29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

主は日本人のアイデンティティ・イメージの分析、大衆音楽は材料

2014-09-29 16:44:28 | 読書ノート
マイケル・ボーダッシュ『さよならアメリカ、さよならニッポン:戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか』奥田祐士訳, 白夜書房, 2012.

  日本の大衆音楽についての論考集。著者は滞日経験のある米国の日本学者。原書は"Sayonara Amerika, Sayonara Nippon: A Geopolitical Prehistory of J-POP" (2012)。著者に従えば終戦直後からJ-POP概念が成立するバブル崩壊期までを対象としている。

  この邦訳の売り方には問題があると思う。第一に、邦訳にあたって副題が変えられているが、元の「J-POPの地政学的前史」というわかったようなわからないような題のほうが、本書のカルスタ・ポスコロ的意匠を正しく伝えている。邦訳版の「戦後、日本人はどのようにして独自のポピュラー音楽を成立させたか」では、日本の大衆音楽史を外国人向けに解説した──英米からの影響を(上から目線で)言及し、そして日本人にとってはすでに知ったような邦人音楽家の名前が並ぶ──入門書籍を想像する。実際に僕はそういう本であることを期待して本書を手にとった。けれども、本書の主題は、少数の歌手やミュージシャンを採りあげ、その代表曲や受容の状況を材料にして、日本人アイデンティティの形成を論じるというものである。柄谷行人に謝辞が述べられるような気取りのある本であり、分かりやすい内容とはいえない。

  第二に、オビには“「はっぴいえんど」を中心に解析した(後略)”とあるが、バンドはっぴいえんどを扱っているのは全6章のうちの第5章だけで、さらにその章内でも荒井由美とYMOと並置される1/3のネタでしかない。邦訳には解説替わりに音楽評論家の対談が載せられているのだが、そこでも「はっぴいえんど」が連呼される。このバンド名が一般読者にアピールする記号なのかそもそも疑問なのだが、その強調に日本側のいったいどのような事情があるのだろうか。

  で、その内容は次のようなものである。笠置シズ子、美空ひばり、坂本九、グループサウンズ、はっぴいえんど他、チャゲ&飛鳥で各一章ずつ割り当てられている。カルスタ本特有の冗長さとわかりにくい言い回しはあるが、それでも前半三章は面白い。敗戦後の米軍占領下で、「ブギの女王」笠置シズ子が米国資本主義+快楽主義の象徴として当時捉えられたこと。そして笠置の影響下に登場した美空ひばりが、音楽的に無国籍でかつジャンル横断的に録音を残しながらも、東アジア圏共通の音階を用いるジャンル「演歌」がなぜか日本的なものとして認識されるようになった時代的文脈において、「演歌の女王」として国民的歌手にまつりあげられるようになった逆説を論じている。つづく、ロカビリー歌手でもあった坂本九が、"Sukiyaki"を巡って米国の音楽・人種の分断線を超えることができずクルーナー歌手として規定されてしまい、また自己規定してゆくという話も興味深い。

  後半の三章は微妙な出来。グループサウンズとはっぴいえんど他の二つの章は、日本人がロックのような外来の大衆音楽を演奏することの真正性を問題にしているが、ギターエフェクト、プロダクションの問題、当時の日本人音楽家の思い込みに原因が求められ、アーティスティックな荒井由美の大衆性とYMOの批評性で克服されたかのように描かれており、ちと単純ではないかという気がする。また、最後に俎上にあがるのがチャゲアスで、東アジアにおけるJ-POP受容という完全にマーケット文脈での話になっており、「日本」的な音楽の創造・定義という問題が視野にあった1-5章までから外れている。まあ、最初に書かれたのがこの6章らしいから、著者にもともとスタンダードな日本の大衆音楽史を換骨奪胎しようという意図はなかったのだろう。

  何が足りないのかははっきりしている。大瀧詠一である。アメリカンポップスをコラージュして、非演歌的ながらも日本人の耳に馴染むシティポップスを構築してきたその功績に言及しなければ、1980年代後半以降を語ることはできない。彼の影響下に、英米ラウンジ音楽やソフトロックを参照する渋谷系が成立するのだが、それは軽快かつ無国籍(かつ反ロックで白人にとっては安全)で、あらゆるものを記号として節操なく消費する日本の都会人をイメージさせた。YMOとは違ったかたちで、高度資本主義下の日本人に帰るべきルーツなどないということを示したわけだ。一方で、著者が好むという椎名林檎にはグランジの影響だけでなく暗い情念をぶつける演歌的要素(すなわち遡るべき日本の音楽)があるが、その面白さは、大瀧-渋谷系に至る系譜が作った都市的日本人像に対するアンチになっていることにある。

