であって、知識もスキルも浅い若者が雇われる確率は低い。ヨーロッパの失業問題はまさにそうである。一方、メンバーシップ型雇用では実績の無い新卒者を優先して雇ってくれる。割を食うのは高い給与をもらう中年正社員のほうで、自主退職勧告の対象となりやすい。したがって相対的に見れば、日本の若年雇用は深刻な問題ではないということになる。

  それでも解決すべき問題は存在していると著者はいう。1990年代以降、メンバーシップ型採用の枠が減少し、非正規雇用者の増加が問題視されてきた。また正規雇用者の間でも、過大な労働投入量を要求するブラック企業の台頭という、メンバーシップ型ならではの労働問題が浮上してきている。雇用形態の二極分化と労働環境の悪化という近年の傾向は解決すべき問題となっている。

  そこで提唱されているのが、「ジョブ型正社員」という、終身雇用ながら職域を限定した正社員である。事業所の廃止などで該当する職域が無くなったら解雇される、という点で、部署移動などで救済されるメンバーシップ型正社員より保護が弱い。しかし、有期の非正規雇用者よりは安定的で、将来のプランを描きやすい。メンバーシップ型正規と非正規雇用の中間に第三の雇用形態を挿入しようというわけである。

  ジョブ型正社員というのは、僕の専門領域である図書館学においても大きな示唆のある提案である。司書資格というのは一応ジョブ型雇用の世界が前提になっており、司書資格課程を教える教員は、文系学部内では珍しく、教養志向とは異なるジョブオリエンテッドな専門知識を教授する。だが、その受講生が専門職として採用されることは現実にはない。公立図書館員になるということは、結局公務員試験という名のメンバーシップ型採用に通るかどうかがまずあり、さらにそのメンバーシップ内業務の配置転換によってそこにいるというものだからだ。日本の公立図書館の労働は、メンバーシップ型雇用の図書館員(すなわち正規採用された公務員で、部署異動によって図書館にたまたまいるというだけの人も多い)と、たくさんの有期雇用の「司書」で構成されている。これでは長期に一貫した図書館運営ができない。そういうわけで公務員の採用でこの制度が広まることを切に願う。
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欧ジャズ巨匠の初期作品、オーソドックスに徹して逆に主流との距離がわかる

2014-04-16 11:25:07 | 音盤ノート
Jan Garbarek / Bobo Stenson Quartet "Witchi-Tai-To" ECM, 1974.

  ジャズ。ガルバレクのリーダー作では5作目となり、ピアノにBobo Stenson、ベースにPalle Danielsson、ドラムにJon Christensenという編成。演奏はオーソドックスながら熱気を欠いたモードジャズとなっている。彼のキャリアの中では、今日まで連なるスタイルの確立に向けて一歩踏み出した記念すべき録音と言えるだろう。これ以前の作品では、フリージャズの影響下にあるおどろおどろしい演奏を録音していた。

  ダニエルソンのオリジナルが一曲あるだけで、ガルバレクの曲はない。あとはCarla BleyやDon Cherryといったフリー系ミュージシャンの曲、Charlie Hadenの"Liberation Music Orchestra"(impulse!, 1969)で引用されたキューバ人歌手Carlos Puebla作、タイトル曲にはネイティヴ・アメリカンの血を引くサックス奏者であるJim Pepperの代表曲を採りあげている。2,3,5曲目は「コルトレーン圏内」にある演奏。アグレッシブなブロウもあり、それぞれのクオリティは高くて聴かせる。だが、1, 4曲目のような、ゆったりめの曲をロングトーンを使って朗々と吹きあげる演奏のほうがガルバレクらしくて面白い。特に冒頭のBley作‘A.I.R’は奇妙なメロディと大洋の沖に流されてゆくような曲展開が印象に残る。

  このカルテットはもう一作“Dansere”(ECM, 1975)を残して解散する。その後ガルバレクは様々なギタリストと共演するようになり、シンセイザーも採りいれる。一方、本作でのようなあからさまにジャズ的な編成での演奏は少なくなる。Keith Jarrettとのカルテットを含めても、本作はコルトレーンとの距離がよくわかって入りやすい作品だろう。
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米国における「女の子によるいじめ」エピソード集

2014-04-14 08:41:57 | 読書ノート
レイチェル・シモンズ『女の子どうしって、ややこしい!』鈴木淑美訳, 草思社, 2003.

  米国における女の子のいじめについての本。原著タイトルは"Odd Girl Out: The Hidden Culture of Aggression in Girls"で、2002年発行。あちらではベストセラーになったらしく、2011年に改訂版が発行されている。著者は在野の研究者というべきかこの問題専門のジャーナリストというべきか、とにかくフリーで稼いでいる人のようである。

  本書では、被害者や加害者からの取材によって集めた「女の子によるいじめ」のエピソードが、整理されずに大量に紹介されている。それは物理的な攻撃を伴わないが、その分陰湿で、仲間はずれや悪い噂、無視などで被害者を傷つけるという。被害者は自己主張したほうがよいとか、親は学校に戦略的に訴えた方がよいとのアドバイスはあるが、あまり分析的な内容でないこともあって説得力は微妙だ。位置づけとしては「女の子のいじめ」がいかに深刻であるか──被害者に転校という負担を強いたり、その後の人間関係形成能力を歪ませたりする──を世間に認識させるための問題提起の書というところだろう。

  「どの女の子の身にも起こりうる」というニュアンスで書かれてはいるものの、読んでみると被害者になりやすいタイプがあるという印象である。自分に不快なことをする相手となおも友好でありたいと望むというような。こうした性格の持ち主でなければ、挙げられた攻撃も大したことはないし、対抗策もあるように見える。女の子を持つ親なら参考になるだろう。
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ストリングスとバンドネオンを従えた優雅で毒気のあるジャズ

2014-04-11 21:37:09 | 音盤ノート
菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラール“野生の思考”ewe, 2006.

