Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

変化を恐れる訳・・・

2006-01-31 23:22:00 | インポート
今年2006=平成18年の1月も最終日となりました。厳冬と言えども早いもので、間もなく立春となるのですね。
さて昨日、我が勤務先にて今年初の業務会議が催されました。建築業界との交流も多い我々の業務は今、決して順境と言う訳ではありません。例の集合住宅やホテルなどの建築偽装事件のあおりもあり、大いに苦労する面もあります。まあ全てを後ろ向きに捉えるのは決して好ましい事ではなく、「ここは踏ん張り所だ!」と気を引き締め直す良い機会と受け取るのが健全なあり方でもあるでしょうが。
この会議の席上、我々の職場トップの業務部長が締めくくりの言葉として「人は本来、変化に期待し心躍らせるのが本来の姿ではないのか」との趣旨の発言を致しました。傍らで聞いていた私は正直、目の覚める思いがしたものでした。
この言葉は、確か以前に某雑誌にて目にしたものでしたが、それが普段仕事で苦楽を共にし、何かとお世話になっている上長より発せられた事を、少し喜ばしく思ったのであります。
確かに正論ですね。我々の周囲の状況は絶えず変化し、その速度も上がっている様に見受けられます。その変化を前向きに捉え、期待を込めて向き合うのが健全な姿勢でしょう。ただ、一度慣れ親しんだ状況より中々変われない、変化に対応できない所も少なからずあり、その辺りをどうするかも難しいものがありますね。
変化を恐れて好まない訳・・・それはこれまで慣れて来た事共より大きく変わりたくないとの保守的な気質にもよるのでしょうが、他の大きな一因として、日本国憲法擁護勢力による情宣の影響もあるのではないかと私は見ています。
所謂護憲原理主義勢力は「日本国憲法は世界に冠たる優れた法典につき、見直しは不要」とか「この憲法を変えれば戦前の暗黒時代に逆戻り」などと言葉巧みに我国憲法の見直しや改良の意図をくじき、国民に対して「変化は悪」である様な風説を流し続けて来ました。全部とは申さないものの「一事が万事」この調子で、本来は変化に対して敏感であるはずの国民の感性を鈍らせ、国や社会の事共に対しても、変化を忌み嫌う風潮や空気を醸成してしまっている面がある様に思います。
戦後も既に60年を経過し、内外の状況は大きく変わっています。国民レベルでも大小様々な変化と正面より向き合い、期待を込めて処して行く姿勢が求められるのではないでしょうか。その中には勿論、日本人の誇りを込めた真の「平和憲法」の自主的制定と言う大仕事も含まれると私は信じ、今月の締めくくりとしたく思います。*(日本)*
コメント
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