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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

何の応答がなくても(奇跡について6)

2013-03-21 20:32:02 | お茶の水聖書学院
風がふけば嵐になり、寒い日と暖かい日が交代でやってきて、体調がおかしくなりそうです。桜川の桜が咲きはじめました。

お茶の水聖書学院の卒業論文にヨハネの福音書からイエス様が行った奇跡の意味と意義について書きました。
論文を書いて教えられたことを記しています。(論文そのままではありません)
イエス様の行った最後の奇跡はラザロのよみがえりです。(ヨハネ11:1-45)

イエス様はマルタ、マリヤ姉妹と親しくされており、しばしばその家に立ち寄っています。
そのマルタ、マリヤ姉妹の兄弟のラザロが重い病気にかかりました。マルタとマリヤはイエス様のところに使いを送って、「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」と伝えました。
イエス様は愛するラザロが病気だと聞いてもすぐには駆けつけず、その場所に2日もとどまりました。イエス様がユダヤに行ったとき、ラザロは4日も前に亡くなっていて、墓に入れられていたのです。

マルタもマリヤも、イエス様がもっと早く来てくだされば、ラザロは死なずにすんだのに……と訴えます。イエス様が来てくださったことで問題は解決するのですが、姉妹は死んだ人がまさかよみがえるとは思っていなかったので、希望を失っています。
イエス様に不思議な力があることを知っていても、死んでしまったらどうしようもないと思っていたのです。

そのようなとき、イエス様はラザロの墓の前で言いました。「その石(洞穴の墓の前にある石)を取りのけなさい」人々は、いぶかりながらも石を取りのけました。

イエス様が「ラザロよ。出て来なさい」と大声で言われると、ラザロは体に長い布を巻きつけられたままで出てきました。よみがえったのです。そこに居合わせた人々はどれほど驚いたことでしょう。

イエスがこの奇跡を起こされた理由として考えられるのは、次の4つです。
①ヨハネ11:25「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」によって明らかにされているように、キリストが生と死を支配するお方であること、キリストがよみがえりであり、いのちであることを示すため。
②イエスが十字架の死の3日目によみがえることの前兆としての意味を込めて。
③キリストの愛とあわれみによって。「イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」(ヨハネ11:5)
④神の栄光をあらわすため。


イエスは、マルタ・マリヤ姉妹の望みをすぐにかなえず、意図的に遅らせました。ラザロの死から4日もたってそこへ行くことが、神の栄光をあらわすことにつながるからでした。
イエスがラザロの死の直後によみがえらせたとしたら、ラザロは仮死状態だったと疑う人も出てくるかもしれません。でも、死んで4日もたち、すでに腐敗がはじまっているような時期によみがえらせたので、奇跡を疑う余地がなくなりました。そしてこのことは何より神の栄光をあらわすことになりました。


祈ってもかなえられないことがあります。むしろすぐかなえられるときの方が少ないような気がします。
かなえられないと、祈りを神様は聞いていないのではないか、聞いておられたとしてもこのような祈りは受け入れてもらえないのだろう……などと詮索します。
それが早急な願いだとして、何の応答もないとあせります。

マルタとマリヤもあせったことでしょう。愛するラザロが死にかけているのですから。ところが、イエス様が来られたのはラザロの死から4日もたってからでした。
このことにどういう意味があるか、姉妹にはわかりません。そこに居合わせた人も同じでしょう。

神様には神様の都合があって、わざと遅らせることがあるのです。何も応答がないと、不安になりますが、水面下で神様の御手が動いているのですね。
神様は最善な時に最善なことをなしてくださる。そのことを信じて歩んでいきたいです。


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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まこさんへ (文香)
2013-03-23 21:07:57
コメントありがとうございました。

主の応答を待つとき、信仰の訓練をされているのですね。

水面下で主の御手が動いていると思えるようになったのは、わたしも最近になってからです。
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Unknown (まこ)
2013-03-22 09:58:01
アーメンです。
振り返ると私もそのようなことの連続でした。
祈っても応えられない、けれど、祈り続けた時に、主の答えが待っていました。
主を信じ続ける訓練をされたみたいです。
水面下で主の御手が動いていることが、やっと最近になって、段々に分かってきました。
1から4のすべてにアーメンです。
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