  そういうわけで大瀧詠一は、1990年代に至る流れを1970年代からつなぐ重要な結節点なのだが、はっぴいえんどを扱いながら本書ではあまり論じられていない。本書では細野晴臣が重視されており、それはそれで納得のゆくことなのだが、一世一代のYMOでは解散後の展開が続かず記述がブツ切れになる。そして唐突に1990年代初頭のチャゲアスが出てきてしまい、違和感が残る論述の構成となってしまっている。この点で、大衆音楽を通じて日本人アイデンティティを論じるという当初の意図を十分ふくらませることができなかったと評価する他ない。ついでにGSを扱うならば、その継承者でヴィジュアル系の雛形となったBoowyにも言及してほしいよな。一応、バブル崩壊前だし。

  以上を考慮すると、「戦後からYMO解散(1983年)までを扱った」日本大衆音楽史と考えれば興味深い指摘の多い書籍だと言える。バブル期まで視野に入れているというのは言い過ぎだろう。1980年代半ば以降も同じテーマの延長線上で書けるはずであり、著者には続編を期待したい。
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大衆音楽の社会史。あらかじめ知識のある人の副読本として読むべきもの

2014-09-26 20:34:05 | 読書ノート
森正人『大衆音楽史:ジャズ、ロックからヒップ・ホップまで』中公新書, 中央公論, 2008.

  タイトルに大衆音楽史とはあるが、音楽そのものの展開を語るものではなく、ロックやレゲエなどサブジャンルの成立と受容の社会的条件を探る内容である。そのような内容であることを十分認識して読めば良書だと言える。採りあげられるのはジャズ、ブルース、ロック、パンク、レゲエ、モータウン、ヒップホップ。ジャマイカ政治におけるレゲエ・ミュージシャンの取り込みや、モータウンと自動車メーカーの関係などについての記述は個人的に面白かった。カルスタ的視点はこの種の著作につきものとはいえ、商業主義にも付き合ってみせる点で中村とうようの『ポピュラー音楽の世紀』(参考)ほど偏っておらず、冷静に読める。

  今回新刊を購入して読んだのだが、発行後6年経てもまだ初刷りだった。邦アマゾンでも軒並み低いレビューであり、売れていないのだろう。誤植への指摘が多い(確かに重要概念である「クルーナー」を「クルーザー」と誤記されるのはきつい)が、それ以上の問題は新書で入門書のようなタイトルを付けて発行してしまったことだろう。内容の実態は大衆音楽を取り巻く社会史であり、各ジャンルについてそこそこ知識のある人相手に、もっと記述を厚くして四六版以上の版型で発行すべきものである。初学者向けのような装いでこの内容では、看板と違うと批判されるのも無理はない。マーケティングのミスだろう。
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ケニー・ホイーラー追悼。儚く繊細な音を聴かせる演奏家兼作曲家

2014-09-24 10:06:43 | 音盤ノート
Kenny Wheeler Quintet "The Widow In The Window" ECM, 1990.

  ジャズ。本作のリーダー、ケニー・ホイーラーは今月18日に亡くなった。享年84歳。ヘイデン死去の際は日本でも報道されたが、ホイーラーの場合は新聞記事になっていない。リーダー作が少ないし、来日もあまりしていないからだろう。人物が注目されたのが遅くて、1975年の"Gnu High"(ECM)が契機だから、45歳から第一線に上がったという人である。カナダ出身でイギリス在住というのもアイデンティティを分かり難くしている。しかし、客演での録音の多さが示すように、演奏家としての技量は確かなものだった。

  長いキャリアのわりには数少ないリーダー作だが、ECMでの録音に関してはいずれもバックに一流ミュージシャンを従えた入魂の作品であり、はずれが無い。この作品も同様で、trumpetとflugelhornを担当するリーダー以下、John Abercrombie (guitar), John Taylor (piano), Dave Holland (bass), Peter Erskine (drums)というそうそうたる面子。哀愁溢れるオリジナル曲を、メンバーがお互いの距離をはかるようにつかず離れず演奏する。その演奏は、はかなく壊れやすいガラス細工のようで繊細である。同時に緊張感も湛え、スリルあるアドリブも聴ける。

  本作で聴ける自作曲の、悲嘆を感じさせるような独特の美しさもホイーラーの魅力だろう。作曲だけでなく編曲も手掛けたが、ビッグバンドのような厚い編成になると彼の持ち味である線の細さや浮遊感が薄れてしまい、個人的にはあまり好きではない。本作のような小コンボでの編成こそが、彼のオリジナル曲の魅力を引き立てる良いフォーマットであると思う。

  いずれにせよ、「鬼才」的な評価に留まるのはもったいない音楽家である。1970年代から80年代にかけての全盛期にもっとリーダー作を残していれば、世間の彼に対する評価は変わっただろうか。
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イノベーション産業の集積地となるかどうかは偶然で決まる

2014-09-22 21:23:11 | 読書ノート
エンリコ・モレッティ『年収は「住むところ」で決まる:雇用とイノベーションの都市経済学』池村千秋訳, プレジデント社, 2014.

  原題は"The New Geography of Jobs"。邦題が一見センセーショナルだが、確かに内容はその通りのことを主張している。決定的なのはイノベーション産業であり、その集積地となる都市であるならば、高度な技能を持った労働者の所得が高くなるだけでなく、そうでない低技能の労働者の所得もまた上昇する。同じ高卒でもサンフランシスコに住むのとデトロイトに住むのでは収入が変わってくるのだという。

  似たような議論にリチャード・フロリダやエドワード・グレイザー(参考)のがあるが、それらと違うのは因果関係までチェックしていること。都市に「クリエイティブ・クラス」が住み着くのはその都市に活気があることの結果であって、彼らの居住は原因ではない。都市が芸術施設などを拡充してインテリ層の気を引こうとしても大した効果はないらしい。大学の設置は、通学者や近隣住民の生活の改善にはなるが、その都市がイノベーション産業の集積地となるのを決定づけるほどではないとのこと。

  ではどうしたらシアトルのようになれるのか。この問いについての決定的な答えは無い。シアトルの成功はマイクロソフト社が移動してきたという偶然による。著者によれば、補助金や税制上の優遇措置などを使っての工場や研究所などの誘致にはそれなりの効果があるが、費用対効果の問題は残るという。結局、高学歴移民をじゃんじゃん受け入れ、なおかつ米国の教育のレベルを上げよという提案となる。加えて、工場撤退などで負のスパイラルに陥った地域に住む住民の移動を促す政策プログラムへの言及もある。

  全体として力強い説得力の議論で首肯することしきり。だが、ちと都市における「成功」の基準が厳しい気がするな。先端産業を擁していなければ未来がないと言わんばかりの調子である。
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貧乏無職引きこもりを歌にする耽美なギターポップ(7)

2014-09-19 09:00:19 | 音盤ノート
The Smiths "Rank" Rough Trade, 1988.

  前回の続き。ザ・スミス解散後一年を経て発表されたライブ盤。"The Queen Is Dead"発表後の1986年10月のロンドンでの録音。ごく短い期間だけ在籍していたCraig Gannonが第二ギタリストを務めていた五人組編成時の演奏で、海賊盤で聴ける通常の四人編成でのライブ録音よりも、当然ながら音が分厚い。そのせいか、スタジオ録音での線の細くて内向的な印象とは真逆の、骨太で攻撃的な演奏が聴ける。パンクである。

  パンク的といっても演奏はかなり上手い。一曲中で使われる進行パターンは少ないものの、詰め込まれた音数が多くて密度が高いというのがスミスの曲の特徴。その速い曲の数々を二台のギターとリズム隊が完璧にこなしていく。以降のスタジオ録音でだんだん目立たなくなるJohnny Marrのギターもここではかなり自己主張しており、"This is a new single"と紹介されて始まる'Ask'において展開されるアルペジオの輝きはシングル盤となったヴァージョンを超える。同じくマーが弾きまくるインスト曲"The Draize Train"もスリリングで濃い演奏。時折奇声を交えながら歌うMorrisseyはまるで酔っ払いのようだが、それでも曲を崩し過ぎることなく情感を保っている。全体として、一聴目には荒々しく感じるけれども、次によく聴いてみると演奏の手堅さがわかる。下手なバンドは一本調子になりがちで、曲の違いがだんだんわからなくなるのだが、これはそういうことがない。

