生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

聖書について(その1)

2008-06-27 13:48:51 | 聖書から

PCの調子がまた、おかしいです。先日は1日に3回もフリーズしてしまいました。しばらく待っても変化なしで、タスクマネージャーも開けず、強制終了するしかなくなってしまうのです。ウイルスチェックやパソコン内を調べる機能を使って調べても異常なしです。ネットにつなぎ、gooでの作業(メール、ブログの編集)をしているときにフリーズするので、サーバーに問題があるのかもしれません。gooでは昨日の午前中メンテナンスを行っていましたが、メンテナンス後、メールを出そうとしたらまたフリーズしました。同じgoo を使っている友人もフリーズしたと言っています。

どなたか解決法をご存知の方がおられましたら、教えてください。今日の記事を投稿するのも怖々やっています。
 コメントをくださる方のpcがフリーズするようなことがありましたら、申し訳ありません。mixiの方はmixiメールをください。


先日祈祷会で聖書について基本の学びをしました。学びを通して教えられたこと、感想などを書きます。

わたしはこれまでこのブログの中で「聖書に書いてあります」という一文を何度使ってきたでしょうか。
「聖書が間違っていたらどうするんだ?」と思った方もいるでしょう。

聖書は約2000語に翻訳され、世界では一年間に7億冊以上発行されている本、世界でいちばん読まれている本だからといっても、信憑性を疑う人はいるでしょうね。
聖書はB.C.1500年からA.D.100年の間に約40人の手によって書かれました。旧約新約合わせて66巻あります。主な著者はモーセやダビデ、パウロなどですが、本当の著者は神様です。それは、神様が著者の自由や意識を奪って神がかり的に書かせたという意味ではありません。
その書を書いた目的や事情や、著者の性格がそのまま生かされているのです。

パウロは「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。(Ⅱテモテ3:16)」と書いています。

霊感というと、神がかり的なもの、死者の霊がついて語るいたこを想像してしまいますが、聖書に書かれている霊感は全く意味が違います。『主がつかわされた』という意味だそうです。
                     つづく

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