29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

監視社会肯定論、その方が不幸が少なくなるという

2014-05-30 13:22:18 | 読書ノート
大屋雄裕『自由か、さもなくば幸福か?:二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う』筑摩選書, 筑摩書房, 2014.

  監視社会論。と記すと、オーウェル的世界の恐怖を煽るような月並みな議論がすぐ想起されるが、本書はそれとは真逆の、犯罪の予防や個人の失敗を未然に防ぐためのパターナリスティックな介入を肯定する議論を展開している。いわゆる「アーキテクチャ論」(参考)に位置付けることができるだろう。

  著者は、個人主義という現代の責任システムは、19世紀的な社会環境と監視技術の制約のもとに生れた妥協の産物にすぎないとする。それは、失敗や被害を事後的にしか救済できない上に、失敗者や被害者の主体性を求める制度となっている──例えば裁判の原告になるなど。このため、彼らのコストが大きくなってしまう。結局、国家は個人に介入しないというこの建前は、現代ではそうしたコストを負担できる企業を強くし、それらが監視やアーキテクチャなどの手段によって個人をコントロールできる状況を生み出しているという。

  そこで「ミラーハウス社会」という、政府にプライベートな領域への監視を認め、また監視される側が政府を監視するという仕組みが提案される。当然、企業も監視される。この提案は、安藤馨の『統治と功利』(参考)で構想された社会より適切なものとして検討されるのだが、実のところ焦点となるところが僕にはよくわからなかった。乱暴にまとめれば「あんたら民間の中間団体による監視を受け入れている(例えば防犯パトロールする自治会やら、消費行動を把握するツタヤやらがある)くせに、なんで政府による監視が嫌なわけ?政府による監視のほうが容易でマシな社会になるかもよ」ということである。

  リベラリズムに対する著者の認識、リベラルな個人主義の社会を成功させるためには、社会は主体を造り上げるべく教育などパターナリスティックな介入を行わなければならない、という点については深く同意する。そしてそうした介入が今現在においても認められるものであるならば、他の方法、すなわちより効率的で強制性の少ない方法もあるのではないか、と著者は考えるわけである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャンル横断的とは言うものの近いのは『ディシプリン』期クリムゾン

2014-05-28 12:55:30 | 音盤ノート
David Torn "Cloud About Mercury " ECM, 1987.

  ジャズ的要素のあるインストのロック音楽。リーダーのデヴィッド・トーンは米国出身のギタリストで、ループなどエフェクトを駆使した演奏が特徴的である。ただ、知名度は低くて、サントラやらロックミュージシャンのバックバンドやらでいろいろ録音を残している割にはリーダー作が少ない。本作はその少ない彼のリーダー作の中でも代表作と言えるものである。

  メンバーは、トランペットのMark Isham(参考)に、Tony Levin(stick, bassa)とBill Bruford(drums)というDiscipline期キング・クリムゾンのリズム隊。複雑なリズムの上を、レイヤー仕事からディストーションを使ったソロまで変幻自在に変わるギターと熱くなりきれないトランペットが駆け抜ける。リズム隊の面子から期待するほどではないものの、ECMとしてはかなり熱量と密度のある演奏の部類に入るだろう。

  エフェクト処理に長けレイヤー仕事に独自色を出すギタリストという点で、Bill Frisel(参考)と似ているということになるが、トータルな音楽性はかなり異なる。トーンの方がもっとモダンで、ファンク、エレクトロニクス、ポリリズムをブレンドしたトーキングヘッズ以降のロックの流れにある。端的に言えば"Discipline"と比較したくなってしまうような音楽となっているわけだが、すなわち位置付けが難しいということである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人種・階級・性別などが混交する米国大衆音楽の歴史

2014-05-26 11:02:35 | 読書ノート
大和田俊之『アメリカ音楽史:ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』講談社選書メチエ, 講談社、2011.

