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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

試練の学校(その2)

2013-04-29 15:41:11 | エッセイ
「百万人の福音」2012年4月号に掲載された喘息や乳がんなど病気のことを書いたエッセイを紹介しています。
前回の続きです。


2)再び喘息に

喘息は完治したのだと安心していましたが、結婚して長男を出産した後、再び発作が起きました。そのときは軽くすんだのですが、その後、毎年秋になると発作が起きるようになりました。しかも年々ひどくなっていきました。
わたしは二十二歳のときイエス・キリストを信じ、神戸の教会で洗礼を受けていましたが、二年後に東京へ引っ越してからは、教会へ行っていませんでした。

再び喘息発作が起きるようになって、自分の力、意志ではどうにもならないことを思い知らされ、近くの教会へ通いはじめました。
それから三年後、実家で第二子を出産した後、ひどい発作が起きてしまいました。発作を抑える吸入薬が全く効かなくなり、食事も会話もできなくなりました。

やっとの思いで病院へ行くと、そのまま入院することになってしまいました。
入院と聞いたとき、ほっとしました。生まれたばかりの長女と三歳の長男のことを考える余裕がありませんでした。とにかく呼吸困難という苦しみからのがれたいという一心でした。入院すれば呼吸が楽になるだろうと思ってほっとしたのです。

ところが、酸素吸入をしても注射を打っても少ししか楽にならず、発作がずうっと続いていました。点滴を受けながらボロボロ涙をこぼしました。

このときは、洗礼を受けて八年たっていましたが、あまりの苦しさに祈ることさえできませんでした。喘息を憎み、神様はなぜこんなに苦しい目にあわせるのだろうと、神様を怨んでしまいました。

あとから看護師の友人に入院したときのことを話すと、そこまでひどくなってから病院へ行くのは危険で、手遅れになる可能性があったと言われました。気管支が完全にふさがれてしまったら、死んでしまうのだと聞いて、ぞっとしました。わたしはその一歩手前だったのです。

あれだけひどい状態だったのに、十日間入院しただけで発作が治まり、退院できました。
その間、長男は夫の実家で、生まれたばかりの長女はわたしの実家で守られ、育まれていました。

それからも喘息と闘いながら育児をしていましたが、長女が四歳のとき、また大きな発作を起こしてしまいました。救急外来で注射を打ってもらったのに帰宅すると前よりひどい状態になっていました。

丸めた布団にもたれて、「神様、もう耐えられません。早く天国に連れていって息をしなくてもいい身体にしてください」と、幼い子どもたちがいるのに死を願ってしまいました。
そのとき、私の心に聖書の言葉が示されました。

「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。(Ⅰコリント十:十三)」
(耐えられないはずはないんだ)と思ったとき、ふっと肩の力がぬけて平安が与えられました。イエス様がそばにいて、やさしい眼差しで見つめておられるのを感じました。

発作は続いていましたが、うつらうつら朝まで眠れました。
その後、病院で予防の治療をはじめたので、それ以来、ひどい発作を起こすことがなくなりました。
               
                                                  つづく



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