生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

神さまがすべてのことを

2006-05-09 12:42:26 | 聖書から
田植えがはじまりました。写真は、わたしの住むマンションのすぐ近くの田んぼです。

Oさんがあかしの中で用いていた聖書の言葉「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8-28)」について、考えてみました。

苦難のまっただ中にあるときは、このみ言葉を知っていても『どうしてこのことが益となり得るのでしょう?』と思うことが多く、なかなか素直に『そうですね。だから、耐えましょう』とは思えないものです。この苦しみがいつまで続くのだろうか……と出口のないトンネルにいるように不安になります。

わたしは小児喘息でしたが、漢方薬を飲んで20歳のころにはすっかり良くなっていました。ところが、結婚して長男出産後、再び喘息の発作を起こすようになり、それは年々ひどくなっていきました。わたしは必死に癒されるように祈りましたが、ちっとも良くならないので、「神さま、どうしてですか? どうして癒して下さらないのですか?」と神さまに不満を訴えていました。「神さまがすべてのことを働かせて益として下さる」のみ言葉を読んでも、喘息で苦しむことが益になるとはどうしても思えませんでした。神さまは意地悪をして、わたしのことをわざと苦しめているのだろうかとさえ思ったのです。洗礼は受けていても、教会を離れていたわたしは、正しい信仰を持っていませんでした。

でも、振り返ってみると、喘息で苦しんでいたことが、わたしを再び教会に向かわせました。教会に通ったからといって、すぐに喘息が癒されたわけではありませんでした。娘出産のあと、入院までしました。退院してから4年間、毎年秋に発作に襲われ、幼子を連れて点滴に通いました。その苦しみの中で正しい信仰に導かれていった気がします。信仰の訓練だったのですね。

 いちばん苦しかった夜の後、神さまは、癒して下さいました。
 2年前、こんどは乳癌の宣告を受けたとき、動揺することなく受け止められました。確かにこのことは、神様のみ手の中で起きたことで、やがて益としてくださるのだと信じられたからです。乳癌になったからHPやブログを開設し、あかしすることができたのですから、すでに益となっているでしょうか?

 これから先、何が起こるかわかりません。信じていてもこの間のように動揺することはあります。神さまからノミを当てられると、すぐに悲鳴を上げてしまう弱い者です。でも、神さまがすべてのことを働かせて益としてくださることを信じ続けていきたいです。

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