生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

ルツ記を読んで(その2)

2006-05-11 11:54:59 | 聖書から

昨日はルツ記1章1-5節までで考えてみるということで、3つの質問がありました。

問い1
異国の地でエリメレクが死を迎えたように、人には避けられない問題や状況があるようです。モアブの地でパンを得たナオミは同時に愛する夫エリメレクを失いました。このことは、あなたに何を教えているでしょうか?

この質問に対して、
「エリメレクはききんのとき、家族を連れてモアブに移り住んだけれど、それは間違った選択だった」とひとりの方が言われました。(ユダにいた人たち全員がモアブに移ったわけではなく、ユダに残った人たちも多かったので)
ところが、別の方が「どんな選択でも、間違えはない」と言われ、そのことがはいちばん印象に残りました。

確かにエリメレクがモアブに行かず、ユダの地で頑張っていたら、エリメレクも息子達もそんなに早く死ななかったかもしれません。でも、モアブに住んだことによってモアブ人ルツがナオミの嫁になりました。

ナオミの身に起きてくる出来事をみていると、神さまの御手の働きを思わざるをえません。神さまは、人の間違った選択をも良きことと変えて下さるので「どんな選択でも、間違えはない」と言われたのだと思います。

問い2
ききんの到来、夫の死、息子たちの死……と次から次へとやってくる災難……それに対して神さまが沈黙しておられる状況をあなたはどう考えますか?

問い3
ナオミには脱出の道も逃れる場所さえ失われたように見えます。そのような状況の中であなたなら、何を考えるでしょうか?あるいは何をしますか?


当時のイスラエル人は、子孫の繁栄こそが神様の祝福の象徴だと考えていたので、夫と息子達を失ったナオミは社会での存在価値を失ったも同然と考えられるそうです。

問い2と3はつながっているように思えますので、わたしなりに2と3の答えをまとめて出してみました。
それは、かつてはできなかったことで、今現在そのような状況になったらできるのか? と問われたら「できます」という自信はないのですが……。そうしたいと心から願うことを書きます。

次から次へ苦難がやってきて、祈っても状況が悪化するばかりのときでも、神さまが善意のお方であることを信じ、決して神さまに対して文句を言わない。神さまに深い配慮があって沈黙されているのだから、Ⅰコリント人への手紙10:13のみ言葉をにぎって耐える。


あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(Ⅰコリント人への手紙10:13)


ちょうど今朝読んだ「人生を導く5つの目的」には次のように書いてあります。

神は決して痛みを無駄にはなさいません、事実あなたの最も重要な働きは、あなたが最も苦しんだ経験から生まれてくるといっても過言ではありません。


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