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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

人の言葉に翻弄されない人

2017-04-10 15:51:47 | 教会
人の言葉に翻弄されたり、一喜一憂することがありませんか?
わたしは、褒められるとうれしくて舞い上がり、高慢になってしまいます。逆に、けなされたり、悪口を言われるとひどく傷つき、心は荒海のように騒ぎます。

人から傷つけられたとき、『わたしは感受性が鋭く、とても傷つきやすいんです。それなのにどうしてひどいことを言うのすか?』と、相手を訴えたい気持ちになったことがあります。
傷つきやすいということをまるで自慢しているようでした。でも、人は皆傷つきやすいのだと思います。傷ついてもそんなそぶりをみせず、平静を装ったり、強がりを言う人がいますが、本心は傷が痛んで泣いているのです。

ところが、傷つけられても気にしない人がいます。苦しみを受けても、そのことを喜んでいる人がいます。
以下は礼拝メッセージを聞いて考えたことです。

聖書に出てくるパウロがそのひとりです。キリストのために苦しみを受けるのはよいことですと言っています。
『ねたみや党派心、争いを持ち、自分を苦しめる人がいても、キリストが宣べ伝えられているのなら、わたしは喜んでいます。』とパウロは言うのです。

パウロは人の言葉に一喜一憂しません。
その理由は、キリストを知る絶大な価値を理解しているからです。

どんなにひどいことを言われても、けなされても、キリストを知る絶大な価値を見いだしている人は、ほかの人の言うことを気にしません。心がキリストにある喜びでいっぱいだからです。


パウロだけでなく、キリストによる喜びを持っている者はそうなのだと思います。
わたしも最近になって、ようやく人の言葉に翻弄されなくなってきました。

受難週に入りました。
受難週とはキリストの十字架の苦しみと死(=受難)を思う一週間のことをいいます。
来週の日曜日はイースター(復活祭)です。

礼拝で水野源三さんの詩に曲をつけた特別賛美を聴きました。


私がいる  水野源三
  
 ナザレのイエスを 十字架にかけよと
   要求した人 許可した人 執行した人
   それらの人の中に 私がいる


心刺される詩です。イエスキリストが十字架につけられたのは2千年も前の出来事です。十字架とわたしは何の関係のないものと思っていました。
けれども、イエス様が十字架で死んでくださらなければ、罪の問題はなにひとつ解決しません。わたしのすべての罪を赦し、解決させるために血を流し、苦しんでくださったイエス様を思って、この一週間を過ごしたいです。

昨日はTEENSでお花見に行く予定でした。せっかく満開になったのですが、雨でお花見はできませんでした。

 

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