開通したばかりの当地 新東名高速道路で、大変遺憾な事故が発生した。昨未明、制動系の不調で路肩停止中の長距離バスに、続行の大型トラックが追突、点検中の乗務員二名が、バス車体と側壁に挟まれ落命された。まずは一言の弔意と共に、事故原因の解明が待たれる所だ。当該の大型トラック乗務員は、業務上過失致死傷容疑で逮捕問責される事となったが、勤務先を含め、過労乗務の疑いがないか、当該車両に事故などを記録するドライヴ・レコーダーが備えられておれば、その解析を急ぎ、事故の真相を明らかにして頂きたい。そうした事の積み重ねが、悲劇の再発を防ぐ手立ての一つずつになって行くのだから。
開会中の臨時国会は、豊洲新市場や、2020=平成32年の次回東京五輪及び障害五輪招致問題に揺れる、東京都議会に比べても、余り危機感が感じられないのも又遺憾。最大野党 民進党は、相変わらず対与党向け上辺だけの小事追及に狂奔を続け、蓮舫新代表の掲げた「すぐにでも政権を担える対案を打ち出せる党」のレベルには程遠い。真の意味で「祖国日本を想う」危機感が、党員間に圧倒的に不足している為に、目標に掲げた事共が何も打ち出せず、形こそ違え、冒頭の大事故の様なあり様に陥っているのではないか。答弁に立つ、与党閣僚をわざと窮地に追い込む様な、言論テロまがいの粗雑な質疑では、傍聴する国民市民は誰も続いては来ない事だろう。
前置きが長くなったが、本題へ。今年も、各界の国際的な功労者・団体に贈られる、ノーベル賞の話題が上る時季になって来た。物理学賞をメインに、過去二年連続で受賞を続ける日本人有識者とその団体の受賞が、今年はどうなるか?注目される所ではあるのだが、拙者 一つだけ疑問と苦言を申し上げておきたい。それは、今年の・・と言うか、今年も、平和賞候補に、「(日本国憲法)九条の会」が入っている事である。
「日本国憲法第九条をノーベル賞候補に」推す動きは、確か今世紀に入ってから、ある民間人女性の間から始まったと言うのを聞いている。
ノーベル賞の創始者 爆薬開発の王者 A・ノーベル博士の遺言によれば、ノーベル平和賞は「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催推進のために、最大最善の貢献をした、人物・団体に授与すべき」となっている由。この事から、例えば近年、パキスタン国にて、対立勢力の攻撃により瀕死の重傷を負いながらも、祖国子女の教育普及に立ち上がった女子学生 M・ユスフザイさんの様な年少者にも、特段の尽力と貢献があれば、受賞の機会に恵まれるのである。尤も最近は、政治的情勢や、受賞後の影響を期待したメッセージを発信する為に、受賞の対象となる事もあるらしい。そして、その事が、最近多い政治的物議の原因となっているのではないか。
想えば「九条の会」もその当該と見て良いだろう。英国には、ノーベル賞の受賞を標的にする予想業者ブック・メーカーが多数存在するとかだが、多くの予想は、文学賞上位に、我国の作家 村上春樹さん、そして平和賞は、あろう事か「九条の会」がかなり上位にランクされていると言う。聞いた拙者、咄嗟に「何かがおかしい」と思わざるを得なかった。
不審点その① 当初、民間レベルでの発案は、日本国憲法第九条と言う条文そのものであり「九条の会」なる団体は、対象ではなかったはずだ。それがどうか。直近の情報では「九条の会」が候補だと言う。この辺りの、条文から団体へ、受賞候補がすり替えられた経緯が、何とも不明朗だと思うがどうか。
不審点その② 「九条の会」は、果たして国際レベルにて、ノーベル博士の予言の想いに則った、大いなる平和的貢献をしたと言えるのだろうか。拙者は「否」だと思う。同会の活動は、あくまでも国内向けの、護憲原理主義的情宣が殆どであり、国際的に通用する価値ある行動ではあり得ない。むしろ「日本の常識は、世界の非常識」を再認識させる様な所があり、そうした所への音痴ぶりを、恥かしげもなく晒し続けている様にも見受けられるのだ。
