生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

Oさんのあかしより(その1)

2006-05-06 12:20:00 | あかしの紹介

3月に洗礼を受けた友人のOさんが、この前の日曜礼拝の中であかしをされました。心を打たれるあかしでしたので、あかし文を送っていただきました。Oさんの許可を得て一部を紹介させていただきます。
 
 私をとりまく環境は仏教です。意味もあまり良くわからずに仏事に参加していました。そんな中で苦しいことや困ったことになってしまった時には神だのみしていました。
 それでも自分の生き方としては真面目に何事も一生懸命やればどうにか道はみつかるというものでした。傲慢にも自分がどうにかできるというものでした。
 ところが、そんなある日に息子が突然家から出なくなりました。なにが起きたのか家族中で心配しました。心配が度をすぎて家の中は混乱しました。
 主人も私も親がどうにかしなければと必死でした。そして焦りました。世の中の基準に合わせようと。でもどうにもなりません。どうにかしようと思えば思うほど

 息子が苦しみました。親が心配すればするほど「自分のせいで親を苦しめている」と自分を責めていたようです。私は自分自身が辛くて悲しかったので早くどうにかしたかったのです。一番辛く苦しいのは息子のはずなのに、全くの自己中心的でした。私のせいで大切な青春の時期を奪ってしまったと自分の罪の深さに悩みました。

 メンタルクリニック、親の会、カウンセリングとよいと思われることはなんでもしました。それでも好転しないので私は食べることも眠ることも出来ずに落ち込んでいました。こんなに泣いても涙は枯れることがないと知りました。


 Oさんの息子さんとわたしの息子は同じ年です。息子さんは、高校のとき不登校になり、そのまま家から出られなくなってしまったそうです。Oさんが教会に初めて来られたのは、息子さんが不登校になって3年くらいたった時期です。
 
 そのとき、わたしは礼拝堂でOさんの隣の席に座っていました。「新しい方だからよろしく」と案内の係りの人から言われました。第一印象は、やさしそうな人だなあ。でも、心に悩みをかかえておられるようだなあと思いました。

 わたしは推薦されて教会のフォローアップ(新来者に声をかけたり、わからないことを教えたりする)係になっていましたが、自分では向いていないと思っていました。実は、とてもシャイで、初対面の人と話すのは苦手なのです。(えーっ、うそでしょう!と思った人もいるでしょうね。ホントです)

 礼拝の後、ドキドキしながらOさんに声をかけ、自己紹介をし、お名前を聞いたとき、なぜかわかりませんが、親しくさせていただきたいと思ったのです。(旧約聖書にでてくるダビデとヨナタンのように)

 住所を聞くと割合近くだったので、家庭集会におさそいしました。でも、そのときは7月の家庭集会が終わったばかりでした。8月は夏休みで集会がないので、9月までずいぶん長いなあと思いました。

 それで、「この次礼拝に出るときもこのあたりの席に座って下さい。わたしも近くに座るようにします」と言いました。1回の礼拝に100人以上の方が出席するので、同じ時間の礼拝に出ていても顔をあわせないことがあるからです。
                                  つづく

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