今日は礼拝の中でCS(教会学校)教師任命式が行われました。毎年4月の第一日曜日に任命式が行われます。わたしは12回目ですが、牧師先生から祈っていただいている間、足が震えていました。子供に教えるのにふさわしい者なのだろうか?と考えると、とてもそのような者でないことに気づきます。
また、この一年間健康でいられるのかと心配になります。具合が悪くなって教会学校の奉仕ができなくなるのではないかとおそれます。
そのとき、礼拝堂にいる人がみんな心を合わせて教師達のために祈って下さっていることを感じ、胸が熱くなりました。弱い者であるからこそ祈っていただく必要があるのです。
私自身も祈っているうちに、神さまはふさわしくない者をふさわしくして下さる。必要な体力を与えて下さるのだという確信が持てるようになりました。
今日のメッセージは「主にあって誇れ」という題でした。あなたがたは取るに足りない者であったのに神さまによって義となり、聖としていただいた。だから、誇るなら自分ではなくて主を誇るようにという内容でした。
自分には誇るものは何もないのです。このような者を子供達に教える者として下さったのは神さまです。神さまから教師としていただいているのだなあと思って感謝しました。
「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。(Ⅱコリント1:27)」