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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

存在価値がわからなくて(その1)

2017-06-12 17:19:19 | ティーンズ
昨日はTEENS礼拝で中高生たちにメッセージをさせていただきました。
『わたしの人生劇場』と題して語ってくださいと依頼されたとき、ちょっと驚きました。
ちょうど日本クリスチャン・ペンクラブで「自分史」を書く課題に取り組んでいた時だったからです。

これまでエッセイを書いてHPにも掲載しているので、それとも重複するところがありますが、今回は中高生向けに語るということで新たに書きました。全文を数回に分けて紹介します。題は「存在価値がわからなくて」です。
                  
       「存在価値がわからなくて①」

わたしは東京で生まれ、中学一年の一学期まで東京都武蔵野市に住んでいました。家族は両親と祖母と妹の五人です。家族にも親戚にもクリスチャンはいませんでした。
 子どものころはとても体が弱かったです。よく熱を出したり、喘息の発作を起こしていました。
また臆病で、いつもびくびくしていました。風船が割れること、犬に吠えられること、蜘蛛とダンゴ虫、雷など、この世界は怖いものだらけなので、誰かに守ってもらいたいと思っていました。
 家族以外の人はもっと怖かったので、外に出ると必要なこともいえない無口な子どもでした。
中学一年の時、父親が関西に転勤することになり、家族で神戸に引っ越しました。新しい家は高台にあり、わたしの2階の部屋の窓から海が見えました。「なんて素敵な部屋!」と喜んだのですが、どこへ行くにも坂道を降りなくてはならず、帰りは坂道を登るのに苦労しました。
9月の新学期に神戸市の中学に転校しました。
「新しい学校では誰もあなたが無口で消極的だと知らないんだから、自分を変えるいいチャンスよ。積極的のふるまってみたら」と、母から言われ、新しい学校では明るく積極的にふるまおうと張り切っていました。
ところが、担任の先生から紹介されると、いきなり「東京から来たんやて。生意気やな」という声が聞こえてきました。  
わたしが話すと関西弁とイントネーションが違うので笑われ、積極的になどとてもなれませんでした。
新しいクラスではいじめられました。「それ、東京で買(こ)うたんやろ」と言って筆箱を捨てられたり、座ろうとしたら椅子を後ろにひかれ、口を開けば、「話し方があかん」と言われました。それで、もともと無口だった私がなおさら無口になりました。中には親切にしてくれる生徒もいて、英語クラブにさそってくれたので、入部しました。
中学二年でクラス替えがあり(当時9クラスもありました)、女子の中で知っている顔がひとりもいないことに気づきました。自分から話しかけることができないでいると、誰からも声をかけられず、一年間友達ができませんでした。

そのころ中学では、昼休みは教室にいてはいけないという決まりがありました。健康のため、休み時間は外に出て体を動かすようにという理由です。  
二十分の昼休みが苦痛でした。ひとりでいるところを誰にもみられたくなかったのですが、それは無理なことでした。図書室に行って本を読んでいても落ち着かず、校舎のまわりをうろうろ歩き回っていました。すると、三人組といわれた同じクラスの女子が、三人で仲良く肩を組みながら歩き回っていて、何度かすれ違いました。「わたしも仲間に入れて」とひとこと言えればよかったのですが、断られるのが怖くて言えませんでした。
あるとき担任の先生に呼び出されて、関西弁でこんなふうに言われました。
「なあ、みなと。(みなととはわたしの旧姓です)お前はひとりで校舎のまわりを歩き回っているんやて? 友達作らなあかんでぇ」
きっと三人組から聞いたのでしょう。
わたしは叱られたと思って、「はい。すみません」としか言えませんでした。『友達作らなあかんと言われても、どうやったら作れるのですか。わたしは友達が欲しいのです』と、本当はそう言いたかったのです。
それから、休み時間歩き回ることができなくなってトイレに籠ることにしました。
トイレしか安心していられる居場所がなかったのです。今のようなきれいなトイレではなく、和式で汲み取り式のトイレです。くさいのを我慢してチャイムのなるのを待ちました。
あるとき、トイレに籠っていたら外から声が聞こえてきました。
「誰か入っているみたいやけど、出てけーへんねん。」
「だれやろ。だれが出てくるんやろ。待っとこ」
(えっ、入っていること知られてたんだ、どうしよう。)
わたしは真っ青になりました。そうしたらチャイムが鳴って、バタバタ駆け出す足音が聞こえました。人の気配がなくなると、そっと出てきて大急ぎで教室へ走りました。先生はまだ来ていなくて後ろの席にすべりこんで、誰にも気づかれないですみました。ほっとしました。

そのあとは、三人組が喧嘩して解体し、校舎のまわりを歩かなくなったので、わたしはまた歩き始めました。
孤独になったせいか色々なことを考えました。家には仏壇と神棚があったのですが、神様と仏様どっちが偉いの? 罰が当たるって本当? 人の運命って決まっているの?
たくさんの疑問を両親にぶつけましたが、「そんなこと考える暇があったら勉強しなさい」と叱られてしまいました。

また、むなしさも感じていました。時間をかけ一生懸命描いた絵を壁に貼っていたら日に当たって変色し、ボロボロになっていました。それを見て、人間が作ったものはどんな物でも古くなって使えなくなってしまうのだ。人間も、どんなに長生きしたっていずれは死んでしまうんだ。一生懸命努力しても何も残らない。勉強がなんの役に立つのだろう……と考え、死を願うようになりました。

                         つづく


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