  とはいえ、これはスタジオ録音を聴いた後で手にとるべきもの。これはあくまでこのバンドの魅力を別の角度から伝える作品であって、このアルバムにおける熱狂や騒々しさを期待してオリジナルアルバムを辿ると物足りなくなってしまうだろう。まあ、ハードなギターサウンドが好きというならば単体でこれだけを聴くというのもありかもしれない。

  ちなみに、このバンドの他のライブ録音と比較してみても、本作のテンションは例外的である。Youtubeに上がっている四人編成時の海賊録音を聴けばわかるが、スタジオ録音では重ねられていたギターがライブでは一台になるせいで、ギターの音がかなり薄く感じられ、一方でベースがかなり前面に出ているように聴こえる。いわゆる「ポストパンク」的でクールさが残る音となっている(Gang of fourのようだ)。というわけで、やたら熱いこのアルバムはこのバンドのキャリアの特別な瞬間を捉えた貴重なドキュメントである。


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臭みの強い世界大衆音楽入門書、ある意味1960年代ロック的

2014-09-17 19:18:50 | 読書ノート
中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書, 岩波書店, 1999.

  敢えて誤解を狙ったタイトルだと思うが、世界的に影響力のあった英米の大衆音楽(特にロック)ではなく、20世紀に世界各地で発生した民族音楽的要素のある大衆音楽についてそのルーツと魅力を探った小著である。米国ももちろん扱われているが、カリブ海諸国、ブラジルとアルゼンチン、インドネシア、アフリカ、イスラム諸国を巡る全体の一部にすぎない。著者は音楽誌『ミュージックマガジン』の元編集長で、1980年代にワールドミュージックをプッシュしたことで知られる。2011年に亡くなっている。

  著者は癖のある思考の持ち主で、そのあたりを割り引いて読むことが必要である。基本、西欧の芸術音楽が嫌い、米国の商業主義も嫌いというスタンスで、では何を大衆的音楽として扱っているかというと、貧しい一般民衆の日常と連続性のある音楽だという。ん、それって大衆音楽以前の民族音楽じゃない?と疑問に思うところだが、いちおうレコードに録音されて商業的に流通するという隠れた条件も必要なようだ。しかし一方で、資本主義に取り込まれてはいけないという。つまり、完全に商業化されて世界的に流通する前段階の、エスニックな限界を持つ、洗練されていない大衆音楽が特に評価されているようなのだ。この点を理解していれば、上に挙げた諸地域の大衆音楽の成立がわかって面白いと評価できる内容である。

  ただ、このスタンスでの議論の限界は明らかだろう。特に貧しくない、ある程度教育を受けた近代都市住民向けの大衆音楽を、単なる商業主義で切り捨てるというのは一方的である。そうした層にとっては、例えば著者が持ち上げる泥臭いオーティス・レディングより、「飼い慣らされた」と形容される都会的なモータウンの方に魅力を感じる場合が多いと思われる。そして音楽的革新はそうした商業主義的大衆音楽にもまたあったわけで、影響力から言えばそこでの新しい音楽的実験を馬鹿にすることはできないはずである。戦後民主主義の世代の人なので、「民衆、民衆」とやたら持ち上げたがるのは音楽の魅力の問題ではなくもはや政治的スタンスなのだろう。
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貧乏無職引きこもりを歌にする耽美なギターポップ(6)

2014-09-15 22:07:48 | 音盤ノート
The Smiths "Strangeways, Here We Come" Rough Trade, 1987.

