29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

競争にはなんでも反対というわけではないらしい

2010-06-29 11:15:45 | 読書ノート
原武史『滝山コミューン一九七四』講談社, 2007.

  2007年の話題作で、著者が小学生時代に経験した、東久留米市滝山団地での社会主義的実践についてつづったもの。2010年に文庫版になったので、僕はそれを読んだ。多くの書評が出ているので、内容については端折る。

  興味深かったのは、班を競争させるというコンセプト。僕は、社会主義者が「競争を資本主義的なもの」と忌み嫌うだろうと、単純に考えていた。だが、どうやら違うようだ。滝山コミューンでは、班を作らせてそれぞれを競争させていた。ただし、業績の良い班に報償を与えるという方向での動機づけではなく、業績の悪い班にペナルティを与えるという方向で動機をコントロールしていた。共産主義的な世界では、このような競争が労働を調達するのに必要なのだろう。班による競争はOKだが、個人間で競争するのは資本主義的ということなのか。

  率直に言って、この本で描かれた左翼運動が「敵は個人主義」というわかりやすい全体主義的コンセプトに則っているのは意外だった。日本における戦後民主主義思想のイメージは、「市民」を重視するアメリカ的個人主義と共産主義的平等思想をちゃんぽんにしたものようなだったはずである。丸山真男がその典型だ。しかし、滝山コミューンは集団志向でより共産主義的である。その意味で、ここでの実践はその後の日本に大きな意義をもてなかったのではないか。日本的リベラリズムはまた別の流れに属しているのだろう。
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プレゼン技術に問題あり

2010-06-27 22:04:03 | チラシの裏
  テレビ朝日の番組「サンデー・フロントライン」を観ていたら、阪大の経済学者・小野善康先生が出演していた。菅直人総理のアドバイザーというのは本当らしく、総理と細かいやりとりを続けているという。番組では「増税してその費用を雇用に充て経済成長させる」というプランを解説していた。ただ、口頭での説明に終始し、概要は分かったが上手くゆくかどうかに疑問が残った。おそらく演出に問題があるのだろう。ディレクターは、説明用パネルを一枚だけでなく複数枚用意させるべきだった。さらには解説のためのVTRも準備すべきだったろう。新奇な提案なので、予想される疑問に答える形で説明するというのがこの場合要求される。口頭での説明だけでは、橋本政権の失敗のために就職氷河期を経験した世代を信用させるには至らなかった。
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静岡の短大生の読書傾向

2010-06-24 20:40:37 | チラシの裏
  静岡県立図書館の依頼で、僕の短大の学生から読書アンケートを採っている。人に奨めたい小説作品を挙げるという企画である。まだ正確な集計は終わっていないが、東野圭吾と伊坂幸太郎という名前が目立つ(僕はどちらも読んだことがない)。また『恋風』ほかケータイ小説も多かった。僕の世代なら村上春樹や吉本ばななが多く挙げられるだろうけれども、二人の名前は回答にほとんど見られなかった。世代の差なのか、それとも短大特有の傾向でまた四年制大学と違うのだろうか? 「南アフリカでW杯やってるしクッツェーの『恥辱』」なんて学生はもちろんいない。
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あまり知られていない学説もいちいち撃破する

2010-06-22 13:58:04 | 読書ノート
小谷野敦『日本文化論のインチキ』幻冬舎新書, 幻冬舎, 2010.

  日本人論批判。普及した日本人論の多くは、諸外国との比較の不足、特定の階級の慣習・文化を日本人全体に適用して考えるという誤謬、この二つの問題点があるという。全体としてはさまざまな日本人論におけるこれらの問題点の指摘に終始している。正確な日本の文化像を描くことまでは意図されていない。また、著者の学問論としても読める。

  批判の対象にはやや偏りがあるが、これまでの日本人論批判では扱われてなかった対象が含まれており意義がある。『「甘え」の構造』『タテ社会の人間関係』などのよく知られた名著だけでなく、『逝きし世の面影』や『「色」と「愛の」の比較文化史』、ラフカディオ・ハーン礼讃者など、マイナーと思える著作・論者が俎上にのせられている。そして、後者で展開される議論の方が、著者の自説とも絡んでおり圧倒的に面白い。例えば、「日本人は裸体をみても興奮しなかった」とか「恋愛は近代になって西洋から輸入された」という普通の日本人ならまったく知らないだろう説をもわざわざ論破してくれている。

  ただし、杉本良夫や最近話題になった高野陽太郎(参考)らの先行文献に言及がないのが気になるところ。
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欧州風人力ミニマル暗黒ファンク

2010-06-20 19:45:52 | 音盤ノート
Nik Bartsch's Ronin "Stoa" ECM, 2006.

  Reich風のミニマルミュージックが展開されていると聞いて聴いてみた。確かにそういう要素はある──二曲目はReichの"Eight Lines"みたいだ──が、個人的にはエレクトリックベースとタメの利いたドラムによるファンクネスの方の印象が強い。また、演奏には静と動によるコントラストがあり、そのあたりも聴き手に一定の高揚感を維持させ続けるミニマルミュージックとは違っている。

  中心的な旋律を奏でるのはピアノだけで、あとは打楽器二人とベース二人という編成(たまにバスクラリネットが入る)。楽譜に従って曲が展開するようで、ジャズのようにアドリブを聴くような構成にはなっていない。打ち込みを使わないグルーヴミュージックというと日本のROVO(参照)を僕は思い浮かべるが、あれよりはかなり非ロック的で、ECMらしく渋い音楽になっている。

  ジャンルにとらわれない音楽の面白さは確かにある。だが、ReichやROVOに有ったスピード感がまるで無く「鈍重」という印象も残る。というわけで手放しで絶賛とはいかない。他のアルバムも聴いてみることにする。
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ちょっとした変化と相変わらずという印象と

2010-06-17 10:20:43 | 音盤ノート
Autechre "Oversteps" Warp, 2010.

  エレクトロニカ。オウテカにしては聴きやすいアルバム。音が分厚くなって、メロディラインのはっきりした曲が多くなった。一方で、楽曲概念を滅茶苦茶にしてしまうような破壊的な感覚は薄れた。それでも、金属的な音と電子音のノイズが溢れる彼らの音楽は、慣れないリスナーには耳馴染みしないだろう。ボーナストラックは無くても良いレベルの曲なので、わざわざ日本盤を買う必要はない。

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古典というべき英語表現についての解説書

2010-06-15 17:24:19 | 読書ノート
マーク・ピーターセン『日本人の英語』岩波新書, 岩波書店, 1988.

  日本人が書く英語表現の、不自然な部分または間違っている箇所を指摘する書籍。ロングセラーらしく刷を重ねており、僕の持っているのは2009年59刷である。

  前置詞や副詞、関係詞の箇所は「この表現はこういうニュアンスがある」といった話で実用的である以上の話ではない。だが、冠詞や複数形、時制表現では「英語による思考パターン」がわかって面白い。簡単に言えば、英語は日本語より格段に論理的な構造を持っているということである。

  続編もあるそうなので読んでみることにしよう。
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カレールーとレトルトに関する私見

2010-06-13 22:00:47 | チラシの裏
  妻が何かのテレビ番組を見たらしくS&Bのレトルト『カレー曜日』を買いたいと言い出した。僕はその番組を見ていないのだが、番組内で芸能人のお気に入り商品を紹介するというものだったらしい。CM枠ではなかったらしいが、まともに考えれば、スポンサーの意向を受けた番組構成だっただろう。

  5~6年ぐらい前に個人的にカレールーをいろいろ試した時期があるので言うのだが、大手食品メーカーではカレールー、レトルトともにハウスの商品がもっとも美味である。レトルトなら『カレーマルシェ』であり、ルーなら『ザ・カリー』または『ジャワカレー』である。S&Bの商品は高級ルー・一般向けルー・レトルト部門とそれぞれで次点に甘んじた。そのため、今や我が家は完全にハウス派となっている。

  今回の件は、久々にS&B商品へ関心を向ける機会となったが、残念ながら訪れたスパーマーケットでは『カレー曜日』は売り切れだった。結局いつも通り『カレーマルシェ』を購入した。
  
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明るく、冷たく、健康的ながら呪術的である名演

2010-06-10 09:47:03 | 音盤ノート
Jan Garbarek Group "Dresden: In Concert" ECM, 2009.