  米国大衆音楽史。都市労働者階級向けの娯楽だったミンストレル・ショウから、ブルース、カントリー、ティンパンアレー、ビッグバンドジャズ、モダンジャズ、1950年代のロックンロール、ビートルズ米国上陸以前の1960年代初頭のポップシーン(フィルスペクターとフォーク)、R&B(モータウンからジェームズ・ブラウンやPファンクへ)、ヒップホップ、ラテンなどを扱っている。米国の音楽研究を踏まえたアカデミックな内容であるが、洋楽好きの読者ならば楽しめるものとなっている。

  本書が繰り返し強調するのは、各ジャンルが成立するその初期には人種的・民族的混交があったという点である。これは、ブルースやヒップホップなどが代表例だが、音楽的に同時代の他ジャンルの影響を受けているというだけでなく、作曲者・演奏者・リスナーが白人または黒人に偏ってはいなかったという事実とともに指摘される。新しいジャンルは、先行するジャンルから差異化・純化される過程で、「ロックは白人R&Bは黒人」というように人種化されるということのようだ。この他、商業主義との関係、フォーク音楽の階級偽装、黒人音楽のフューチャリズムなどが論じられている。

  一つの音楽ジャンルが起ち上がる際のエネルギーと混沌に焦点をあてているため、そのジャンルが確固となった後の展開の記述はあっさりしている。このためプレスリーの評価は高い一方、ビートルズはそれほどでもない。個人的には、ジャンルの純化・洗練にも何らかの意味がある──ジャンルの権威化と新規リスナーの開拓など──と思うのだが、そのあたりについての検証は今後の課題というところだろうか。とはいえ、音楽の聴き方を変えるような内容で、非常に面白かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャスロック路線を微修正してアンビエント曲の割合を高める

2014-05-23 22:53:48 | 音盤ノート
Nils Petter Molvaer "Switch" OKeh, 2014.

  ジャズ北欧もの。前作"Baboon Moon"(参考)以来のモルヴェルの新作。メンバー各々についてはよくわからないが、打楽器とギターのErland Dahlen, 同じくギター系のGeir Sundstøl, 鍵盤と電子機器のMorten Quenild, プログラミング担当Jon Marius Aareskjoldという編成。モルヴェル自身も、トランペットのほかギターとシンセとプログラミングを担当している。ただし、担当演奏者が3人もクレジットされているほどには電子音は目立っていない。

  トランペットに加えるエフェクトは以前に比べて少なめで、ストレートなソロを聴かせる趣向となっている。この点は前作を踏襲している。ギターがレイヤー系の仕事に戻ったのは、近作の傾向と違う点だろう。アルバムにはアンビエントな曲とアグレッシブな曲とが交互に収録されており、後者中心だった前作よりやや大人しくなった。ただし、アンビエントな曲でも以前のようにアブストラクトにはならず、きちんとしたメロディが吹かれる。アグレッシブな曲では、びっくりするほど巨大な音量で録られたドラムが盛り立てる。モルヴェルのソロは少しばかりメロディアスになったような気がする。

  隠し味のように音的な冒険がなされているものの、そういう点でインパクトがある作品ではない。初期の緊張感が戻ってきているし、ソリストとしての腕を上げつつあることもあって、飽きさせない作品である。特にアンビエント系の曲がとてもよろしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セイバーメトリクスの概説書、内容のほとんどが選手の評価法

2014-05-21 08:01:55 | 読書ノート
鳥越規央,データスタジアム野球事業部『勝てる野球の統計学:セイバーメトリクス』岩波科学ライブラリー, 岩波書店, 2014.

