「占領下における対話」なんて与太話だ



 

「占領下における対話」の主催者は、中国のウィグル地区やチベットは占領下とはみないのであろうか。「抵抗運動の国際的な動き」と河村雅美さんは述べているが、「国際的」であるならば、チベット、ウィグル地区の抵抗運動も問題にするべきだ。ところが「占領下における対話」を国際会議と称しながら、問題対象にしているのは沖縄、韓国の済州島、グアムだけである。国際どころかアジアの極一部しか問題の対象としていない。
 済州島の反対運動は、「米国艦隊のイージス艦母港となる海軍基地への反対運動」である。主催者は「占領下における対話」をテーマにしているが、イージス艦の母港であることが済州島を占領していることにはならない。「占領下における対話」のテーマとしては不似合いである。
 沖縄は復帰前はアメリカの施政権下にあったが、復帰後は日本の憲法が適用されている。沖縄は日本の一部であり、アメリカの占領下にあるわけではない。グアムは米軍基地内と先住民族チェロモの人々の社会的・経済的格差はあるだろう。しかし、アメリカがグアムを占領しているとは言えない。
 沖縄、済州島、グアムはアメリカが占領していない地域である。アメリカが占領していないのだから「占領下における対話」として沖縄、済州島、グアムを取り上げることは成り立たないテーマをテーマにしている。
 伊波前宜野湾市長は、アメリカ空軍基地の外にはアメリカ本国では安全地帯を設置しているのに、沖縄の普天間基地では設置していないことでアメリカを非難した人である。
 終戦直後はアメリカ軍は普天間基地の周囲を軍用地にして安全地帯を設定したが、軍用地を解放した後に宜野湾市は安全地帯としてあった土地に建物や学校をつくった。安全地帯を潰したのは宜野湾市であるのに、伊波前宜野湾市長は、普天間基地の外に安全地帯がないことで一方的にアメリカを非難した。
 基地の外はアメリカの施政権下にあるのではなく日本の施政権下にある。だから、アメリカの法律が適用されることはない。アメリカ本国の空軍基地はアメリカの法が適用されて安全地帯が設置されていて、普天間基地の場合は日本の法律が適用されていて、日本の法律には安全地帯を設置する義務がないから普天間基地には安全地帯が設置されていない。
 伊波前宜野湾市長が普天間基地に安全地帯を設置したいのなら日本政府に要求するものでありアメリカ政府に要求するのはお門違いである。アメリカ政府にアメリカと同じように普天間基地に安全地帯を設置するように要求するということはアメリカの法律を日本に適用することを要求することになる。アメリカ軍基地を沖縄から撤去することを主張しながらアメリカの法律を持ち込もうとする。矛盾した主張である。
 普天間基地は世界一危険な基地であると訴えたのに、普天間基地に隣接している普天間第二小学校を移転する気は全然ない。子供の人権を守る気はさらさらないのだ。

 新崎氏はシンポジウムで「沖縄の民衆の闘いと東アジアとの連帯」を語るようだが、沖縄の民衆とはなんだろう。沖縄の政治運動を牽引したのは共産主義、社会主義の政治家たちであり、運動の中心は教師や公務員であった。復帰運動の根っこは日本国家の施政権下に入る要求の運動であり、民主主義、反戦運動とは微妙なずれがある。だから、「沖縄の民衆の闘い」が「東アジアとの連帯」を実現することは沖縄の復帰運動とアジアの民主化運動とは闘いの本質が違うので実現は不可能だろう。

 なぜ、遠い1960年代のことを問題にするのだ。過去から学ぶことはいいが、現在も厳しい現実が突きつけられている。沖縄、日本、韓国、グアム、アメリカだけがアジアではないし世界ではない。アジアを問題にするなら、沖縄、日本、韓国、グアム、アメリカに中国、ウィグル、チベット、北朝鮮、台湾、フィリピンを加えて、国々の人権、軍事、政治、経済を問題するべきだ。
 アンチアメリカに凝り固まったシンポジウムは与太話に等しい。
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