Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

戦後民主主義は、絶対の正義か

2016-05-06 19:18:00 | 国際・政治

コナサン、ミンバンワ!大型連休も、世間一般では昨日まで。今日午後からは五月雨に見舞われた。

これからの時季は、晴れれば快適なるも、梅雨へ向けて徐々にだが雨天の日も増えて来よう。又、それが本来なら恵みの雨となって、稲を初めとする農産物の実りにも貢献するはずだが、残念ながら大地震に見舞われた九州・熊本周辺の被災地には通用しない所も多くある様だ。願わくば、余震の試練を乗り越え、梅雨までに復興の糸口だけでも掴んで下されば、との想いにも駆られる所であります。

さてさて、戦後70余年が経ち、恵みの雨同様、本来なら終戦後の我国の礎となり、末永く我国の平和と繁栄に寄与するはずだった戦後民主主義とその申し子たる戦後レジームだが、肝心な事共を蛮勇を振るって実行しなかった為に、と言うより理由をつけて怠り続けて来た為に、大いなる弊害に苦しむ結果となっているのが現実と言えはしまいか。その肝心な事共とは、時代の変化に応じての適切な見直しと軌道修正の事である。

「時代の変化は、無視できるものではない。実際の問題として、時代の流れに逆らったり、背いたりできるものではないのだ」これは米合衆国の著名なジャズ音楽家 ソニー・ロリンズの言葉である。同氏のみならず、芸術、芸能の活動に携わる方々は、各時代の流れとその変化を敏感に感じ、その状況に応じた活動スタイルを実践していらすはずだ。だからこそ、何十年にも亘り活動を続けられる、或いは続けられたマイルス・デイビスやロリンズの諸氏を初め、我国なら渡辺貞夫さんの様な巨人が存在し得るのである。

とりあえず、ジャズの世界だけを取り上げたのだが、政治社会の事共についても、相当な範囲で同じ事が言えるのではないか。社会学者 渡部昇一さんによれば、70年1日、いや、下手をすると100年1日一字一句も見直されない事ともなりかねない日本国憲法にしても、検証や見直し、そして軌道修正が必要である事を強く主張されている。

渡部さんは、過日の雑誌記事中「磨かれざる憲法の悲運」と題して、こうした見直されない事の弊害を大いに嘆いていらした。
国家権力を規制して国民市民の権利福利を守る国家の基本法と言えど、時代や状況に応じた見直しはやはり必要であり、又、そうした思考を是としてこその立憲制であろう。ただ、第9条の平和条項が長く我国の平和と繁栄に寄与したからと言っても、それは「これまでの貢献」であって「これからの貢献」を確約するものではない。「これから」をどうするかは、我々国民市民の努力と心がけ次第であり、いつまでも第9条に依存し続けるのはおかしい、と言うよりむしろ「異常」と言うものだろう。戦後教育の不良と共に、これを放置していては、我国家の尊厳と国民市民の幸せを真に保障するものとはなり得ない事を改めて自覚すべきであろう。

時折しも、平和安全保障関連法制の施行直後で、改憲の必要性が薄らいだとする見方が強まったとの世論調査の結果がある事も俺は知っている。これは、左派野党の脅迫的情宣が一定奏功した結果でもあり、その事から、安倍政権による国民市民向けの説明がまだ不十分である事も窺える。今夏の参院選向けにも、より一層の平易で誠実な説明に努める必要があるだろう。そうでないと、本当に民進党以下左派野党勢力の思うツボともなりかねない。勿論、一切の政治的失態は許されないものとして、気を引き締め直して頂きたい所だ。

その事を踏まえて、改めて、欧米キリスト教思考による、言わば輸入された様な戦後民主主義は絶対の正義だったのか、特定の、或いは左派勢力の利害と利便の為だけにあり続けたのではなかったか、我々国民市民は冷厳に精査、審判をして今夏の参院選に臨む必要があろう。検証、見直し、軌道修正の必要性は著述家 西部 邁(にしべ・すすむ)さんや報道家 櫻井よしこさんらからも強く提起されているのは有名な所だろう。大事なのは「国民のための憲法」であって「憲法のための国民ではない」と言う冷徹な視点ではないのだろうか。

今回画像は、桜の時季も終わった当地近所の金山公園の近影。五月雨の時季を迎え、これからは緑の鮮やかな頃に入ります。尚、今後は時々、渡辺貞夫さんの楽曲をご紹介して参ります。下記URLにてお聴き下さい。まずは、初夏らしい「Samba de orfeu」から。

http://jazzmovie.blog133.fc2.com/blog-entry-356.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする