カダフィ氏出身都市、反体制派が挟撃態勢

 【トリポリ=佐藤昌宏】リビアの反体制派は28日、カダフィ政権残党に対する掃討作戦を続け、カダフィ氏の出身地でカダフィ派が掌握する中部の都市シルテを東西から挟撃する態勢を整えた。

 AFP通信によると、反体制派はシルテの部族に投降を求めて交渉しているが、決裂した場合は市内への進軍に踏み切る構えだ。

 反体制派の部隊は28日、シルテの東方約100キロの都市ビンジャワドを制圧したという。シルテ西方では約30キロの位置まで迫っており、シルテ包囲網が狭まっている。北大西洋条約機構(NATO)指揮下の多国籍軍も28日まで3日連続でシルテを空爆した。

 反体制派が首都トリポリを制圧した後、カダフィ氏や親族の行方が分かっておらず、シルテに潜伏している可能性も指摘されている。

(2011年8月29日12時07分 読売新聞)


 早くカダフィを捕らえて内戦を終わらせてほしい。カダフィ体制は崩れたのだから反体制派という呼び方はよくない。新体制とか革命軍とか、リビアを制した組織の呼び方がいい。

 カタフィ側の部族や部隊は徹底して叩き、新政権に反対する部族も叩いたほうがいい。リビアを民主主義国家にするには地方の部族支配を消滅させる必要がある。

 チュニジア、エジプトに続きリビアも民主主義国家になれば、中東・アフリカの民主主義はどんどん広がるだろう。
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石垣・与那国「違法だ」





 沖縄タイムスでは、石垣・与那国「違法だ」という大きな見出しの記事を掲載している。見出しを見ると、石垣・与那国はどんな違法行為をしたのだろうと思うが、生地を読んでみると、驚いたことに、どこにも石垣・与那国が違法行為をしたという文章はない。内容も竹富町・石垣市・与那国町の三教育長の意見を掲載しているだけだ。

 おもしろいことに、見出しとは逆に、石垣教育長は竹富町が違法な決定をしたと主張しているし、竹富町の教育長は「多数決なら先が見えている。ごく一部の多数決で、教育を左右していいのか」と民主主義の基本である多数決の原理を否定するような意見を述べている。

 見出しを、武富「違法」とするほうが記事の内容と一致する。
石垣・与那国「違法だ」と見出しにすることはできない。
タイムス社の個人的な感情で、石垣・与那国「違法だ」という見出しにしたのは明らかだ。タイムスの見出しはおかしい。






 新報は「育鵬社へ投票事前確認」をトップニュースにしている。「与那国町教育長と採択教委玉津会長に伝達」とあたかも与那国町教育長と玉津会長が裏交渉をしたようなイメージを与えているが、記事の内容はなんの問題もない。それに事前に確認したのは武富教育長も同じで、彼は竹富町の委員らと自由社版や育鵬社版には投票しないことを確認している。このほうが明確な事前確認である。

 新報は、竹富教育長は「個別教科書への投票で意思統一はしなかったという」と書いてあるが、竹富町の協議会の全委員が調査員が一番に順位付けした東京書籍版を選んでいる。竹富町の協議会の全委員は「意思統一」はしなくても調査員が1位に順位付けした教科書を選択するという暗黙の掟に従ったのであり、協議会の形骸化を露わにしている。




  

 「真珠湾の大勝利は喚起と興奮をもたらすものだった」は事実である。この歓喜が結果として悲惨な沖縄戦、長崎・広島の原爆投下、東京大空襲を招き、日本は敗戦するのである。なぜ、日本国民は「真珠湾の大勝利は喚起し興奮した」のか、原因は軍国主義による教育、マスコミによる戦争高揚や、情報統制や言論弾圧などによる戦争批判の封じ込め、民主主義思想への弾圧などであり、軍国主義や戦争の実体を学習するためにも、「真珠湾の大勝利は喚起と興奮をもたらすものだった」の事実を教えるべきである。

 30年以上教団に立つ教諭は、「経験が浅い若い先生たちの中には、問題点が分からないまま、教科書や指導書をうのみにする人もいるかもしれない。心配している」と述べている。それはベテラン教諭のうぬぼれだ。歴史も新事実が発見されたり、解釈が変わったりする。新しい先生は新しい歴史観で教えるだろう。
 江戸時代が「平和で安定した社会」であったのは事実だ。江戸時代には意外なことではあるが農民一揆は少なかったらしい。打ちこわしは有名で当時の打ちこわしの絵が教科書に掲載されたりするが、実際の打ちこわしは規模は小さく、パフォーマンスに近い行為であったということを最近雑誌で読んだことがある。

 農民は武器を隠し持っていて七人の侍のように武士に助けを乞うこともなかったらしい。また、盗賊団とは寺社を通じて交渉して、盗賊団が村を襲うのを防いだらしい。

 世界の革命は貧困が原因で農民や市民が決起するが、日本の明治維新は坂本竜馬など下級武士が立ち上がった。江戸幕府を滅ぼしたのは貧しい農民や町民ではなく、下級武士と商人だったのだ。
チュニジア、エジプト、そしてリビアのような市民が蜂起した民主主義革命と明治維新は性質が違う。日本は自然に恵まれていて、農民や町民が江戸幕府を倒そうと立ち上がるほどの日本全体が飢餓状態になることはなかったらしい。農民や町民が蜂起するほどの武士階級による過酷な弾圧もなかったらしい。

 30年以上教団に立つ教諭の、経験が浅い若い先生たちへの危惧はよけいなお世話だ。若い先生は若い先生なりに勉強して教えればいい。若い先生もいつかはベテランになる。
 30年以上教団に立つ教諭が指導書を使わないと断言するのは教科書つくった専門家に対する敬意が足りない。一介の教師が指導書を蔑視するのはあってはならないことだ。教科書にも指導書にも敬意を払うべきであり、その上で自分なりの教えをするべきだ。

 50代の女性教諭は、「学校票」という制度がある時は「同僚たちとこぞって教科書の展示会に足を運び、各社を見比べていた」と述べているが、しかし、教科書の選択において、日教組の圧力がなく、先生が自由に教科書を選ぶことができたのか疑問だ。「学校票」は日教組によって決めた教科書に票を入れた可能性が高い。現場の教師が自由に教科書を選択することはできなかっただろう。

 学校の先生が自由に討論して教科書を選択するのはいい方法だと思う。しかし、政府も日教組も先生が自由に教科書を選ぶことを嫌う。政府は中央集権主義であり、日教組は子供に日教組が正しいと思う歴史や公民を教えたいたからだ。

 政府の思惑、保守系・革新系の思惑、右翼の思惑、沖教祖・日教組の思惑、沖縄のマスコミの思惑がぶつかり、「子供のために」という名目の大人の政争の場になっているのが歴史・公民の教科書問題である。


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