Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

靖国へ・・・

2005-10-23 21:39:00 | インポート
昨日、久し振りで東京にて催された写真仲間の会合に出席する機会を得ました。
普段中々会う事のできない同好の士の顔を見る事もでき、皆元気そうで何よりでした。
会合の場所は千代田区神田小川町辺りの、とある中国料理店。ここから九段坂までは、丁度良い散策コースです。
この会合に先立ち、我が生涯で初めて靖国神社参拝を果しました。
実は私は、今からほぼ四半世紀前の学生時代を関東にて過ごし、通っていた大學も神田界隈にありました。同社よりは至近距離、その気になれば参拝の機会は多く、我が母も是非1度と申していたのですが、当時の大学内の風潮はまだ左派勢力の指向が強く、その影響もあって参拝を躊躇していた所があったのです。
時は移ろい、世の風潮も変化しました。
些か遅きに失した嫌いはありますが、機が熟したとの手前勝手な解釈と判断をもって、同社を訪れた次第。
小泉内閣総理大臣も訪れた、秋の例大祭は既に終わった様ですが、それでもかなりの方々が訪れていました。拝殿一礼の後、多くの戦史資料が眠る遊就館のロビーを拝見。本館の見学は時間不足もあって今回は果せませんでしたが、次回必ず参ろうと思います。
又今回の目的の1つは、今年建立された法学者R・B・パール博士の顕彰碑を拝見する事でした。
今夏の特集日記でも触れましたが、終戦直後に我国の戦争責任を裁いた極東国際軍事裁判は、その法的公正面に大きな疑義があるとされ、同博士はその指弾と被告たる旧大日本帝国指導層7名の減刑に命懸けの貢献をなされたインドの国際法の権威であらせられ、その後も国際連合に於いて長く国際法委員としてご活躍になった由。
靖国神社はご存知の様に明治天皇のご下命により、政府が建立した経緯から所謂「官軍」と呼ばれる政府側の犠牲者のみが合祀される実態が長く続いています。
ただ、賊軍であっても例えば西郷隆盛公の様に、結果的に我国の発展と近代化に大きな貢献を果した人物も多く、又戦史にあっては例えば原爆犠牲者の様な、間接的に国事に倒れた方々をも祀る道が模索されても良いのではとも思います。更に、極東国際軍事裁判の被告であった所謂A級戦争犯罪人合祀の問題については、その合理性につき、世界が理解できる様言葉を尽くして説明する社会的責務があるのではと思います。
かつて内閣総理大臣であった、中曽根康弘さんの「昔の神社は今よりもっと大らかだったと思う」とのお言葉が示す様に、同社ももう少し祀る対象についての間口を広げて良いのではとも思います。
戦没及び戦災犠牲各位の表敬は、日本人の習俗や国民性が大きく反映されるべきだと私も思います。その為にもこうした取り組みを心から望みたいものです。
戦地へお越しになった、特に特別攻撃隊各位の「死んだら、靖国で合おう」のお言葉は今も我が心に重く響き続けているのですから・・・。*(日本)*

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