  邦ジャズ。ストリングス、ピアノ、バンドネオン、ハープ、中米風の薄目の打楽器隊という編成のオーケストラにサックスがのるというもの。本作は「ぺぺ・トルメント・アスカラール」名義での最初の作品で二枚組。なおすでに四作目となる新作が最近発表されている。オリジナル曲のほか、Wayne Shorterの‘Plaza Real’とBilly Strayhornの‘Chelsea Bridge’、Michel Legrand‘Bande a Aart’が収録されており、菊地御大が歌うボーカル曲(作詞作曲が細野晴臣)も一曲収録されている。

  オケ演奏はゆったりとしており、タンゴ風になったり現代音楽風になったりと表情を変えながら、基調としてはけだるさを漂わせている。凝ったアレンジの演奏であり、DCPRG(参考)のようにパワフルでスリリングというわけにはいかない。しかし整理された音色はカラフルで楽しい。特に北村聡のバンドネオンはソロでもバッキングでもかなり良いアクセントになっている。菊地本人のサックスもいつもながら素晴らしく、下世話になりすぎない程度にエロティックで、それでいてストレートなソロを聴かせる。さすがにボーカル曲は余計という気がするが、この過剰さが菊地成孔ブランドなのだろう。

  以降の作品には、スピード感のあるパーカッシブな曲や変拍子を強調した曲が収録されるようになるのだが、本作にはそういうのは無い。その点で「緩い」という印象はある。逆に言えば優雅で美しく、リラックスして聴きやすいアルバムと言えるだろう。タイトルはもちろんレヴィ=ストロースから。
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古典ながら米国史についての事前知識が要求され難解

2014-04-09 10:32:25 | 読書ノート
ルイス・ハーツ『アメリカ自由主義の伝統』講談社学術文庫, 有賀貞訳, 講談社, 1994.

  米国自由主義思想史。原著は"The Liberal Tradition in America"というタイトルで1955年の発行。簡単に言えば、米国における伝統思想とは「リベラリズム」であって、保守主義思想が保守するのもそれで、かつ共産主義思想と断絶するのもそれが理由であるということである。建国から1950年代まで、貴族制への憧れやマルクス主義への共鳴を表明する論者が米国にいたことはいたのだが、自由を至上とするアメリカニズムにことごとく阻まれてきたという。ただし、本書で言う「リベラル」とはどちらかと言えば自由放任系の今でいう「ネオリベラリズム」で、本書でネオリベラリズムと表記されているのはニューディール系の福祉国家路線となっており、ややこしい。

  この本はかなり難解である。概念や論理展開を理解するのが難しいというのではない。個人名を用いた説明が多く、その個人が何をやったどこの人というだけでなく、どういう思想の持ち主だったかまでを事前に理解していないとさっぱりわからないのである。ジェファソンとハミルトン?アメリカ独立期の人でしょ?という程度では駄目で、両者の連邦政府の権限に対する思想に違いがあることを「あらかじめ」知っていないととても読み進められない。「ホレイショ・アルジャー的」って「克己勉励して立身出世を目指す思想」と解釈していいのだろうか。一応、人名索引が付されているので、いつ頃の南部人か北部人か欧州人かぐらいかはわかるのだが、親切と言えるレベルの説明はない。

  学生時代にこの本にチャレンジしたのだが、上のような理由ですぐさま挫折した。20年近く放置していたのだが、売り払おうと思って再度目を通してみたところ読了できた次第。いや、細かいところは理解できていない。「米国における保守とはリベラルである」という点さえ理解しておけば、日本人読者には十分ではないだろうか。
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ベースとピアノのデュオ作、リハーモナイズされたカバー曲のクオリティが高い

2014-04-07 10:55:51 | 音盤ノート
Gary Peacock, Marc Copland "Insight" Pirouet, 2009.

  ジャズ。ベースとピアノのデュオ。2005年と2007年の二回のセッションをまとめたもの。リリカルながらも薄くおぼろげに不協和を忍ばせるコープランドのピアノはいつも通りだが、ピーコックがかなりメロディラインを弾いているのが目立つ。キース・ジャレット・トリオの時以上に主導権を採ることができているということだろう。

  曲は全13曲で、コープランド作1曲、ピーコック作1曲、共作6曲、カバー曲5曲という構成。このうちオリジナル曲は、フリーインプロだったり、コープランドのピアノが単線的であまり和音を効かせなかったりで、出来不出来がある。一方、出色なのがカバー曲で、‘All Blues’‘Blue in Green’‘In Your Own Sweet Way’‘Sweet And Lovely’などいずれもオリジナルな解釈が施された良演奏となっている。特に映画『ディアハンター』のテーマ曲‘Cavatina’はとても美しく素晴らしい演奏で、この一曲だけでも聴く価値がある。

  全体としてはかなり満足できる内容である。ドラムを加えたトリオ作品(参考 1 / 2)より良いと思う。
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