  コルトレーン型のカルテット編成によるライブ二枚組。高水準の内容だが、ライブ名盤にありがちな身を切るような壮絶な演奏が展開するというわけでなく、じっくりアンサンブルを聴かせる演奏となっている。また、前回言及したManu Katcheの演奏は満足のゆく水準で、よく叩いている。

  そのKatcheの激しいドラミングを伴う冒頭のShakar作"Paper Nut"は、チープな打ち込みリズムだったオリジナル曲を上回る出来で素晴らしい。Milton Nascimento作の"Milagre dos Peixes"は、もっと吹いて盛り上げてほしいところだが、原曲の美しさは保たれている。あとはGarbarekまたはメンバーのオリジナル曲で、緩急豊かな構成となっている。

  Garbarek御大のSaxはさまざまな表情を見せる。Keith Jarrettのカルテットにいた時期のような、透明・清廉・明朗な表情から、"Twelve Moons"(参照)の頃の、枯れすすきの中を歩く虚無僧のような寒々とした表情まで。加えて、蛇使いのような呪術的なフレーズも繰り出され、多彩で飽きさせない。

  ただ、二枚組二時間という内容は長すぎる。コンプリート盤にしようという意図はわかるが、緩すぎる曲もあって、聴き手の集中力を持続させない。もっと曲数を絞った一枚ものの企画にしたほうが良かったかもしれない。
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普通の親は真似できないと思うが、極論として面白い

2010-06-08 08:53:49 | 読書ノート
小泉俊昭著;泉正人監修『かわいい子には「こづかい」をあげるな!:誰も教えてくれなかった人生に本当に役立つ「お金の取り扱い方」』大和書房, 2009.

  親に向かって、子どもに対するお金についての教育を説く本。著者は、生活するための経費と労働に対する対価以外の、ノーチェックで使える小遣いを子どもに与えてはいけないという。その理由は著者の思想にもとづいており、実証データがあるわけではない。また、著者の説く方法を実践することは、ほとんどの親にとって労力が大きすぎて難しいだろう。けれども、金銭教育について考えさせる議論として役に立つ。

  著者は自分の子に対して次の二種類のお金しか与えない。一つは「必要経費」で、文房具代、被服費、習い事の費用、友達と遊ぶための費用などが含まれる。これらは、その都度子どもが親と交渉して額を決め、使用した後はレシートを渡し、お釣りは全額返還させるという。もう一つは家事手伝いに対する対価である。これにも、お金が出るものとそうでないものがあって、愛情や親切心から行うべきものは──そういう行為まで損得勘定に基づいて行わないようにするために──対価の対象ではない。また、お年玉などの臨時収入は強制的に貯金させるという。

  このような方法は労力が大きい。特に必要経費制はかなり面倒である。かなりの決意がないと、親の側が疲れてしまうだろう。一方メリットとしては、子どもがプライベートに使える額が少なくなり、親の監視が行き届きやすいとも言える。だが、高校生になってもそうのような状態は望ましいのだろうか? 過去の自分(評者)が弁当代を削ってCDを買うのに充てていたことが思い出される(著者はそれはダメなことだという)。

  著者としては、お金は天から降ってくるものではなく、労働の対価であることを理解させればいいらしい。何の努力もなしに自由に使えるお金を与えていては子どもをダメにする、と。そのため必要経費以外は手伝いなどの対価として獲得される。だが、僕のように、家事については無償でやってほしいと考える親も多いだろう。なので、家の手伝いではなく、学校に行くこと、あるいは成績などに対する対価としてお金を渡してはいけないだろうか? 勉強は子どもの本分。登校一日に対して50円とか?

  マニュアルとして読むと実行の難しい提言ばかりのように感じられるが、著者独自の金銭教育論として捉えると、いろいろ考えさせられる点を含んでいる。
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