かつてわたしは、自分のことを傷つきやすく感受性の強い人だと思っていました。色々なことで傷つき、ボロボロになって可愛そうと自己憐憫の思いを抱きながら生きてきました。
ところが、あるとき傷つくことは悪いことではないと気づかされました。
また、わたしだけがたくさん傷ついていたのではなく、ほかの人もわたしの言葉で傷ついていたことも知ったのです。
「こころの散歩道」堀 肇著 いのちのことば社
の本の中にある一文を紹介します。
「傷つけられ心に痛みを覚えるということは、確かにつらいことではありましが、必ずしもすべてがマイナスばかりではなく、視点を変えてみれば、プラスとも必要とも考えられる面もあるように思えます。」
「人から傷つけられて心が痛むという感覚も一種の安全装置とも言えます。もし痛みを感じる心がなければ、人が何で傷つくかわからないということにもなるわけです」
傷つくことは悪いことではないと伝えたくて詩を書きました。
心傷ついたとき
心傷ついたとき
静かに痛みを味わおう
傷つくという感受性があることを喜ぼう
傷つくことは悪いことではない
人の心を傷つけてしまったとき
素直にあやまろう
許してもらえなくても
自分を攻め続けるのはやめよう
同じ言葉でも
相手の心の状態、心の傷跡
ときや場所、場合によって
受け止められ方が違うのだから
乏しい想像力だから
どんな言葉が相手を傷つけ、どんな言葉が喜ばれるのか予想できない
もし自分だったら……と考えて言葉を発しても
喜ばれるとは限らない
相手をどんなに大切に思っていても
相手が喜び、励まされることを願っていても
かえって傷つけてしまうことがある
相手と自分の感性は違う
どんなに深い傷を負っても負わせても
絶望的になることはない
すべてを知っていてくださるお方がいるから
心の傷を癒してくださるお方がいるから
わたしのHP「生かされて…土筆文香」詩のページ更新しました。ご覧ください。
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ところが、あるとき傷つくことは悪いことではないと気づかされました。
また、わたしだけがたくさん傷ついていたのではなく、ほかの人もわたしの言葉で傷ついていたことも知ったのです。
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「傷つけられ心に痛みを覚えるということは、確かにつらいことではありましが、必ずしもすべてがマイナスばかりではなく、視点を変えてみれば、プラスとも必要とも考えられる面もあるように思えます。」
「人から傷つけられて心が痛むという感覚も一種の安全装置とも言えます。もし痛みを感じる心がなければ、人が何で傷つくかわからないということにもなるわけです」
傷つくことは悪いことではないと伝えたくて詩を書きました。
心傷ついたとき
心傷ついたとき
静かに痛みを味わおう
傷つくという感受性があることを喜ぼう
傷つくことは悪いことではない
人の心を傷つけてしまったとき
素直にあやまろう
許してもらえなくても
自分を攻め続けるのはやめよう
同じ言葉でも
相手の心の状態、心の傷跡
ときや場所、場合によって
受け止められ方が違うのだから
乏しい想像力だから
どんな言葉が相手を傷つけ、どんな言葉が喜ばれるのか予想できない
もし自分だったら……と考えて言葉を発しても
喜ばれるとは限らない
相手をどんなに大切に思っていても
相手が喜び、励まされることを願っていても
かえって傷つけてしまうことがある
相手と自分の感性は違う
どんなに深い傷を負っても負わせても
絶望的になることはない
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