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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

試練の学校(その1)

2013-04-25 12:57:13 | エッセイ
昨年、いのちのことば社から出版されている月刊誌「百万人の福音」で募集していたペンライト賞の佳作になり、わたしの書いた文章が2012年4月号に掲載されました。
喘息や乳がんなど病気のことを書いたあかし文章です。数回に分けて紹介させていただきます。


(1)喘息で苦しんだ子ども時代
わたしは、子どものころから体が弱く、よく熱を出していました。二歳のときは肺炎で生死の境をさまよったそうです。肺炎は治りましたが、こんどは小児喘息になり、夜中によく発作を起こして、母に背負われて何度も病院へ連れて行ってもらいました。

中学生になれば治ると言われ、がまんしてきました。でも、中学一年の夏休みに神戸に引っ越すと、喘息がどんどん悪化していきました。
今は、喘息はきちっと予防すればひどくならずにすみ、がまんをしてはいけないそうですが、当時は予防薬がなく、ひたすら耐えるしかありませんでした。

 発作は深夜か明け方に起きることが多く、横になることもできず、まるめた布団にもたれて肩で息をしながら、朝になるのを待つのです。がまんしきれなくなると救急外来に駆けこんで注射を打ってもらいます。

(このままなら、一生治らないかもしれない。就職も結婚もできない)と、不安でたまらなくなりました。
発作は秋になると頻繁に起こり、冬になるとおさまってきます。発作が起きてないときは元気なので、喘息のことを考えないようにしていました。
秋になって胸がゼーゼー鳴りだすと、鳥肌がたちました。喘息という言葉を聞いただけで身震いするほど嫌な気持ちがしました。喘息は恥ずかしい病気だと思っていたので、喘息の持病があることを誰にも言いませんでした。
 
中学二年のとき、夜、病院の帰りに歩けなくなり、坂道でうずくまってしまったことがありました。付き添っていた母は中学生のわたしを背負うことができません。父を呼びに坂の上の家に走って行きました。真っ暗な中にぽつんととり残されたわたしは、恐ろしさに震えながら、坂道を四つん這いでのぼりました。
 
「こんなみじめで苦しい思いをしながら、どうして生きていかなくちゃならないの?」
泣きながら星を見上げてつぶやきました。

そのころ、学校では友達がひとりもいなくてつらい日々を過ごしていました。生きていても何のいいこともない。死んだら楽になれるのに……と思いました。まだ神様のこともイエス・キリストの存在も知らなかったときのことです。
でも、夜空を見上げたとき、気のせいか誰かに見守られているように感じました。気のせいではありません。絶望の最中に神様は助けを備えていて下さったのです。

その日、病院へ行くとき、父の会社の人の車に乗せてもらっていました。父が車で送ってもらって帰宅したことを知った母が、子どもが喘息で苦しんでいるので坂の下の病院まで乗せて下さいと会社の人に頼んだのです。
わたしは、発作で苦しむ姿を見られたくなかったので、いやだと言って柱にしがみついていました。そんなわたしを父が力づくで連れ出し、乗せてもらったのでした。

会社の人は、わたしが発作で苦しむ姿を見て、後日漢方薬をすすめてくださいました。その漢方薬がわたしの体質にあっていたようで、それを飲むうちに徐々に喘息がよくなってきました。一生治らないかもしれないと思っていた喘息でしたが、高校を卒業するころには発作が起きることはほとんどなくなっていました。


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                            つづく

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