生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

クリスマスは誰の誕生日?

2017-12-13 17:28:15 | 教会
もうすぐクリスマスですね。街ではきらびやかな飾り付けがなされ、クリスマスソングが流れています。
なぜクリスマスを祝うのでしょう。クリスマスはサンタクロースの誕生日だと思っている人もいます。

そうではありません。4千年も前から、人々はある方の誕生を待ち望んでいたのです。そして、2千年ほど前にそれは実現しました。
ある方とは、イエス・キリストです。

旧約聖書には、救い主が生まれることについて書かれた箇所がいくつもあります。けれども、それがいつのことなのか書かれていないので、旧約聖書を読んでいた人たちは、そのときをずっと待ち望んでいました。
救い主とは、罪のため滅んでしまうしかない人々を救ってくださるお方のことです。
救い主は、ご自分を信じる人々を神の子とし、永遠の命を与えてくださるお方です。

旧約聖書は、イエス・キリストが誕生する前に書かれました。新約聖書は、イエス・キリストの誕生後に書かれています。
2千年前に人々が長い間待っていた時代は終わり、救い主であるイエス・キリストがお生まれになりました。

旧約聖書で預言されている箇所があります。

「見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、
わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々に公義をもたらす。
彼は叫ばず、声を上げず、
ちまたにその声を聞かせない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす。
彼は衰えず、くじけない。
ついには地に公義を打ち立てる。
島々も、その教えを待ち望む。(イザヤ42:1~4)」

(彼というのは、イエス・キリストのことです)

12弟子のひとりであったマタイは、マタイの福音書にこの箇所を引用しています。(マタイ12:18~22)
ほとんど内容は同じですが、最後に「異邦人は彼の名に望みをかける」と書かれていて、そこだけが違っています。『待ち望む』→『望みをかける』に変化しているのは、マタイが実際に救い主と出会って弟子となり、その感動からこの一文を書いたと教えていただきました。

イエス様の誕生は、希望があり、いのちがあります。

なぜイエス様に希望があり、いのちがあるのかについて、メッセージで語られたことを紹介させていただきます。

イエス様は多くの病人を癒しましたが、その偉大な力をご自分の名声を高めるためのことはしませんでした。不正なことをしていた収税人、殺されそうになっていた女の人、生まれつきの盲人、37年間病んでいる人など、ひとりひとりに全力でかかわってくださいました。

また、イエス様は弱さを担ってくださいました。重い荷物を背負って歩いていると思ったら、荷物ごと運ばれていました。運んでくださったのはイエス様です。


「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになってもわたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なおわたしは運ぼう。わたしは背負って救い出そう。(イザヤ46:4)」

イエス様は、私たちが弱いからこそ近づいてきてくださったのですね。

心配性で気が弱く、いつも何かにおびえていた弱い弱いわたしにイエス様の方から近づいいてきてくださったのです。


「彼に信頼する者は、失望させられることがない。(1ペテロ2:6)」



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