不審点その③ 百歩譲って「九条の会」が、曲がりなりにも平和的貢献をしている様に見られる言動を、一定肯定するにしてもだ。その軍事削減廃止要求は、圧倒的に対米合衆国に向けたもの。同会にとって、親近的な所たる中国大陸や、半島北部向けの、勇気ある対峙の姿勢がいつまで経っても見られないのはどう言う了見か。同会は、安倍現政権が主になって進める、平和安保関連法制も真っ向から否定しているが、その背景にあるのは、決して「公正な平和の態度」ではない事共だろう(不審点 ここまで)。
中朝に媚びた、左派容共特亜勢力の芳しからぬ影が、常に透けて見えるではないか。核実験にしても、欧米が実行すれば、目くじら立てて怒るふりをする癖に、中朝のそれへの抗議は外務省任せ。自らは、いつも黙秘を決め込んでいるのが常ではないか。この事は、亡き宗教家 谷口雅春さんが大変嘆かれていた由だが、今回の受賞候補の判明で、その真意が見えて来たと心得ている所。もしも万一、受賞が実現した暁には、決して少額ではないノーベル賞の賞金は、その多くが左派容共特亜勢力の政治資金や、スパイまがいの工作資金に消える事は目に見えている。言わば「中立な平和勢力を装った、左巻き政治勢力」と見て良いこの連中が、ノーベル賞受賞者に相応しくないのは明らかである。
今年のノーベル平和賞受賞者は、今週中に判明の見通しと聞くが、万一にも「九条の会」が受賞する様な事態ともなれば、それは我々日本人は、どこかを疑ってみる必要があろう。同会の連中は、日本国憲法第九条が、日米安保条約に基づく同盟関係と不可分の「運命共同体」であると言う、基本事項さえ理解していない。加えて憲法学者や弁護士の中には、未だに、死語となったはずの「非武装中立」観念を振り回し続けている夢遊病者が複数ある事も、忘れてはならないだろう。「九条の会」には、健常な常識を有さない、異常な思考を有する向きが何人か在る様だ。そして、その一定数は、所謂極左過激勢力に属する輩である。今回画像は、過日新潟磐越の、福島県との境近くで捉えた、蒸機の頑張りの様子。これから気温が下がれば、排気の煙が目立って、勇壮さが増すのは、応えられない魅力ですな。
開会中の臨時国会は、豊洲新市場や、2020=平成32年の次回東京五輪及び障害五輪招致問題に揺れる、東京都議会に比べても、余り危機感が感じられないのも又遺憾。最大野党 民進党は、相変わらず対与党向け上辺だけの小事追及に狂奔を続け、蓮舫新代表の掲げた「すぐにでも政権を担える対案を打ち出せる党」のレベルには程遠い。真の意味で「祖国日本を想う」危機感が、党員間に圧倒的に不足している為に、目標に掲げた事共が何も打ち出せず、形こそ違え、冒頭の大事故の様なあり様に陥っているのではないか。答弁に立つ、与党閣僚をわざと窮地に追い込む様な、言論テロまがいの粗雑な質疑では、傍聴する国民市民は誰も続いては来ない事だろう。
前置きが長くなったが、本題へ。今年も、各界の国際的な功労者・団体に贈られる、ノーベル賞の話題が上る時季になって来た。物理学賞をメインに、過去二年連続で受賞を続ける日本人有識者とその団体の受賞が、今年はどうなるか?注目される所ではあるのだが、拙者 一つだけ疑問と苦言を申し上げておきたい。それは、今年の・・と言うか、今年も、平和賞候補に、「(日本国憲法)九条の会」が入っている事である。
「日本国憲法第九条をノーベル賞候補に」推す動きは、確か今世紀に入ってから、ある民間人女性の間から始まったと言うのを聞いている。
