わたしの通っている土浦めぐみ教会は、コイノニアと称して、韓国の大方(デバン)教会と友好関係をもっています。
コイノニアでは、幅広い年齢層の方々との交わりがあります。今年は大勢の青年たちが来日しました。17日の礼拝では、マルコの福音書5章から「タリタ、クミ。」という題で大方教会の牧師先生がメッセージをしてくださいました。一部を紹介させていただきます。(茶色字はわたしの思ったことです)
会堂管理者のヤイロは自尊心を捨ててイエス様のところへ行きました。娘が死にかけていたからです。そのときヤイロの家から来た人が「あなたのお嬢さんはなくなりました。」と言いました。
それは、ヤイロにとって絶望的な言葉だったでしょう。しかし、イエス様は言われました。「恐れないで、ただ信じていなさい」
イエス様は、この言葉を気休めに言われたのではないですね。何か対策があるから、「恐れないで」と言われたのです。
この言葉は、わたしたちの人生に対して言われていると聞いてはっとしました。
人生の中で何度か絶望的な気持ちになることがあります。愛する人の死、受験に失敗したとき、がんの宣告を受けたときなど……。
そんな現実を前にして「恐れないで、ただ信じていなさい」とイエス様が言われるのです。
イエス様は3人の弟子だけを連れて病気の女の子と父母のいる部屋に入られました。
3人の弟子だけを連れて行くのは全人類の救世主として何かをなさるとき、ものすごい大きな神の業が起こるときです。
イエス様は「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」
と言われました。
イエス様は死、苦しみ、痛みを与えるためでなく、いのち、希望、喜び、平安を与えるために来られました。
人々はイエスの言葉を聞いてあざ笑いました。
イエス様は女の子の部屋に行って「タリタ、クミ。(起きなさい)」と言われました。すると、少女は起き上がったのです。
「タリタ、クミ。」はアラム語です。ギリシャ語に訳されていません。特別な言葉だからです。
初代教会の人たちは、この言葉を使って祈り、互いに励まし合っていました。
タリタ、クミ。は現代でも使うことができます。
1)自分自身に対して使えます。心が重くて崩れ落ちそうになるとき。鬱々としているとき、病に苦しむときなど。
2)環境に対して使えます。
どんな解決法も見つからないときなど
3)他者のために使えます。
力を失っている人に、絶望している人に、困難の中にある人に
「タリタ、クミ。」と祈って宣言しなくてはなりません。
「タリタ、クミ。」と祈るなら、神の驚くべき恵みがあります。人生の中に神の業が起こります。
イエス様はわたしにも「タリタ、クミ。」と言ってくださいました。霊的に眠っていたわたしに「起きよ」と語りかけてくださったのです。
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それは、ヤイロにとって絶望的な言葉だったでしょう。しかし、イエス様は言われました。「恐れないで、ただ信じていなさい」
イエス様は、この言葉を気休めに言われたのではないですね。何か対策があるから、「恐れないで」と言われたのです。
この言葉は、わたしたちの人生に対して言われていると聞いてはっとしました。
人生の中で何度か絶望的な気持ちになることがあります。愛する人の死、受験に失敗したとき、がんの宣告を受けたときなど……。
そんな現実を前にして「恐れないで、ただ信じていなさい」とイエス様が言われるのです。
イエス様は3人の弟子だけを連れて病気の女の子と父母のいる部屋に入られました。
3人の弟子だけを連れて行くのは全人類の救世主として何かをなさるとき、ものすごい大きな神の業が起こるときです。
イエス様は「なぜ取り乱して、泣くのですか。子どもは死んだのではない。眠っているのです。」
と言われました。
イエス様は死、苦しみ、痛みを与えるためでなく、いのち、希望、喜び、平安を与えるために来られました。
人々はイエスの言葉を聞いてあざ笑いました。
イエス様は女の子の部屋に行って「タリタ、クミ。(起きなさい)」と言われました。すると、少女は起き上がったのです。
「タリタ、クミ。」はアラム語です。ギリシャ語に訳されていません。特別な言葉だからです。
初代教会の人たちは、この言葉を使って祈り、互いに励まし合っていました。
タリタ、クミ。は現代でも使うことができます。
1)自分自身に対して使えます。心が重くて崩れ落ちそうになるとき。鬱々としているとき、病に苦しむときなど。
2)環境に対して使えます。
どんな解決法も見つからないときなど
3)他者のために使えます。
力を失っている人に、絶望している人に、困難の中にある人に
「タリタ、クミ。」と祈って宣言しなくてはなりません。
「タリタ、クミ。」と祈るなら、神の驚くべき恵みがあります。人生の中に神の業が起こります。
イエス様はわたしにも「タリタ、クミ。」と言ってくださいました。霊的に眠っていたわたしに「起きよ」と語りかけてくださったのです。
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