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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

いのちの光をもつ

2016-01-20 15:51:16 | 教会
今日は冷たい北風が吹き荒れています。自転車だと倒れそうになるので突き刺さるような寒さの中、教会まで歩いて行ってきました。
月曜は都内ではかなり雪が降ったようですが、こちら(茨城県土浦市)は雪は降らず、大雨でした。

日曜日の礼拝メッセージは、今年の教会の年間聖句ヨハネ8:12から語られました。
年間聖句は、先日も書きましたが「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです(ヨハネ8:12)」です。

いのちの光を持つとはどういうことか教えていただきました。

ヨハネ9章には生まれつきの盲人が出てきます。生まれつきですから、物を見るとはどういうことかわからないし、色もわかりません。ひとりで物乞いをしていたと書かれていますから、親兄弟を憎んでいたかもしれません。心にも闇があったのです。

生まれつき目が見えないという悲惨な状況の原因は何か、親にあるのか、この人にあるのかと弟子たちがイエス様に問いかけます。

イエス様は不幸の原因を探るなと、きっぱり言われます。

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです(ヨハネ9:3)」

イエス様は盲人の目に泥を塗り、「シロアムの池で洗いなさい」と言われました。

盲人はイエス様の言葉を疑いもなく信じ、池に行って洗ったら、見えるようになりました。

この人はどんな気持ちだったでしょう。今まで、目が見えさえすればどんなにいいかと何度も何度も思ったことでしょう。あきらめかけていたかもしれません。

見えるということは、どんなに素晴らしいことか……。最初から見えている人よりずっとずっとたくさん、見えることの喜びを味わったことでしょう。
キリストが癒してくれた、いのちの光を与えてくれたと喜んだことでしょう。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です(Ⅰヨハネ5:14)」

生まれつきの盲人が見えるようになるなんてありえないと思い、見えるようになったこの人を別人だという人が現れました。
盲人だった人は「わたしがその人です」とはっきり告白します。が、そのために町を追放されてしまいました。

イエス様は、追放されたその人を見つけ出してくださいました。その人は、イエス様を見ていないので、最初はわかりませんでした。癒してくれたのが目の前にいるイエス様だとわかると、「主よ。わたしは信じます」と信仰告白をしました。

「この人はクリスチャンのモデル(手本)です。光を与えられて見えるようになった者のモデルです」と牧師先生が言われました。

神はいないという世界に生きていた人が、生ける神がいるという世界に入れられました。闇の中を生きていた人にいのちの光が与えられました。


わたしも盲人と同じように闇の中を歩いていました。人の目ばかり気にし、人を恐れてはっきりとものも言えない人でした。でも、いのちの光に照らされて、変えられました。どんなに暗い闇でも、光が差し込むと、そこは闇ではなくなります。



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