Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

議員年金の行先は・・・?

2005-10-23 22:42:57 | インポート
我国各界より、そのあり方につき批判の多い国会議員互助年金=議員年金が「速やかに廃止」の方向へ向け動き出した様に見える。
第1野党の民主党は既に来春廃止の方向を強く打ち出しているが、それに与党の自由民主党+公明党が同調した格好だ。
従来も「段階的に廃止」の線では一致とていた議員年金。一般国民向けの国民年金や厚生年金よりずっと優遇されているのはご存知の通り。保険加入期間も国年の25年に比べ10年と短く、受け取れる年金は国年の数倍にはなると言う。
税金による国庫負担割合も7割を超え、国年の1/3よりずっと多い。公務員共済年金共々、不公平感が出るのは当然だろう。
勿論議員諸氏もさるもの、既に受給している各位は危機感を募らせ「これからは資産家しか政治家を志せなくなる」などと尤もらしい理由をつけて反発している模様。
こうなったのは国民各位の無関心にも問題があろう。
あるTV番組を見て判った事だが戦後、特に高度成長の頃、国民の政治的無関心が進行し、この様子を見た議員達が所謂「お手盛り」にて特権的な年金制度を作り上げてしまったと言うのが実態の様だ。
ご存知の様に、政治家も公務員も、一度手にした利権は容易に放出しようとしないのは事実。
ただ、高度経済成長期なら通った利権の論理も昨今の低成長、そして続く少子高齢化の前には最早説得力を失ったのも事実だろう。
何十年と言う長いスパンで考えれば、年金制度はいずれ共通一元化を余儀なくされよう。
ただそれに至るまでには様々な障壁も多く、曲折が予想される。この問題につき与野党がどう折り合いをつけるか、又小泉内閣総理大臣がどの様な決断に出るか、我々も注意して見守る必要がある。DSCN1476


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靖国へ・・・

2005-10-23 21:39:00 | インポート
昨日、久し振りで東京にて催された写真仲間の会合に出席する機会を得ました。
普段中々会う事のできない同好の士の顔を見る事もでき、皆元気そうで何よりでした。
会合の場所は千代田区神田小川町辺りの、とある中国料理店。ここから九段坂までは、丁度良い散策コースです。
この会合に先立ち、我が生涯で初めて靖国神社参拝を果しました。
実は私は、今からほぼ四半世紀前の学生時代を関東にて過ごし、通っていた大學も神田界隈にありました。同社よりは至近距離、その気になれば参拝の機会は多く、我が母も是非1度と申していたのですが、当時の大学内の風潮はまだ左派勢力の指向が強く、その影響もあって参拝を躊躇していた所があったのです。
時は移ろい、世の風潮も変化しました。
些か遅きに失した嫌いはありますが、機が熟したとの手前勝手な解釈と判断をもって、同社を訪れた次第。
小泉内閣総理大臣も訪れた、秋の例大祭は既に終わった様ですが、それでもかなりの方々が訪れていました。拝殿一礼の後、多くの戦史資料が眠る遊就館のロビーを拝見。本館の見学は時間不足もあって今回は果せませんでしたが、次回必ず参ろうと思います。
又今回の目的の1つは、今年建立された法学者R・B・パール博士の顕彰碑を拝見する事でした。
今夏の特集日記でも触れましたが、終戦直後に我国の戦争責任を裁いた極東国際軍事裁判は、その法的公正面に大きな疑義があるとされ、同博士はその指弾と被告たる旧大日本帝国指導層7名の減刑に命懸けの貢献をなされたインドの国際法の権威であらせられ、その後も国際連合に於いて長く国際法委員としてご活躍になった由。
靖国神社はご存知の様に明治天皇のご下命により、政府が建立した経緯から所謂「官軍」と呼ばれる政府側の犠牲者のみが合祀される実態が長く続いています。
ただ、賊軍であっても例えば西郷隆盛公の様に、結果的に我国の発展と近代化に大きな貢献を果した人物も多く、又戦史にあっては例えば原爆犠牲者の様な、間接的に国事に倒れた方々をも祀る道が模索されても良いのではとも思います。更に、極東国際軍事裁判の被告であった所謂A級戦争犯罪人合祀の問題については、その合理性につき、世界が理解できる様言葉を尽くして説明する社会的責務があるのではと思います。
かつて内閣総理大臣であった、中曽根康弘さんの「昔の神社は今よりもっと大らかだったと思う」とのお言葉が示す様に、同社ももう少し祀る対象についての間口を広げて良いのではとも思います。
戦没及び戦災犠牲各位の表敬は、日本人の習俗や国民性が大きく反映されるべきだと私も思います。その為にもこうした取り組みを心から望みたいものです。
戦地へお越しになった、特に特別攻撃隊各位の「死んだら、靖国で合おう」のお言葉は今も我が心に重く響き続けているのですから・・・。*(日本)*

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あー鬱陶しい!