ノーベル賞の創始者 爆薬開発の王者 A・ノーベル博士の遺言によれば、ノーベル平和賞は「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催推進のために、最大最善の貢献をした、人物・団体に授与すべき」となっている由。この事から、例えば近年、パキスタン国にて、対立勢力の攻撃により瀕死の重傷を負いながらも、祖国子女の教育普及に立ち上がった女子学生 M・ユスフザイさんの様な年少者にも、特段の尽力と貢献があれば、受賞の機会に恵まれるのである。尤も最近は、政治的情勢や、受賞後の影響を期待したメッセージを発信する為に、受賞の対象となる事もあるらしい。そして、その事が、最近多い政治的物議の原因となっているのではないか。
想えば「九条の会」もその当該と見て良いだろう。英国には、ノーベル賞の受賞を標的にする予想業者ブック・メーカーが多数存在するとかだが、多くの予想は、文学賞上位に、我国の作家 村上春樹さん、そして平和賞は、あろう事か「九条の会」がかなり上位にランクされていると言う。聞いた拙者、咄嗟に「何かがおかしい」と思わざるを得なかった。
不審点その① 当初、民間レベルでの発案は、日本国憲法第九条と言う条文そのものであり「九条の会」なる団体は、対象ではなかったはずだ。それがどうか。直近の情報では「九条の会」が候補だと言う。この辺りの、条文から団体へ、受賞候補がすり替えられた経緯が、何とも不明朗だと思うがどうか。
不審点その② 「九条の会」は、果たして国際レベルにて、ノーベル博士の予言の想いに則った、大いなる平和的貢献をしたと言えるのだろうか。拙者は「否」だと思う。同会の活動は、あくまでも国内向けの、護憲原理主義的情宣が殆どであり、国際的に通用する価値ある行動ではあり得ない。むしろ「日本の常識は、世界の非常識」を再認識させる様な所があり、そうした所への音痴ぶりを、恥かしげもなく晒し続けている様にも見受けられるのだ。
不審点その③ 百歩譲って「九条の会」が、曲がりなりにも平和的貢献をしている様に見られる言動を、一定肯定するにしてもだ。その軍事削減廃止要求は、圧倒的に対米合衆国に向けたもの。同会にとって、親近的な所たる中国大陸や、半島北部向けの、勇気ある対峙の姿勢がいつまで経っても見られないのはどう言う了見か。同会は、安倍現政権が主になって進める、平和安保関連法制も真っ向から否定しているが、その背景にあるのは、決して「公正な平和の態度」ではない事共だろう(不審点 ここまで)。
中朝に媚びた、左派容共特亜勢力の芳しからぬ影が、常に透けて見えるではないか。核実験にしても、欧米が実行すれば、目くじら立てて怒るふりをする癖に、中朝のそれへの抗議は外務省任せ。自らは、いつも黙秘を決め込んでいるのが常ではないか。この事は、亡き宗教家 谷口雅春さんが大変嘆かれていた由だが、今回の受賞候補の判明で、その真意が見えて来たと心得ている所。もしも万一、受賞が実現した暁には、決して少額ではないノーベル賞の賞金は、その多くが左派容共特亜勢力の政治資金や、スパイまがいの工作資金に消える事は目に見えている。言わば「中立な平和勢力を装った、左巻き政治勢力」と見て良いこの連中が、ノーベル賞受賞者に相応しくないのは明らかである。
今年のノーベル平和賞受賞者は、今週中に判明の見通しと聞くが、万一にも「九条の会」が受賞する様な事態ともなれば、それは我々日本人は、どこかを疑ってみる必要があろう。同会の連中は、日本国憲法第九条が、日米安保条約に基づく同盟関係と不可分の「運命共同体」であると言う、基本事項さえ理解していない。加えて憲法学者や弁護士の中には、未だに、死語となったはずの「非武装中立」観念を振り回し続けている夢遊病者が複数ある事も、忘れてはならないだろう。「九条の会」には、健常な常識を有さない、異常な思考を有する向きが何人か在る様だ。そして、その一定数は、所謂極左過激勢力に属する輩である。今回画像は、過日新潟磐越の、福島県との境近くで捉えた、蒸機の頑張りの様子。これから気温が下がれば、排気の煙が目立って、勇壮さが増すのは、応えられない魅力ですな。