生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

K子さんへの手紙(その2)

2008-06-25 13:46:05 | 日記

最初の人間がアダムとエバだということは、ご存知ですよね。エデンの園にいたとき、アダムとエバは神様と親しい仲にありました。ところが、唯一の禁止事項(園の中央にある木の実だけは食べてはいけない)をアダムとエバは破ってしまい、エデンの園から追い出されてしまいます。そのとき人間は神様とは断絶状態になり、苦しみ、人は死ぬべき者となってしまいました。
 
この話を聞くと、『アダムとエバのせいでひどいことになった』とアダムとエバを恨みたくなりませんか?
でも、このときエバは蛇(サタン)にだまされたのです。もし、わたしがエバだったら、やはりだまされて、木の実を食べてしまったと思います。人間は罪を犯しやすい者です。義人(罪のない人)はひとりもいないと聖書に書かれています。

神様は正しいお方なので、不正を「まあ、いいか」とゆるすことができません。罪を犯したとき、死ななければその罪はゆるされないのです。
でも神様は、人間のことをとっても愛しておられるので、罪を犯した人間に罰を与えたくないと思われました。それで神様はご自分のひとり子、イエスキリストを十字架につけて人間の身代りに罰したのです。
イエスキリストは神様の子供ですから、罪はありませんでした。でも、十字架につけられることによって、人類の罪を背負って下さったのです。これは神様の愛です。自分の子供の命を差し出してまでわたしたちを救ってくださろうとしている神様の愛を思うと、わたしは心が震えます。
キリストの十字架のおかげで、人間は神と和解できました。だれでも、キリストを信じるなら、肉体の死後、天国に行け、永遠の命をいただけるようになったのです。


死後の世界について尋ねていましたが、苦しみ、痛み、叫びのない天国というすばらしいところが用意されています。キリストの救いを受け入れた者は誰でも行けるところです。
自分が神様に愛されている存在だとわかり、キリストの十字架の意味がわかったとき、わたしは少しずつ変わっていきました。変わったというより、神様によって変えられたのです。癇癪も起こさなくなりました。両親や周りの人を憎んでいたのですが、その憎しみも溶かされました。


神様は、K子さんのことをとても愛してくださっています。目に見える現実は苦しみかもしれませんが、きっと道が開けますからね。
イエス様は言われました「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです」
神様は、すべてを働かせて益としてくださいます。だから希望を持ってください。


このことを書いた手紙を出して約1か月後、次にいただいたK子さんの手紙に嬉しいことが書かれていました。今までの手紙に書かれていたのは辛いことばかりでしたが、「自分が少しずつ変わってきています。光が見えてきました。」と書かれていました。
キリストの光がK子さんの心に差し込んできたように思えて、主に感謝しました。


               おわり

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