  野球の戦術や選手を新たな統計指標を使って評価しようとする試みの紹介。セイバーメトリクスとはマイケル・ルイス『マネー・ボール』(参考)でさわりだけ紹介されていた指標だが、本書の方が詳細に解説されている。

  最初の章において得点期待値なる指標を使って送りバントや打順が考察される。だが戦術の分析はここまで。残りの章は選手評価の話である。OPSなどの打撃の指標、DIPSやFIPなど投手の指標、UZRなどの守備の指標、WARという投手力・守備力・打撃力を総合して評価する指標を、それぞれ解説している。それらの指標を当てはめると、DeNAの梶谷は優秀な打者で、広島の堂林は優れた守備力を持っているということになる。

  話の大半が選手能力の評価であるために、イニングやアウトカウント、ランナーの有無など、状況を考慮したゲームの各局面での戦術理解を楽しむものとはなっていない。個人的にプロ野球を見る機会がかつてと比べて減ってしまったこともあって、一シーズンを追わないと評価の出せない選手の話より、一試合勝負の高校野球の観賞にも応用できるような戦術ネタの進展を期待している。この点は著者らも自認しているところで、いずれセイバーメトリクスが発展すればそうした戦術領域にも利用が広がるだろうとのことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーストリア産の電子ノイズ系叙情派アンビエント音楽

2014-05-19 13:17:44 | 音盤ノート
Fennesz "Becs" Editions Mego, 2014.

  エレクトロニカ。フェネスとしては"Black Sea"(Touch, 2008)以来の6年ぶりの新作だが、シングル盤、サントラ、坂本龍一との共作、などがこの間に発表されており、また客演でもよくその名を見かけるので、久々という感覚はない。タイトルはウィーンをハンガリー語で表現したものとのこと。

  すでにスタイルを確立してしまったミュージシャンらしく、路線に大幅な変更はない。前作と比べると、ギターを演奏している様子がはっきり聴こえる曲が多い、ピコピコいうような電子音ノイズではなくスピーカーの音割れのようなノイズ音が中心となってきている、という変化はある。だが、基本的なところは同じ。すなわち、哀愁溢れるギター演奏をエフェクト処理し(たまにシンセ中心の演奏もある)、電子音をかぶせたアンビエント音楽である。

  ノイズミュージックとしては割と「聴きやすい」と言っていいだろう。日本盤は1曲だけボーナストラックが着いているとのこと。僕は輸入盤で入手してしまったので、わざわざ日本盤にすべきかどうかはアドバイスできない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女の子の育児は「ちょっと」むずかしい程度なのだろうか

2014-05-16 09:35:13 | 読書ノート
スティーヴ・ビダルフ『女の子って、ちょっとむずかしい?: いま、知っておきたい5つの成長ステップ・4つのリスク』菅靖彦訳, 草思社, 2014.

  育児書であり、特に女の子の育て方ハウツーである。原書は"Raising Girls"で2013年に発行されている。著者のビダルフについては以前のエントリ(参考)でも言及したが、世間ではどちらかと言えば男性論の人とみなされてきた。

  前半は、女の子の発達段階を0~2歳、2~5歳、5~10歳、10~14歳、14~18歳と分け、順に安心感、好奇心、社交性、自己、自律性を育めとアドバイスする。最終的に親は娘を、周りに流されない、確固とした自己を持った大人に仕立て上げなければならないということのようだ。後半は、性への好奇心、女子のいじめ、ダイエット、ネットとの関わり方、親の関わり方などトピック毎の記述になる。

  筋の通った本である。が、似たような書籍と比べて特別新しいことを述べているわけではない。また、「男の子のエネルギーを制御して生産的な方向に振り向けさせる」という親に多大な労力を要求した『男の子って、どうしてこうなの?』に比べると、娘を育てることは見守ることが中心でずっと楽な仕事のように思えた。そのあたりが、邦題の「ちょっと」に現れている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

打ち込みやミニマル音楽的手法の使用など実験的要素のあるニューエイジ音楽

2014-05-14 23:29:50 | 音盤ノート
Mark Isham "We Begin" ECM, 1987.

  ニューエイジ音楽。マーク・アイシャムは1970年代にArt Lande率いるRubisa Patrolでトランペットを吹いていた(参考)が、今や映画音楽の作曲が彼のキャリアの中心となっている。しかし、あまり印象的なサウンドトラックを残せていないような気がする(作品にも恵まれていない)。一方で、1980年代にWindham HillやECMに録音した作品は、実験的な要素のあるニューエイジ音楽として興味深い。

  編成はアイシャムとアート・ランディのデュオ。それぞれトランペットとピアノを演奏するが、加えて二人ともシンセサイザーと打楽器も弾いている。当然オーバーダブされている。収録曲の多くは、薄めのシンセ音を背景に、エフェクトがかけられたトランペットとピアノがゆったりと奏でられるというもの。退屈な場面や1980年代のシンセ音が安っぽく感じられる場面もあるけれども、打楽器が打ち込みだったり、ループを用いてみたりと音楽的実験もあって救われる。全体としては、そこはかとない抒情と寂寥があって、なんだか遠くを眺めてしまうような音楽となっている。

  ミニマル的な5曲目'Surface And Symbol’が本作のハイライト。個人的にはもう少し瞑想的な演奏をする、もっと言えばドラッギーな感じを出した方が良くなったと感じる。二人とも根が端正なんだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンピュータに関するちょっと古い入門書二冊

2014-05-12 11:42:00 | 読書ノート
Charles Petzold『CODE:コードから見たコンピュータのからくり』永山操訳, 日経BP, 2003.
坂村健『痛快!コンピュータ学』集英社, 1999.

  最初のはコンピュータの仕組みの解説書。著者のチャールズ・ペゾルドは、マイクロソフト系のソフトウェアについての技術系ライターおよびプログラマーである。モールス信号から始めて、積み上げ式で複雑なシステムを作ってゆくというスタイルで書かれている。わかりやすいと言えばわかりやすいが、手続きはけっこう厳密であり、完全に理解してページをめくるまでに(僕のような文系脳では)かなりの時間を食う。教養として知識を得るには内容が盛りだくさんすぎるという印象である。まあ、本格的にエンジニアになりたい人にはかなり役に立つだろう。

  次の本は、仕組みについて少々インターネットについてたくさん、あとはコンピュータの発展にまつわる人物・企業・思想について概観するというもの。2002年に集英社文庫に収録されている。こちらは疲れを感じずにスラスラ読める。というのも、著者は技術者であるが、話の展開が巧みで飽きさせない。また、現時点で「当たった・当たらなかった予言」について考えるのも興である。教養程度に読むものとしてはこちらのほうが向いているだろう。とはいえ、読後の解放感に限っては2進法による計算の面倒くささをとことん追求してみせるペゾルド本が圧倒的である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北欧ジャズ×ECMにしては温もりのある演奏

2014-05-10 08:27:53 | 音盤ノート
Jacob Young "Forever Young" ECM, 2014.

  ジャズ。ノルウェーのギタリスト、ヤコブ・ヤングのECM三作目。編成はヤングの他、Marcin Wasilewski(p), Slawomir Kurkiewicz(b), Michal Miskiewicz(ds)というマルチン・ボシレフスキ・トリオ(参考)丸ごとと、ヤングの初期に共演暦のあるサックス奏者のTrygve Seimという五重奏団。

  オリジナル曲は清涼で美しいし、ソロも端正で悪くないのだが、いまひとつインパクトに欠けるというのがヤングの特徴。今作も含めてECMでの録音諸作は、優れたサイドマンと組むことで地味になりすぎるのを防いでいる。前作前々作(参考)でその役割はトランペットのMathias Eickが担ったが、今作ではボシレフスキが担当。和声部をピアノがやってくれるので、以前よりギターソロのスペースが増した。一方で、ギターによるバッキングの場面が減って、曲の中で消えてしまうことがある。もうちょい自己顕示欲があったほうがいいと思うのだが、この佇まいがあってこその彼の音楽の暖かみなんだろう。

  個人的にはかなり好きな部類に入る作品だが、一般的には良作だが地味という評価が下されるだろう。あと、エレクトリックギターを聴かせる際にところどころ微妙に音が割れているのが気になる。おそらくギターを繋いでいるアンプに問題があると推測されるのだが、狙ってそうしているのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする