生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

目からうろこ

2011-06-07 13:21:51 | 教会
先週の礼拝ではサウロの回心のメッセージを聞きました。(6/1のブログに書いています)

クリスチャンを迫害していたサウロ(パウロ)でしたが、ダマスコの途上光に打たれて倒れ、イエスの声が聞こえたとき180度変えられました。

でも、なぜサウロはそのとき劇的に変化したのでしょうか。
5日の礼拝メッセージの一部を紹介します。

サウロが劇的な変化をした根拠として2つのことが考えられます。

①サウロ自身が自分の中に葛藤をもっていたのではないでしょうか。
ローマ7:7-10に書かれているように、彼は律法を命がけで守ろうとしていたのですが、守りきれない自分に悩んでいました。

(律法とは神様がモーセを通して与えて下さった十戒のことで、「あなたの隣人の物を欲しがってはならない」という戒めがあります)

サウロは、『むさぼってはならない』と知っているのにむさぼっていたことを告白しています。

②サウロは良心の呵責を感じていたのではないでしょうか。
クリスチャンを迫害し、ステパノを石打ちにすることに加担しました。ステパノの姿をみて驚いていたかもしれません。クリスチャンたちの敬虔な姿、熱心さをみているのにその者達を捕え、死にまで追いやっていましたが、そんな権利が自分にあるのかと悩んでいたかもしれません。

使徒26-14にはサウロが光に当てられたとき、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ』とイエス様の声がしたと告白しています。

それは、サウロの中にとげがあったことを意味します。とげとは、『律法を完全に守れないお前にクリスチャンを迫害する資格があるのか』と心をチクリチクリと刺されるとげです。
光に打たれる前に葛藤や良心の呵責や自分の罪深さを感じていたから劇的回心が起こったのです。

目の見えなくなったサウロは、葛藤と苦悩の3日間を過ごし、そののちアナニヤの訪問を受けます。
アナニヤは、イエス様から「立って『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています(使徒9:11)」と言われます。

アナニヤは、サウロが今までクリスチャンにどんなにひどい迫害をしてきたか知っていたので恐れました。
でも、イエス様からサウロが異邦人にイエスの名を運ぶという使命を持つ人であることを伝えられ、恐れを克服して『まっすぐ』という街路に行き、サウロに会いました。

アナニヤに手を置かれて、サウロの目からうろこのようなものが落ち、サウロは再び見えるようになります。(「目からうろこ」という言葉は、この聖書の記述からきてきるのです。)
サウロがパウロになった瞬間です。

アナニヤはサウロに十字架の意味やペンテコステで起こったことを話し、サウロはバプテスマを受けます。

「わたしたちは土浦のアナニヤです。『まっすぐ』という道に行ってごらんなさいと神様に言われているのです」
と牧師先生が言われました。


アナニヤがサウロを訪れるとき恐れたのは当然だと思います。でも、恐れを克服し、主の言葉に従って『まっすぐ』という道に出かけたことが素晴らしいと思いました。

アナニヤがいたから、パウロは伝道者として使命をまっとうすることができたのですね。



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