  前回の続き。ザ・スミス最後のスタジオ録音で、ギタリストのJohnny Marr脱退を理由にアルバム発売と同時に解散してしまう。以前のようなギターバンド感がかなり後退してしまい、Morrisseyと彼のヴォーカルをサポートするバックバンドという風情に変貌した。ピアノ、シンセ、ホーンなど使われる音色が多彩になり、マーのギタープレイも目立たなくなる一方で引き出しが多くなった。作曲者であり楽曲をコントロールできたマーだから、自分の出番の少なさも狙い通りだったはず。脱退理由は完全に人間関係だろう。録音はかなり明瞭で、透明感があって美しい。

  前作と比べれば評価は落ちるが、それでも解散後の各自のソロに比べればずっと濃い内容である。一曲目の'A Rush and a Push and the Land Is Ours'はスカ風のリズムで展開する失恋ソングで、語り手は「やあ僕は、18ヶ月前に真っ白な首を吊って死んだ、悩めるジョーの幽霊だよ」と冒頭で自己紹介する。続く'I Started Something I Couldn't Finish'はディストーションをかけたギターではじまるシングル曲。「愛と平和と協調、とってもいいね。たぶん来世のことだろうけど」と歌われる'Death of a Disco Dancer'は後半で混沌した展開となるスローで重たい曲。'Girlfriend in a Coma'もポップなシングル曲。LPではA面最後となる速いテンポのスミスらしい曲'Stop Me If You Think You've Heard This One Before'から、B面最初のほとんど演歌のような'Last Night I Dreamt That Somebody Loved Me'がこのアルバムのハイライト。両曲とも希望無き状況を切々と訴える迫るような名曲である。続く'Unhappy Birthday'は、嫌いな相手に向けたバースデイソングとしては最高のものだが、お口直し的な地味な曲である。問題は、その次の'Paint a Vulgar Picture'。長い割には退屈で、レコード会社批判の歌詞もどうでもよく、これがあるせいでこのアルバムの評価は下がっていると感じる。次のロカビリー風"Death at One's Elbow"も最後のバラード"I Won't Share You"もそこそこの出来である。

  「レノン&マッカートニー」的なソングライターチームを目指したと言われるモリッシー&マーのコンビだが、実態はジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビンのような関係だったのだと推測する。曲を書けるジョビンより、演奏だけのジョアンがなぜか偉そうにして主導権を握っているというような。そして、分裂してみて改めてわかるのだが、ジョアンやモリッシーのような、演奏だけまたは歌だけだったりするものの、その存在感において強烈な人物のほうが、その後も重要なアルバムをものにしている。マーやジョビンのソロからは、器用な職人的作曲家の限界の方を感じる。でも、モリッシーなんかと付き合っていくのは面倒くさいことなのだろうな。
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科学啓蒙書だが、底辺家庭出身の科学者の成功物語として読める

2014-09-12 06:46:54 | 読書ノート
ダグラス・ケンリック『野蛮な進化心理学:殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎』 山形浩生, 森本正史訳, 白揚社, 2014.

  進化心理学の一般向け書籍。原題は"Sex, Murder, and the Meaning of Life"(2011)。著者は米国の学者でチャルディーニ(参考)の弟子。1970年代の社会生物学勃興期からこの領域に関心を持ち続けてきたが、キャリアの初期に当時のアカデミズムの雰囲気に阻まれて査読がなかなか通らなかったとか。しかし、そんな苦労話以上に圧倒されるのは、著者の育ちの悪さと下品さ。実父と弟は刑務所に入り、自身は酔った義父をぶん殴って、高校は二度中退したとのことである。本書中、若いころはモテたとほのめかしつつ、三度の結婚歴を誇る。なんという育ちの悪いエロ親父だろう。

  説得力はそこそこである。紹介される著者自身による実験のパターンの多くは、大学生をつかまえて、美男美女の写真を見るグループと、建物など特に性的刺激をもたらさない写真を見るグループに分け、写真を見せた後に何か作業してもらうというもの。その結果、美女を見た男性はリスクテイクする傾向があるだのといろいろ考察を加えている。解釈が大胆すぎると感じられるケースも多々あり、微妙な印象だ。ただそういう問題点あるとはいえ、実験手法自体は参考になるところが多い。

  面白いところもある。宗教に対する考え方が、恋愛や結婚に対する将来の期待・見込みによって影響されると指摘する10章は秀逸。一夫一妻かつ家庭重視の保守的な配偶戦略を選択するか、それとも乱婚的な自由恋愛を選択するかは、学生時代に決まるとのことだ。結婚がまだ遠い将来にあると認識していれば婚前交渉に寛容になる。一方で保守を選択するメリットとしては、多くの子どもを育てながらコミュニティや宗教団体からの様々なサポートがあることである。したがって米国では大卒はリベラルに、高卒は保守になりやすい。その他、年齢によって変わってくることがいろいろあるという。

