生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

世界平和をもたらすのは

2016-08-25 16:28:15 | 教会
水曜礼拝ではコイノニアについてふたりの神学生が語ってくださいました。
前にも書きましたが、コイノニアとは韓国の大方(デバン)教会と土浦めぐみ教会との交流のことで、各年齢層の方が訪れたり、迎えたりします。今年は大方教会から中高生、教会学校教師、スタッフと合わせて50人以上の方が土浦めぐみ教会に来られました。キャンプが行われ、日韓の中高生たちが参加しました。

めぐみ教会の中高生たちは、韓国の人たちが来日する3か月前から、韓国語を勉強して備えていたそうです。
「あなたが学ぶひとことの韓国語が世界平和をもたらす」と聞いて一生懸命学んだようです。

キャンプでは、言葉が通じない部分があっても、互いのために神に祈り、手をつなぎ、聖書のメッセージを聞き、賛美したそうで、空港で別れるときは、涙を流しながら抱き合っている映像をみて、もらい泣きしてしまいました。

このようなコイノニアの交わりも来年で20年になります。これだけ続けられていることが驚きです。
最初のころはその関係がぎくしゃくしていたそうです。日韓の過去の歴史を思うと、当然ですが……。

コイノニア宣言文には『両国の不幸な歴史を心にとめつつ……豊かな交わりを』と書かれています。不幸な歴史を「乗り越えつつ」ではなく、「心にとめつつ」とあえて書かれているのは、乗り越えて忘れてしまうことのないようにという意味なのだそうです。
両国の不幸な歴史を思うとき、和解できること自体奇跡のような気がします。

「海を越えてきた、隣にいる君が、同じ神様を賛美している。同じ神様を」

と、中高生たちは賛美しました。

マザーテレサは「私たちは、この世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです」と言いました。

最初から大きなことをしようとしても、なかなかできません。世界平和をと言っても、自分には何もできないと思ってしまいます。
でも、隣にいる人にたったひとことでいいから声をかける。何かしてもらったらありがとうと言う、困っている人がいたら「大丈夫ですか?」と声をかける。など、小さいことから始めると、それが和解につながり、平和につながります。

 聖書の言葉
「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解の言葉を私たちにゆだねられたのです。Ⅱコリント5:19」

「神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。(Ⅰヨハネ4:21)」

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと。これがわたしの戒めです。(ヨハネ15:12)」


*聖書(新改訳聖書)で、ひらかなで「わたし」と書かれているのは、神(キリスト)のことを指し、漢字で「私」と書かれているのは、人間のこと(聖書記者)を指しますが、それだけにとどまりません。
「私」は、聖書を読んでいる人、つまり自分自身を指しているのです。それに気づくとき、はっとさせられます。

*上の写真は教会で土曜日に行われた結婚式の受付に飾られていたものです。


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