2005-10-20 22:43:22 | 日記・エッセイ・コラム
先日、9月下旬に例年よりやや遅れて実施された定期健康診断の結果が告知された。
以前にもあったのだが、心電図に異常が見つかった由。「右脚ブロック、ブルガダ症候群の可能性有」と言う説明で、今日は二次健診にて明朝まで24時間心電図を着用する破目に・・・。
今夜は測定に万全を期す為に入浴は不可(いやー、夏でなくて良かったよ!)。過度の運動と飲酒もNGで、勿体なくも晴天ながら通院以外はほぼ終日在宅と相成った。
まあ鬱陶しいのは事実だが、心臓に関わる部位だけに検査には万全を期すべきであるのも事実。
ここはまあ後々の為と割り切って、明朝まで神妙にする事としましょう。DSCN1286


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進むか?「脱石油」

2005-10-20 21:55:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

東京モーター・ショウが千葉・幕張にて開幕しましたね。とりあえず今日は報道陣向けで、一般公開は明日からの様ですが、各メーカーが未来を見据えた省燃費の低公害車を送り込んでいる様です。
先月成功裡に閉幕した「愛・地球博」でも公開された燃料電池車、以外に長い歴史を持つ電気自動車、そして「今、そこにある技」トヨタが先頭になり大増産中のガソリン+電気ハイブリッド車・・・等々。
日産のシンボルカー「GT-R」の次期試作車など高性能車も姿を見せている様ですが、やはり主流は確実に省燃費・低公害へと向かっている様に思われます。
思えば今年は、石油製品の高騰に泣かされた年でした。
原油値上げのあおりで自動車燃料のガソリンや軽油、暖房用の灯油、そして産業用の重油に至るまでことごとく影響を受け、昨年以前よりほぼ3割は上昇している模様。
自動車燃料の高騰は、物流コストにはね返り、我々の日常生活にも影を落とします。
又心配されるのが暖房用灯油の高騰でしょう。これから需要期を迎える北日本では、大いに灯油価格の動向は心配な所ではないでしょうか。
その暖房の事で、今日日中のTVにて興味深い番組が放映されていました。
主に北日本にて、木材の端材や枝打ちなどで生じる間伐材を細かく砕いてできた「ペレット」と呼ばれる用材を暖房に用いる所が増えている由です。
このアイデアは勿論以前からあったのですが、石油類が安価であったその頃は価格面で折り合わず、関心は低かったのですが、ここへ来て状況は変わり、ユーザーも増えて生産量も上向いている由です。
多くの需要が見込め、増産が軌道に乗れば更なる価格引下げも叶う様であり、加えて排気は灯油より有害成分が少なく、こうした森林資源を適切に活かした代替燃料の開発は大いに進めてもらいたい所。
勿論太陽熱や風力の活用、そして前述の低公害自動車の普及も併せて推進する必要がありますね。これからは余り石油資源を当てにしないエネルギー体系を目指す事が大切でしょう。
Co2削減の切り札としては以前より原子力が挙げられていますが、これはあくまで高い安全性の確保が絶対の条件でしょう。
最後に、毎日大量に発生し、精製すればディーゼル燃料に再利用できると言われる廃食油の転活用も是非願いたいものです。*(地球)*
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頑張れ!路面電車801号

2005-10-15 01:05:00 | インポート
昨10/14は鉄道記念日でした。
1872=明治5年のこの日、当時「陸蒸気」と呼ばれた我国初の鉄道が東京新橋と横浜間を結び、公式に開通しています。
今回はこの鉄道に関する雑感を記して参ります。
今年、鉄道にまつわる事共も又多かったです。
最も遺憾だったのが、4月のJR福知山線の大列車事故。実に100名を超える犠牲を生じ、平成年間に入ってからは最悪の惨事となってしまいました。輸送密度の過密化による安全策への悪影響が一因でした。その他にも、同様の事由による不幸な踏切事故が頻発し、抜本的な改善策が求められています。
安全問題から離れた所では、やはり今春、岐阜市街とその周辺を走った路面電車の一挙廃止が挙げられ、誠に残念と申すより遺憾な事でありました。
路面電車は近年、自動車中心のモータリゼーションの行き詰まりや都市部の環境改善の見地より積極的に再評価されつつある中での消滅であり、万難を排してでも保全されるべきだったと今でも強く思います。
所で岐阜での使命を終えた車輌たちのその後に少し触れましょう。
遠く大正時代より活躍した旧世代の車輌はその多くが引退、一部は保存され余生を送る様です。
又比較的新しく余命のあるグループは福井県と我が故郷の隣街、豊橋へと引越し、既に一部が新天地にて稼動し始めています。
豊橋へ移ったグループの多くは広告入りの所謂ラッピング塗装へと改装されたのですが、その中に唯1車、岐阜の時分と変わらぬ外装で奮闘している車輌を見かけました。
この車輌は801号車と言い、岐阜の路面電車最後の新車でした。
生まれは何と、私と同郷の豊川市。ここに拠点を置く鉄道車両と重機の名門、日本車輌製造豊川蕨製作所にて2000=平成12年夏、計3車が落成しています。
実に我が甥より2年も年少、当初の活躍場所を僅か5年弱で失った事になります。
しかしそのままでは終わらない所に同車の執念を見る思いが致します。
丁度所謂豊橋市内線、正式には豊橋鉄道東田本線では、かつて名古屋を走った旧世代の電車が引退の時期を迎えていました。
或いは「災い転じて福」なのでしょうか。
801号車は岐阜市内線にいた同僚と共に、先代と入れ違いに豊橋入り。唯一岐阜当時のままの外装で走る姿に、ある意味での復讐と反撃に立ち上がる姿勢が感じられ、頼もしく清清しい風情を感じたのは私だけではないと思います。
「不当な攻撃には、ただ闘うのみ」この言葉の良き実践者として、末永く新天地を走り続けて欲しいと今は願っております。
郊外でも通用する高速性能は、残念ながら当分は封印となりますが、いつの日かそちらの方の出番も期待する事とします。
P.S この電車の影像は、当写真帖新作「附録~国靖しとは・・」の前半に載せております。又、当ブログにも若干の影像があると共に、昨年と今春の記録「附録~岐路に立つ」と「惜春~又いつか」も当分の間公開致します。*(新幹線)*

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