八重山の教科書問題の裏は政治争い




 新聞は今日も八重山の教科書選択問題を大きく扱っている。沖教祖八重山支部は、「新しい歴史教科書をつくる会」や「教科書改善の会」の自由社、育鵬社版教科書か採択された場合、高校入試で生徒が不利になると指摘し、教科書の誤りなどをまとめた独自の冊子を作成しようとしている。

 高校入試で教科書によって不利になるようなことがあるのだろうか。もしそのようなことがあれば教科書の差別である。文部省が認可した教科書を使用するならば、どの教科書を使っても高校入試が不利になるような試験をつくってはこいけない。高校入試を作成するものは文部省が認定した教科書全てを調査し、使用した教科書の有利不利がない平等な試験をつくるのが義務である。
 県教職員組合八重山支部の上原執行委員長は、「高校入試は各地区で使っている教科書の最大公約数で作成されるので、7社の中でも特異な2社の教科書を使った場合、不利になる可能性がある」と述べている。「教科書の最大公約数で作成される」のであれば、試験作成者の資格はない。文部省が認定した教科書を無視するような試験をつくっていけない。

 体育の男性教員は「(集団自決の記述について)おじいおばあの言っていることと教科書に書いてあることが違うと生徒はどう感じるか。『おじいおばあが嘘を言っている』と思わせないためにも、正しい歴史を教えられる教科書にしてほしい」と述べている。
 集団自決が日本軍の責任であると主張するようになったのは祖国復帰をしたあとであり、復帰前は渡嘉敷で集団自決があったらしいという噂が広まったが、集団自決が日本軍の責任であるとはマスコミも沖教祖も復帰前は公言をしなかった。  
集団自決が日本軍の責任であると主張するようになったのは祖国復帰後の沖教祖やマスコミや知識人てあり、沖縄のおじいおばあではない。沖縄のおじいおばあは「先生や偉い人たちが集団自決は日本軍のせいと言うからそうだはずよ」と思っているだけだ。
体育の男性教員の勘違いはひどい。
 
 教科書や新聞で掲載する「集団自決」は渡嘉敷島で起こった「集団自決」を指している。読谷村でも集団自決があったが、読谷村の場合は自決するかしないかで村民の意見が分かれ、結局は集団自決をした。
 伊江島では、日本軍と一緒に島の婦女子がアメリカ軍と戦って死んだ歴史がある。「にっこり笑って」戦場に行った女学生のことを涙ながらに話した女性もいた。
 日本、日本軍に対する沖縄の人々の思いは複雑であり、集団自決も単純に日本軍のせいだと断定するのは間違いである。集団自決の原因は複雑であり、歴史家による客観的な調査を待たなければならない。
 



 教科書選択問題は、16年ぶりに革新市長から自民党市長に代わったことが原因である。沖教祖は革新派であり、革新政治家が市長の時は教科書の選択は沖教祖の意のままであった。
 沖教祖と政治的に対立する自民党系の中山新石垣市長は、石垣市教育長に玉津氏を任命して、教員による教科書の順位付けを廃止して、教科書選択から沖教祖を排除することを画策した。
  集団自決問題は教科書全体からみれば非常に小さな問題である。授業を受ける生徒にとってほとんど関係のない問題である。
八重山教科書選択の問題は教科書の選択方法の対立ではない。生徒にとっては関係のない問題で、いわゆる、、革新系沖教祖と自民党系中山市長との政治的な勢力争いといえよう。
  



 政治的な勢力争いだから、革新系の県内7団体も八重山に圧力をかける。新聞も「沖縄戦歪めぬ選定訴え」と大々的に掲載している。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

酔いどれの・・・アート俳句 六百十四~六百十六句




六百十五句





六百十六句





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )