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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

私が私の羊飼いだったら

2017-04-03 15:53:49 | ティーンズ
風は冷たいけれど、桜川の桜の蕾がふくらみ、花弁が今にもはじけそうです。

昨日はCS(教会学校)教師任命式でした。教会では1-2歳クラス、幼稚科、小学科、TEENS(中高科)、成人科、そのほか学びのクラスの教師は、任命式に与ります。(総勢59名の方が任命されました)

わたしは小学科ではなく、TEENS(中高科)教師の列に立っています。
そのことがとても不思議です。去年まで23回も小学科教師として任命されてきました。昨年は、当然、次も小学科教師の場所に立つのだろうと思っていました。

でも、今年はTEENS教師の場所に立っています。神様がそこに置いてくださったのです。いつまで続けられるかわかりませんが、はっきりしていることは、今、健康が与えられているから奉仕できるということです。
このことがどんなに貴重でどんなに喜びなのか、TEEMNSを辞めるときにわかるのでしょう。

TEENSに来ている子どもたちは40人近くいます。
その中で半分以上は小学生の時わたしが受け持った子どもたちです。すっかり大きくなって、名前を聞くまでわからなかった子どももいました。一緒に分級を受け持つ先生もかつて受け持っていた人でした。感慨深いです。
TEENSは大人とは別に礼拝をしています。場所は礼拝堂から少し離れたチャペルピスガです。メッセージは大人の礼拝と同じぐらいの長さですが、中高生でもわかりやすい内容になっています。

昨日は詩編23篇から語られました。
   詩編23篇1~8
主は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


人を羊にたとえています。羊は①臆病②迷いやすい(目が悪いので迷ったら自分ではもどれない)③すごく頑固という性質を持っています。
主である神様が羊飼いだったら正しく導いてくださるので「わたしは乏しいことがありません」と言えます。新共同訳では「私は何も欠けることがない」と書かれています。
もし、私が私の羊飼いだったら、人と比べ自分が欠けた者だと思い、不平や寂しさの中に置かれてしまうでしょう。
でも、神である主が私の羊飼いなら、試練の中にあっても、心に余裕が与えられることでしょう。


礼拝の後、小グループに分かれて30分ぐらい話し合いをしました。礼拝で聞いたお話しについての感想や近況報告などです。わたしの担当は中学生女子グループです。子どもたちが心を開いてよく話してくれたのでうれしく思いました。

わたしがTEENSでした挨拶を紹介します。

小学科から来ました。小学科の先生を23年もやっていたので、みなさんの中には小学生の時に分級を受け持った人がいます。校長先生も受け持ちました。みなさんが大きく成長しているので、びっくりしています。
わたしはちょうど60歳ですが、心の年は今13~15歳です。3歳から15歳までの子どもの気持ちになれるというのが私の特技です。子どものころ、子どもの心を忘れない大人になりたいと願っていました。その願いはかなえられました。
小学科ではおもに教えていましたが、TEENSではみなさんから色々なことを教えてもらいたいと思っています。よろしくお願いします。



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