今日から写真展が開催されました。わたしは、午前中の奉仕をさせていただきました。それほどたくさんの人は来ないかもしれないと思っていたのですが、10時前から次々と人が訪れ、熱心に写真やDVDを見たり、キリスト教の月刊誌「百万人の福音」に掲載された横田早紀江さんのあかしを読んでおられました。
会場では、横田さんご一家に起こったことを語るテープを繰り返し流していました。写真に取り囲まれ、何回もテープを聴くうちに早紀江さんの思いがズンズンと心に伝わってきました。
自分の命より大事なわが子が、突然消えたようにいなくなってしまい、何年も消息がわからなかったのですから、気も狂わんばかりの思いだったことでしょう。警察で自殺か家出かもしれないと言われたとき、絶対にそんなことはないと言い切った早紀江さん。それまでのめぐみちゃんの様子をよく知っていたことと、めぐみちゃんのことを深く信頼していたからそう言い切れたのだと思います。
めぐみちゃんがいなくなってから3か月後、早紀江さんは友人から聖書のヨブ記を読むことをすすめられたそうです。早紀江さんはこの悲しみの最中、どうしてこんな分厚い本を読むことができるのだろうかと思ったのですが、何気なく読み始めたところ、はっとする言葉が心に響きました。
私は裸で母の胎から出て来た。
また、私は裸でかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。(ヨブ記1-21)
あなたは神の深さを見抜くことができようか。
全能者の極限を見つけることができようか。
それは天よりも高い。あなたに何ができよう。
それはよみよりも深い。あなたが何を知り得よう。(ヨブ記11-7.8)
これを読んで、早紀江さんはめぐみちゃんがいなくなってから初めて深呼吸ができたそうです。全能者である神さまは、人間の良いことも悪いことも全部ひっくるめて魂の底まで見通しておられることを教えられたそうです。その後、早紀江さんは聖書の神さまを信じてクリスチャンになります。
「わたしの人生にもめぐみの人生にも何か大きな使命のようなものが与えられている」と考えるようになった早紀江さんは、この出来事を通して神さまが何をなさるか平安の中でじっと待つことができるようになったそうです。
「この苦しみの中で神さまに出会ったことが最高のできごとだった」
「『めぐみは生きている』ということだけにしがみついていると、何かあったときに落ち込んでしまう。何があっても、神さまのもとへいくことができる、神さまが最善をなしてくださる」
と語られる早紀江さんの信仰に心打たれました。
横田さんご夫妻のために、めぐみちゃんのために、そのほかの拉致被害者のみなさんのために祈り続けようと思いました。