  以上。読みやすい本ではあったが、個人的には読みながらなんとなく落ち着かなかった。僕も労働者階級の息子で育ちが悪い方だが、さすがに著者の家庭ほど滅茶苦茶ではなかった。その著者が、特に暗くもない青春時代をおくったうえに、学者生活も家庭生活も謳歌しているところにびっくりしてしまうのだ。いったい、どういう心意気で人生に挑んできたのか教えてほしいところであるが──それは終章に書いてあった。
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貧乏無職引きこもりを歌にする耽美なギターポップ(5)

2014-09-10 16:27:54 | 音盤ノート
The Smiths "The World Won't Listen" Rough Trade, 1987.

  前回の続き。例外もあるが、前半は主にシングルA面曲を、後半はB面曲を並べた編集盤である。オリジナル盤の収録は全16曲で、CDにはインスト曲'Money Changes Everything'、さらにはWEAからの再発CDには60年代の女性歌手Twinkleの'Golden Lights'のカバーが収録されており、全18曲となっている。

  すでに既発のアルバムに収録済の4曲を収録しているが、うち'The Boy With The Thorn In His Side'は微妙なミックス違い、'That Joke Isn't Funny Anymore'は早めのフェイドアウトでエンディングするという違いがある。加えて、このアルバムで初めて公表された曲として'You Just Haven't Earned It Yet, Baby'がある。残り13曲は1984-86年にかけてのシングル曲で、特に冒頭の二曲'Panic'と'Ask'は彼らの代表曲で、特に後者はザ・スミスが創った最高の名曲として推したい。この二曲以外の他のシングル曲はややクオリティが落ちる。ただ、後半の、レコードだとB面にあたる地味めの曲がなかなか味わいがあり、ピアノとボーカルだけの'Asleep'から'Unloveable''Half a Person'という2曲をはさんで、アコギをバックにしたバラード'Stretch Out and Wait'(シングル収録時とは異なるボーカルメロディ版)に至る流れはなかなか秀逸。前半の派手な曲よりいいんじゃないかと感じる。

  当時の厨坊を困らせたのが、この編集盤のほぼ同時期に"Louder Than Bombs"(Sire)──LP二枚組!!で曲順無茶苦茶──というアメリカ向け編集盤が発売され、The World Won't Listen"とかなりの重複があるものの数曲収録曲が異なっていたことである。その数曲のために、愚かな厨坊はなけなしの小遣いをはたいて二つのアルバムを購入するはめになった。当時はせこい商売するなあ、と感じたものだ。とはいえ"Louder Than Bombs"の評価は米国では高いようだが。
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快感をめぐる楽しい話ではなく依存症に関する堅い話

2014-09-08 17:43:43 | 読書ノート
デイヴィッド・J.リンデン『快感回路:なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』岩坂彰訳, 河出書房, 2012.

  一般受けを狙ったような邦題だが、脳の仕組みについての科学啓蒙書。内容も「快感」というよりそれを含めた「依存症になる仕組み」について解説したものである。原題は"The Compass of Pleasure"(2011)で、著者は米国の神経科学者である。2014年に河出文庫に加わったのを機に読んでみた。

  話は快感現象の生理学的説明が中心。薬物中毒、過食症、セックス、ギャンブル、運動や瞑想などを俎上に載せている。面白いのが、依存症になるとノーマルな状態より快感を得られ難くなること。神経系が変化してしまって十分な満足を感じなくなっているがために「もっともっと」となっていくらしい。このため著者は、もはや依存を絶つのは本人の意思だけでは無理なのだという。また、依存症を誘発するような薬やギャンブルなどは、合法的な状態におくよりは、法で禁止したほうが社会全体で依存症となる患者が減ることがわかっているという。

  個人的には、依存症になりやすいのがどのようなタイプであるのかを詳しく知りたかった。環境だけでなく、遺伝的要因もあるような書きぶりなのに、この点では十分に突っ込んでくれない。とはいえ多くの知見が得られる良書である。
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